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「怠るな!決して諦めるな!!」②

~細菌学者コッホの飽くなき探究心~ シリーズ❶~❸

結核菌の発見と「コッホの4原則」

▲結核菌の顕微鏡写真
 

 なかでも最も世界を驚かせた発見は「結核菌」の発見でした。大昔から人類は死の病 「結核」に苦しめられてきました。当時、ヨーロッパで病死した人の7人に1人は結核によるものでした。遺伝病かとも思われていた結核を、コッホは感染症だと考え、その原因究明に乗り出しました。
 しかし、病原菌といえる「結核菌」は、いくら顕微鏡に目を凝らしても発見することはできませんでした。菌の増殖のスピードがとても遅く、はっきり見えるように染色するのも難しかったのですが、コッホは決して諦めませんでした。
 結核に冒された臓器の一部を青い染色液に24時間浸し、次に褐色の染料を加えると、結核菌だけが褐色の染料をはじき飛ばし、菌が青く浮かび上がるのではないかと考えたのです。コッホは、「何という美しさだ」とそのミクロの世界に驚嘆しました。褐色の液の中に、青く染まった結核菌が数多く浮かび上がったのです。

 しかし、さらなる難問が立ちふさがりました。結核菌を培養することができないのです。何度も失敗し、結核菌は生物の体内に寄生してしか繁殖しないのではと考えたのです。生物と同じ環境をつくろうと試行錯誤の末、牛の血液をゼリーで固め、その上に結核に冒された牛の臓器の一部をのせ、牛の体温と同じ温度で温めながら、菌の繁殖を待ちました。
 しかし、数日たっても菌の増殖はみられませんでしたが、コッホは諦めませんでした。「結核に罹った人は、数か月後に死んでいる。菌の増殖のスピードはそれくらい遅いのではないか。ならばそこまで待ってみよう。」すると15日目に、菌は増え始めたのです。
 
 1882年3月、ベルリン生理学会で、あのコッホによる 「結核菌発見」 の報告があると聞いて、人々はこれで結核から逃れることができるのだろうかと大いなる期待を寄せました。
 発表のその日、コッホは、講演を始める前に、200枚以上の顕微鏡標本、顕微鏡写真、培養チューブ、培養物を入れたガラス箱、アルコール保存病理材料をテーブルにセットしました。そして、種々の結核材料から、細長い棒状の形をした細菌である桿(かん)菌(きん)が証明されること、この桿菌は染色性から他の細菌と容易に区別できること、自然結核感染の材料から直接結核菌が分離培養できること、純培養菌を実験動物に接種して結核を再現できること、この病理現象は結核材料を接種して発現したものと同一であること、純培養菌で再現した結核結節から結核菌を回収できたことなどを具体的に標本写真を示しながら理路整然と述べたのでした。

 コッホの講演が終わっても、会場は水を打ったような静寂につつまれました。あまりにも完璧で、極めて説得力があったため、会場の聴衆はある種の放心状態に陥ったのです。しばらくして研究者や聴衆から称賛の声が上がったのです。
 コッホが結核の研究を開始したのは1881年8月18日であり、約7ヵ月後の1882年3月24日にこの結核菌発見の講演を行いました。さらに講演後わずか3週間で、その内容が雑誌に掲載されたのです。現在のように施設や器具が十分でない当時の状況を考えると、このような短時間のうちに綿密な計画を立て、多くの動物実験を行い証明したことは驚くべきことでした。
 早急な雑誌への投稿発表についても、新しい方法や知見を世界中の研究者たちが一刻も早く共有することで公衆衛生に役立てたいというコッホの熱い思いがあったからです。
 当時は、ある特定の微生物が特定の感染症の原因であると断定することは困難でした。しかし、コッホはこの発表によって、感染症を引き起こす原因が何なのかを具体的に証明しました。さらに、発表において用いた方法は、現在の検査や研究の基本技術となり、彼は「細菌学の父」と呼ばれるようになるのです。
 
 コッホは、さらに研究を重ね「コッホの4原則」として細菌学研究の方法を次のようにまとめました。①その伝染病の病変からは常に同じ微生物がみつかること。②その微生物だけをとりだせること。③その分離した微生物を使い、実験的に動物に同じ症状を感染させることができること。④発病した動物の病変から同じ微生物が再び分離され確認されること。
 
 しかし、病原体が確認されても、すぐにその感染症が克服されるわけではありません。治療法の開発というさらなる努力が必要です。人々の期待に応えようと、コッホは結核菌の培養液から結核の治療薬となるであろう 「ツベルクリン」 を作り出しますが、残念なことに「ツベルクリン」は結核を治す薬にはなり得ませんでした。ただ、「ツベルクリン」は今でも結核の診断に用いられる「ツベルクリン反応」の試薬として使用されています。
 
 あれから100年以上を経過し、医療の進歩はめざましく、結核で命を落とす人は、ほとんどいなくなったと思われていますが、最近になって、結核で命を落とす人の数が再び増加に転じているのです。エイズの流行した地域では、エイズによって免疫機能が破壊され、それによって結核が復活したといえる状況です。また先進国においても増えているのは、抗生物質をはじめとする様々な抗結核抗菌薬が効かなくなるという多剤耐性結核菌に進化していると考えられるのです。
 

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