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統一教会員の間違い㉑ 統一教会員の多くが文鮮明先生の自叙伝を読んでいない

私のnoteの記事「統一教会員の間違い」にも沢山引用している『平和を愛する世界人として』ですが、発刊当時、教会員はその配布にとても力を入れていました。おかげで発刊部数は100万部とも言われています。
しかし、です。その自叙伝が『どのくらいの人に読まれたのか』と考えるときに、私はその自叙伝を『読んだ』という教会員に一人も出会えていない、というのが現実だったりします。私がその自叙伝の内容を説明して、その内容に驚き読み始めた、と言う人が何人もいます。
どうして、教会員は文鮮明先生の自叙伝を読んでいないのでしょうか。そう考え、私も様々な教会員に質問してみました。そうすると、自叙伝に限らず様々な書物も実は読んでいない、という事が判明しました。
教会員の一番の問題は、

『天聖経を読んでいない』


という事だと私は思っています。天聖経を授かるための感謝献金の額は、様々なメディアが公表しています。「とんでもない額だ」と思われる人が多いのかもしれません。しかし、私はそうは思いません。
私は勿論、その額で天聖経を授かり、読破しています。その内容は驚くべき内容です。人類の全てが読むべき内容だ、と私は思っています。しかし、天聖経の内容はとても難解で、統一原理を理解していない人がいきなり読むべき経典ではありません。ですから、まず教会員は『平和を愛する世界人として』を暗記するくらい読み込んで、一般の人に説明できるくらいでなければいけないと思うし、そうでなければ単に配布しても読んではくれないだろう、と私は思います。
自叙伝配布に限らず、教会の活動は『中身のない』ハリボテ活動が多すぎる、と私は思います。魂が宿っていない活動に、誰が感動するというのでしょうか。人の心を動かす活動ができなければ、誰も統一教会の活動を信じてはくれないだろう、と私は思います。


文鮮明先生自叙伝(平和を愛する世界人として) 
第七章 韓国の未来、世界の未来ー理想郷に向かって
より抜粋

幸福の源は「為に生きる」人生


子女は両親の血と肉を受けて生まれます。両親がいなければ子女はいません。ところが、この世の中に一人で生まれたかのように個人主義を主張する人がいます。誰からも何の助けも受けない人だけが個人を主張し、個人主義を語ることができます。世の中に自分だけのために誕生したものは何もありません。あらゆる被造物はお互いのために誕生しました。私はあなたのためにいて、あなたは私のためにいるのです。
自分だけのために生きる利己的な人生ほど愚かな人生はありません。利己的な人生は、自分のために生きているように見えますが、究極的には自分を破壊する人生です。個人は家庭のために、家庭は民族のために、民族は世界のために、世界は神のために生きなければなりません。
私が建てた学校には、どこでも3つの標語が掲げられています。1つ目が「昼12時のように影のない人生を生きなさい(正午定着)」です。影のない人生とは、すなわち良心に引っ掛かることがない人生です。地上での人生を終えて霊界に入っていけば、生涯、自分が生きてきた人生が、録画テープが回るように展開します。天国に行くか地獄に行くかは自分の人生によって決定するのです。ですから、一点の影もないきれいな人生を生きなければなりません。
2つ目は、「汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流して生きなさい」です。人間が流す血と汗と涙は偽りではありません。すべて真実です。しかし、自分のために流す血と汗と涙は無意味です。血と汗と涙は人のために流さなければなりません。
最後の3つ目は、「One Family Under God!(神の下の人類一家族)」です。神様は唯一のお方であり、人類は兄弟姉妹です。言語と人種と文化の違いはあっても、すべて同じなのが人間です。
南太平洋には全部で14の島国があります。その中のマーシャル諸島共和国に行って大統領に会ったとき、私が尋ねました。
「本当に美しい地ですが、国を導いていくのに困難が多いのではないですか」
すると大統領は大きく溜め息をつきました。
「人口もわずか6万人だけで、島で最も高い所が海抜2メートルにすぎず、海面が1メートル上昇しても国全体が水浸しになってしまいます。しかし、最も深刻な問題は教育です。裕福に暮らす家の子供たちは皆、アメリカやヨーロッパに行って教育を受け、故郷に戻ってきません。貧しい家の子供たちは、きちんとした教育を受ける学校がないので、いくら優秀でも指導者になる素養を積み上げることができません。結局、私たちのような島国の悩みは、未来を導いていく人材を育てることができないことなのです」
マーシャル諸島共和国の大統領の嘆きを聞いた私は、すぐにハワイのコナに島国の子供たちのための「ハイスクール・オブ・ザ・パシフィック」という学校を建てました。各国から選ばれた子供たちに高等教育を受けさせ、必要であれば大学への進学も支援します。ハワイまで行き来する飛行機代、学費、寄宿舎費を提供することはもちろん、コンピューターも買い揃えて最高の教育をします。島国の学生たちを勉強させるのに条件はたった一つ、学校を終えたら必ず自分の国に帰り、国と民族のために奉仕しなければならないということです。それが唯一の条件です。
「為に生きる」人生を生きるということは、時として個人の犠牲を前提とします。数年前にわが教会の宣教師が南米を巡回する途中で大きな地震が起きたことがあります。宣教師夫人が真っ青になって私を訪ねてきました。「どうすればよいですか、先生。あまりにも心配でどうしたらよいか分かりません」と言って涙ぐんでいるのです。それで私がどうしたかといえば、肩を叩いて慰労するどころか、怒鳴りつけました。
「今あなたは夫のことを心配しているのか? それとも、夫が修羅場で何人の命を救っているだろうかと心配しているのか?」
夫の安否が心配なのは当然です。しかし、宣教師の夫人ならば、それ以上のことを心配できなければなりません。夫を安全に守ってくださいと祈禱するのではなく、夫がより多くの命を救えるようにしてくださいと祈禱しなければなりません。
この世の中に、自分だけのために存在するものは一つもありません。神様は、この世界をそのように創造されていないのです。男性は女性のために存在し、女性は男性のために存在します。自然は人間のためにあり、人間は自然のためにいるのです。この世界のあらゆる被造物は相手のために存在し、作用します。ですから、相手のために生きなければならないというのが天の道理です。
幸福は必ず相対的な関係においてのみ成立します。生涯を声楽家として生きてきた人が、無人島に行って声が嗄れるほど歌を歌ったとしても、聞いてくれる人がいなければ幸福になることはできません。私がある相対のために存在しているという事実を悟ることは、人生の尺度を変えるような一大事です。私の人生が私のためのものではなく、誰かのためのものであるとすれば、今までの生き方とは全く違う道を行かなければなりません。
幸福は、人のために生きる人生の中にあります。自分のために歌を歌ってみても全然幸福ではないように、自分のためのことには喜びがありません。いくら小さくて、取るに足りないことでも、相手のために、人のためにするとき、幸福を感じるのです。幸福は、「為に生きる」人生を生きる時にこそ発見できるのです。

紛争のない世界を夢見て

私はずっと以前から、宗教が一つになり、人種が一つになり、国家が一つになる世界を主張してきました。数千年の人類歴史は、この世界を分裂させるような出来事の連続でした。宗教が変わり、権力が変わるたびに国境で分けられ、戦争が起きましたが、今は世界が一つになる時代です。これからの世界は国際平和高速道路を通して完全に一体にならなければなりません。
国際平和高速道路は、韓国と日本を海底トンネルで連結し、ロシアと北米大陸を隔てるベーリング海峡に橋を架け、全地球を一つにする大事業です。そうすれば、アフリカの喜望峰からチリのサンティアゴまで、またイギリスのロンドンからアメリカのニューヨークまで自動車で走っていくことができます。全世界のどこでも、行き止まることなく毛細血管のように連結されるのです。
世界が一日生活圏に変われば、誰でも簡単に国境を越えて行き来することができます。誰もが行き来する国境は、これ以上境界としての意味がありません。宗教も同様です。互いに他の宗教との間で往来を頻繁にすれば、お互いに理解する心が生じ、衝突がなくなり、宗教間の壁が崩れます。また、全世界の多様な人類が一日生活圏に入って暮らすようになれば、人種の壁も崩れます。見た目が異なり、言葉が異なる人種の間にも意思の疎通がなされ、それこそ世界の文化が一つにまとまる文化革命が完成するのです。
シルクロードは、単に絹を売り、香料を買う貿易の道ではありませんでした。東洋と西洋の人種が出会い、仏教とイスラーム、ユダヤ教、キリスト教が出会う場だったのであり、彼らの互いに異なる文化が混合して新しい文化が誕生する場でした。これから21世紀は、国際平和高速道路がそれをやり遂げるでしょう。
ローマが興隆できたのは、世界のあらゆる道がローマに通じていたからです。それほど道が重要なのです。それで、道ができれば歴史が変わるのです。国際平和高速道路が完成すれば、世界は物理的に一つになることができます。道がそのようにしてくれるでしょう。世界を一つに結ぶことの重要性は、いくら強調してもしすぎることはありません。私があまりにも先を行っていると思う人たちもいるでしょう。しかし、宗教者は未来を見通して準備する人なのですから、先を行くのは当然です。そのために世の中に理解されず、苦難を受けたとしても、宗教者であれば当然、未来に備えることの先頭に立たなければなりません。
しかし、国際平和高速道路が完成するためには、多くの国の協力が必要です。日本の侵略を受けた経験のある中国は、日本と高速道路で連結されることをそれほど望みはしないでしょう。しかし、中国を通さずに世界と通じることはできないのですから、中国の心を変える努力をしなければなりません。誰がするのでしょうか。21世紀の国際平和高速道路の牽引車となる私たちが先頭に立ってしなければなりません。
ベーリング海峡に橋を架けることはどうでしょうか。途方もないお金がかかりますが、それも心配することはありません。アメリカがイラク戦争に注いだお金があれば十分に橋を架けることができます。これからは、戦争を起こして人類に苦痛を与えるようなことはあってはなりません。戦争を起こし、数百兆ウォン(数十兆円)のお金を乱費するのは、道理に背く凶悪なことです。今や私たちは、「銃剣を溶かして鋤や鍬を作る時」です。
国際平和高速道路は、世界を一つに結ぶグローバル統合プロジェクトです。一つになるということは、単に互いに離れた大陸を海底トンネルと橋でつなぐということだけなく、世界が平準化されるという話です。技術を独占し、その利益を独占するとき、世界の均衡は崩れます。国際平和高速道路は、世界の地下資源と人的資源の不均衡を調節し、等しく豊かに暮らす富の平準化を成し遂げてくれます。平準化とは、高いものは少し低いところに引き下げ、低いものは少し高く引き上げ、互いの高低を合わせることです。そのためには、より多く持っている人、より多く知っている人の犠牲が必要です。平和世界の建設は、一過性の善意や寄付ではできません。絶えず自己を犠牲にし、自分が持っているものを惜しみなく与える真実の愛こそが平和世界をつくっていくことができるのです。
しかし、国際平和高速道路を建設すること自体は、世界を物理的に疎通させることにすぎません。人は心と体が一つになった被造物です。私たちが生きる世界も、物理的な疎通と共に情緒的な疎通が一緒になされてこそ、完全な統一が達成されます。
第二次世界大戦が終わった直後に創設された国連は、これまで世界平和のために多くのことをしてきました。しかし、創設60周年を超えた今、国連はその本来の目的を失い、力の強い国々の利益のために働く場所となりつつあります。世界中で発生する紛争を解決するために設立された国連は、一部の利益ではなく、世界の利益を優先する組織でなければなりません。強大国が自国の利益を優先して他国を力で抑圧するとき、紛争はまた別の紛争を呼び起こすだけであるにもかかわらず、今の国連としてはどうすることもできません。
このような欠点を補完しようとすれば、今後国連は、上院と下院の両院体制に変えなければなりません。今のように各国の政治・外交分野の代表者たちが世界の問題を論議する下院と、超宗教的な代表者たちが集まって平和問題を論議する上院がなければなりません。超宗教的な代表者は必ず、諸宗教について十分に学んだ開かれた心を持つ宗教指導者でなければなりません。彼らは、政治家のように狭い視角から特定の国家の利益ばかりを考えたりはしません。全人類を懐に抱く愛の心で人類の幸福と世界平和のために努力する超宗教的な指導者たちが、世界各国に派遣された外交大使と力を合わせて、これ以上紛争のない世界、愛で一つになった世界をつくっていかなければなりません。
「宗教者がなぜ世界の問題に首を突っ込むのか」という反対意見もあるでしょう。しかし、今の時代、世界は宗教によって深い自己省察の域に達した宗教者の関与を切に求めています。世の中に蔓延する不義と罪悪に立ち向かい、真の愛を実践する人たちが、まさに宗教者です。世界情勢に対する分析力を備えた政治指導者の知識と統治能力が、霊的な眼識を備えた超宗教指導者の知恵と一つになるとき、世界は初めて真なる平和の道を見いだすことができるのです。きょうも私は、

世の中のすべての人が宗教と理念、人種の壁を超え、「平和を愛する世界人」として生まれ変わるように祈っています。


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