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『怒りと正義の歴史(事件をめくる)』

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事件を振り返ると、そこに、怒りの歴史がある。
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記事一覧

【10月31日 衆院選に関する選挙無効請求事件】

2021年(令和3年)10月31日衆院選に関する選挙無効請求事件の『弁論要旨』のまとめ 原告ら訴…

野村ホールディングス(野村證券)社外取締役就任

バブルが崩壊し、経済の失速に日本が揺れていた1997年(平成9年)、新聞を賑わせる大事件が発…

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弁護士1年目の事件 国を相手にした【釧路村山牧場事件】が私に与えた使命

【証拠収集が何より肝腎】 釧路事件で裁判が始まる前から毎月1週間程度は釧路に駐在して、古老…

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【弁護士になって初めて取り組んだ事件の相手方が国とわかったとき、どう思いましたか…

【弁護士になって初めて取り組んだ事件の相手方が国とわかったとき、どう思いましたか?】今回…

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【ダメだダメだと厳しく指摘していた会社から仕事の依頼が来たとき、どう思いましたか…

【ダメだダメだと厳しく指摘していた会社から仕事の依頼が来たとき、どう思いましたか?】今回…

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久保利です。【スモン薬害訴訟/仮執行妨害】

久保利です。 50年前に参加したスモン訴訟の話を、 仮執行妨害の話を、 今改めてここに書く…

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【太陽よ沈むな!(スモン薬害訴訟)】

1971年、今から50年近く前に起きた製薬会社の訴訟事件で、原告側(訴えた側)弁護団の一員となったのは、久保利が弁護士になって二年目のことだった。 原告の数7500名以上、賠償額1900億という、空前の規模となったこの訴訟は、コーポレートガバナンスやコンプライアンスを強固に主張する久保利の原点ともなった裁判だ。 下肢の感覚がなくなる、視力がなくなる、歩けなくなる者もいる、原因不明の為奇病と恐れられ、10年以上に渡り苦しみ、加えて風評被害と闘ってきた患者たちにとって、やっと

久保利です。【総会屋撲滅の苦労】

私の原体験であるが、総会屋を撲滅するための苦労の原因は、 日本企業の根腐れにあった。 総…

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NTT民営化【初の株主総会指導】

1985年、日本の通信市場は自由競争の時代に入る。 それまで、国内通信は日本電信電話公社…

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平和相互銀行【最後の株主総会】

『防弾チョッキ』 1986年6月27日早朝、久保利は壁にかかる防弾チョッキに触れていた。…

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藤田観光株主総会【現行犯逮捕】

総会屋との闘い 今から50年前の日本は、年に一度の株主総会を乗り切る為に、一流企業が、総…

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【私自身が検察任官のお誘いを受けました(久保利)】

スタッフV「一緒に闘われた修習生の中で、検察の道を選んだ方はいらっしゃいますか?」 久保…

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【検察取り調べ修習拒否】

アフリカから帰国した翌年の1968年、 久保利は1年遅れで司法研修所に入所する。 当時、修習期…

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【大学闘争が起きていた中で行った司法修習とは、どんな雰囲気でしたか?】

スタッフV「大学闘争が起きていた中で行った司法修習とは、どんな雰囲気でしたか?」 久保利 私は司法試験合格後、東大法学部私法コースを無事終了したが、敢えて、1年間で終了できる同学部の政治コースに学士入学をすることにした。 司法試験に現役で合格したら、南アフリカ解放闘争を支援する為に、アジア・アフリカの現実を体感すべく単身バックパッカーとして放浪するという、かねてからの計画を実行するつもりだったからだ。 従って、司法研修所入所を一年遅らせるのは覚悟の上のことだったが、次年