『運て、何なんだ』久保利英明×堀威夫
久保利英明×堀威夫(ホリプロファウンダー)
2021年2月対談 vol.1
『元気でうらやましい』
久保利「元気でうらやましいなぁ、堀さんみたいな生き方っていうのがね」堀「うらやましがられる立場ではないんですけど、たまたまですね、家内もね、米寿なんですよ」
久保利「堀さんは僕がなんかある度に、氣の話をされましたよね」
堀「僕ね、合氣道、80歳から始めたんですね」
久保利「80から始められたんですか」
堀「相手の氣を呼び込む、プレイングみたいなもんですから、合氣道って」
久保利「素晴らしいですよね」
『何がいいことで、何が悪いことか、わからないですね』
久保利「何がいいことで、何が悪いことか」
堀「わからない(笑)」
久保利「わからないですね」
堀「背中合わせにあるんですね」
久保利「背中合わせですね」
『地黒でないことが分かりました(と、言われました)』
久保利「去年は海外に行けなかったんで。地黒じゃないぞと言ってはいたんですけど、今回、地黒でないことが分かりましたと(言われました)」
堀「(笑)」
『堀さんは、氣の大家だから』
久保利「ハッと思って、そうだ、堀さんは氣功をやって、合氣道やって、氣の大家なんだから、お話を承ってみたいなぁと」
堀「いや、大家じゃないですよ(笑)」
久保利「ちょうど、昭和7年生まれでいらっしゃって、僕は、昭和19年。まるまる一回り違う、申(干支)ですから。大先輩からですね、氣の持ちようとか、こういうの教わるのはいいことかなあと思って、今日はお願いをいたしました(笑)」
堀「いや、とんでもない笑 お役に立つような話はできないと思いますけれど。要するに、ボクサーでいえば、リングから降りちゃってますから」
久保利「ほお」
堀「そうなるとね、やっぱり多分、自分じゃわかりませんけど、百恵が引退した後にね、何年か経って会ったらね、全然違う顔になってるわけですよ。要するに険がとれちゃってるわけ。闘うっていうようなものがなくなっちゃうわけで、たぶん自分もそうじゃないかなと思って」
久保利「(笑)いやあ、どうかわかりませんよ。険があるとは言いませんけど。だけど、すごい健やかに、こう闊達な人生を歩まれたという感じがしますけどね」
『氣』のお話
久保利「昔はよく、氣功の先生にも通ってらっしゃいましたよね」
堀「それはね、昔、同い歳の経営評論家で親しくしている方がいたんです。当時、僕、ガンマGTPが高くて、中国から来ている氣功の先生に治療を受けてたんですけどね」
え、何、氣功やってるの?(評論家の先生)
いやいや、やってるんじゃなくて、治療うけてるんです。
じゃあ、君、ちょっと、立ってみて。前屈やって(評論家の先生)
前屈やったら、当然、手がつかないんですね。
はい、もう一回って(言われて)やったら、べたっと着いたの」
堀「あれ?って。
(そうしたら)俺がいま、氣を送ったんだよって(評論家の先生)」
久保利「なるほどねえ」
堀「じゃあ、先生、氣をトレーニングすれば、体が柔らかくなるの?って聞いたら、人からもらったんじゃ、20秒、30秒経つと元に戻っちゃうの」
久保利「自分でやればいい?」
堀「自分でやって、鍛錬すれば、柔らかくなるよ。と言われて。それで、興味を持ち始めたの」
『おんなじ』
久保利「いや、僕もね、ガンマGPTは高くてね、で中国からね、上海からね、氣功の先生が来てね」
堀「あ、じゃあ、僕もおんなじ」
堀「知り合いが紹介してくれて、氣のトレーニングっていうのに興味を持ち始めて、そうしたら、21世紀は、氣の存在を認めないリーダーは、リーダーたりえないみたいな(話を聞いたんです)」
久保利「ほお」
堀「大阪の、今なくなっちゃったんですけど、プラザホテルというところでイベントがあったんです」
久保利「ありましたね、プラザホテル」
堀「二泊三日の。僕、面白いから、そこに行って。そしたら、日本中から氣に興味ある人がたくさん集まった。もう一つは、日本中の氣の使い手って人が集まった」
久保利「ほぉ、使い手がきたんだ」
堀「その中で二人(知り合いました)今、通ってるのはその一人なんですけど」
久保利「ほぉ、ほぉ」
堀「一人は、外科医療を行ってる長崎県立病院の外科部長だったの。彼は何で氣功をやっていたかと言うと、むち打ち症を西洋医学で治すためには、牽引っていう」
久保利「ありますね」
堀「治療法しかなくて、それが3割しか治らないんですって」
久保利「ほお」
堀「で、彼は外科医として悩んで、学生時代に空手をやってた関係で、氣功学を自分で開発しちゃったひとなんです」
久保利「へええ」
堀「今、自分で、立派なクリニックやってます」
堀「もう一方は、藤平光一(とうへいこういち)という合氣道10段の、先生なんですけど」
久保利「10段、ほぉ」
堀「ええ。これは、宇都宮に道場の本部がありまして、道場は畳にすると
150畳ぐらいの道場と、板の間に100畳ぐらいのが二つある」
久保利「ほぉ」
堀「長崎はちょっと遠いなあっていうんで、それで宇都宮に行くようになりました」
堀「当時、うちの社員研修をね、やるのに、みんな、嫌々来るわけですよ。嫌々やってうまくなるわけないだろうと思って、氣の道場に連れてったの」
堀「40人連れてったら、珍しくね、帰ってきた時に連れていかなかったやつから文句が来た」
久保利「へぇ」
堀「何で、俺達は連れていってくれないんですかと。これはいいっていうんで3年ぐらいやったの」
堀「その時のその道場の良さっていうのは、まず、説明してくれる。それからやって見させてね、次に、させてくれるんです」
久保利「なるほど」
『時代に感謝する』
堀「いつも、医者とね、「俺、不味いもの食って、死にたくねえんだよ」と、「戦争中、嫌っていうほど、不味いもの食ったんだから」と、いつも、言うんですけど。まあ、いくらか丈夫な体に産んだのは、もちろん母親に感謝することと、時代に感謝する」
久保利「なるほど」
堀「要するに、戦前、戦中、戦後、それから戦後の後にバブルの時代とかね、いろんな非常にアップダウンの激しいとこ生きて来たもんですから、なんか、こう、そういうものに対する対応する力が自然にその備わったかもしれない」
久保利「ほぉ、なるほどね」
久保利「いや、堀さんの生き方を見てると、そんなに山あり谷ありっていう感じよりは、上手にそれをそのサーフィンじゃないけど、乗り越えて次のステップへ、次のステップへと行かれたような気がしますけどね」
堀「それ、結果的に運が良かったと思いますけど、あの自分じゃ、かなり辛い思いもして」
『運』
久保利「そりゃ、されたでしょうけどね、そりゃ、そうだと思うけど、だが、確かに運というふうに一言でおっしゃいますけど、運て、なんなんだと」
堀「えぇ」
久保利「書いていらっしゃいますよね。運と言って、そうかといって、神様がそんなにひどい不平等にやるはずは、ない」
堀「ない、ない」
久保利「運を上手く持ってる人と、ついてこない人といるんじゃないかということをおっしゃってますけど、それはやっぱり、味方に引き付けるコツ、麻雀の振り込んじゃう」
堀「あはは(笑)」
堀「まあ、なんの科学的根拠もないんですけど、僕はまあ、運の巡りってのは、どうして世の中に、運のいい人と悪い人がいるのかなぁと思って、勝手に自分で考えたことは、たぶん平等にこう、みんなには、与えられてるはずだ。だけど、例えば、自分に運の風が吹いてるっていうことを感じ取れない人は、例えばセンサーが乏しいとか、あるいは親としてなのかね、一回パスしちゃうと、次の巡りは、倍のインターバルになるんじゃないかなと」
久保利「なるほど」
堀「そこで、また、パスしたり失敗したりすると、また、だから二乗、三乗、四乗になっていく、どうも、その差があるんじゃないかなという気がしてます」
久保利「なるほど。センサーの問題ですか」
堀「うん」
久保利「僕は、センサーの問題ももちろんあると思うけども、もう一つは、やっぱりセンサーを働かせようとする意欲というか、その問題もあるのかなあと」
堀「うん、うん、うん」
久保利「運のいい人って、結構自分の願望というのを持っていて、これをしなきゃ、止まってられないというんで、チコちゃんじゃないけど、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」というボーっとしてない人っていつもそういうことを狙ってるから、センサーが、お、今こっち側のほうから、いい風吹いてきたぞ、あっちから、来たぞって、そういうセンサーがフルに機能してるんじゃないかと。
堀さん見てると、この芸能界というか、こういう世界というのは、どうして世の中でちゃんと認めてもらえないのか。これをちゃんとしなきゃいかんから、上場するよと。
こういうモチベーションが、自分が金儲けたいとか、金だ、金だ。じゃないんですよね。
そういうこう崇高なというか、非常に高い目標を掲げているから、今がチャンスだ、店頭公開まず行こうや、次は二部だ、一部へ行け。一部までいってみたら、本当にそれって、自分のやりたいことを、仕上げたいことをするためにプラスになるのか、
いろんなことをお考えになって、じゃあ、MBOで、上場、止めちゃえ。と。
こういうのを、全部自分の意欲というか、考え方で、希望として、願望としてもお持ちになったんで、「お、今か、その風が来てる。この風が来てる」って、分かるのかなあと。
堀「いやあ、それは、まあ、結果論で。僕は、やっぱり、自分のことが悪運が強いんだと思いますよ(笑)」
久保利「悪運ね(笑)」
堀「人のことじゃないから、自分のことだから悪運って言ってるんですけど」
久保利「うん」
堀「やっぱり、でも、僕みたいに、楽隊あがりで裏方に転じた昔の仲間は、たくさんいるんですよね」
久保利「うん。うん」
堀「でも、生き残ってるのって、あんまりいないんですよ」
久保利「はい」
堀「それは、じゃあ、その人と僕とはそんなに、才能が違うかというと、そんなことはないと。やっぱり、運としかいいようがないなと」
久保利「いやあ、僕はそこは、アグリー(agree)しませんね(笑)」
堀「(笑)」
久保利「違うと思う」
久保利「要するに、楽隊をやってる音楽家としての腕は、それこそあったかもしれない。マネージメントというか、全体を見ながら、我が会社、従業員を含めて、あるいは業界を含めて、こういうふうに持っていきたいっていうその発想と、それを実行する、実現する能力。これを相当、差が、残念だけど、おありになったんではないかなと」
堀「そういうふうに、なんか持ち上げてもらって、自分が乗っかっちゃうと大変なんだよ」
久保利「いや、(笑)もういいじゃないですか」
堀「(笑)」
久保利「(笑)リング降りたんだから。もういっぺん世界チャンピオンになれとはいいませんから(笑)」
【堀威夫/PROFILE】
株式会社ホリプロファウンダー
1932年 生まれ(申年)
学生時代から、ワゴン・マスターズ、スウィング・ウエストなどでバンドマンとして活躍
1960年 有限会社堀プロダクション設立
1963年 株式会社ホリプロダクション(現 株式会社ホリプロ)設立
1997年 ホリプロ、 東京証券取引所市場第二部に上場
(2002年 東京証券取引所市場第一部に指定替、2012年 MBOにより上場廃止)
2020年 ホリプロ ファウンダー最高顧問を退任
舟木一夫、山口百恵、和田アキ子等多くのアーティストを育てる
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