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#64 苦しみは自分の心から創り出される

仏教とは何か、これは現世利益げんせりやくの教えです
私たちがこの現世において、つまり今、
人々を利するもの、人々を益するものというとらえ方をすると、
仏教は確実に現世利益げんせりやくの教えです、来世の教えではないということです
これがまず大前提です

利益りえきというと、お金を儲けると思われると思います
ですが、これは実は仏教の言葉です
利益(りやく)とは、仏様や菩薩から与えられる恵みのことです

これはつまり、他人の為になる行いや周りから喜ばれる行いの結果、
もたらされると考えられています

なので、神社仏閣にお参りに行かれて、ご利益りやくに授かるとか、
お参りしたからお金が儲かるとか、病気がすぐ治るとか、
そういうとても浅い意味での現世利益げんせりやくではありません

来世、つまり未来においてどういう幸せを得るかではなくて、
今世、つまり今現在において、私たちが苦を手放して明るく生きる、
そういう意味での、今の私たちを利するもの益するもの、
そのようにとらえてください

確かに今では、本であれ、誰かのお話しであれ、動画であれ、
あらゆる情報が手に入ります
どれが仏教について、正しく学べるのか、どれを見ればいいのか、
非常に悩まれると思います

学びたいと思うのであれば、いろんな本を読み、いろんな話を聞く、
これはとても良いことだと思います

仏教というのは、私たちがいかに生きるかという本質的なこと、
これを教えてくれます
現代の社会だからこそ、すごく意味のある教えだと思い知らされます

人によっては、何か漢字ばかりで難しいとか、
宗派がたくさんあって教えがその都度変わっているとか、
いろんなことが禁止されてストイック過ぎるとか思われています

もちろん、どんなに有名な僧侶でも、どんなにすごい教授でも、
お釈迦様に直接「これはどういう意味ですか」と聞くことはできません

そればかりか、いろんな解釈だけが、言葉が一人歩きして、
なにか怪しさまで感じられる方もいると思います

ですが、仏教はおよそ2600年も続いています
さまざまな国、さまざまな言語、さまざまな歴史を経てもなお続いています
これはやはり、どんな国でも、どんな人種でも、どんな仕事でも、
仏教とはこういうことなんだと、求めていくとわかります

あらゆる時も場所も人も選ばない、これはつまり真理しんりということです

そしたらなぜ、
来世では良いところに生まれるとか生まれようとかいう話が出てくるのか、
これは、みなさん聞いたことがあると思いますが、
輪廻りんねという思想から来ています

輪廻りんねというのは、私たちは生まれて死んでを繰り返しています
そして、次に生まれたところが、5つのステージがあると言います
それは、地獄じごく餓鬼がき畜生ちくしょう人間にんげん天上てんじょうです、これが五道輪廻ごどうりんねです

後に、そこに修羅しゅらが加わって、六道りくどうになりますが、この6つの世界をぐるぐるぐるぐる生まれては死んでという循環を、
この私たちの命はしているという考え方です

ですから、今世、つまり今、自分が苦しいのは前世で望ましくないこと、
悪いことをしたからその報いである、だから今こんなに苦しんでいるんだ、
このようになるんです

しかし実は、歴史が好きな方、詳しい方は、ピンと来られたかもしれません
この思想は、人間がある土地を侵略しんりゃくして、自分たちのものにして、
そこの人々を統治とうちするために、非常に差別的な身分階級を作りました
カーストと言うとわかるかもしれませんね

そして、一番下の身分の人が苦しいし、そんな思いをしているのは、
「前世でそれなりの行いをしたから今その身分なんだ」と、
「すべて神は見ているんだ」とした考えを利用したんですよね

仏教も確かに、この輪廻りんねの思想を前提として教えがあります
しかしだからといって、
前世で悪い行いをした、そのごうによって現世で苦しい、
だから来世に良いところに生まれましょうという教えではないんです

お釈迦様は言いました、
六道りくどうというぐるぐるいろんな世界を命は巡る、
しかし実はどの世界も、地獄から天上界まで共通して、苦の世界である

これを聞くと、地獄はわかるけども、
天上なのに苦なのは納得できないと思われると思います

でしたら、私たちが考えている苦とか楽って何でしょうか?

例えば、大好きな人がいて、恋をして、その人と付きあうことができた
これは、楽ですよね、ものすごく楽しいし、快楽です
しかし、それが長く続けばいいですが、別れる時もある、
あるいは結婚したとして、当初のそのラブラブだった頃とは違ったりします

そんなことないと、うちはどんな時があってもラブラブなんだと言っても、
どちらかが先に、いつか死んでしまいます
こうなった時、
私たちはその人との生活がものすごく幸せであればあるほど、
これが途絶えた時、反対の方へ同じように振り子のようにふれます
これはものすごい苦しみになります

ですからお釈迦様は、私たちがこの輪廻りんねを循環していること自体、
実は苦しみの世界にひたり続けていることなんだと、おっしゃいました

そして仏教では、この苦しみの世界から抜け出して、
心穏やかな世界に行く、これを解脱げだつと呼びます
さらには涅槃ねはんと呼ぶわけです

つまりこの輪廻りんねという、苦しみの連鎖、ループというものから、
今世、今、抜け出しましょうというのが、
お釈迦様の教えです

私が書いていることが、納得できない、間違っているというのであれば、
どうぞ、他のたくさんの本やお話しから調べて頂いて構いません

さて、この輪廻りんねがなぜ、こうしてぐるぐる回っているのか、
回るということは、何かしらのエネルギーが必要ですよね

このエネルギーは何かというと、ごうです
カルマというと、ピンと来るかもしれません
このごうというのは、私たちの強い思いのことです

私たちの、もっとこうしたい、もっと欲しい、もっとこうあるべき、
というこのもっともっとという思いです
これは、人間ですからみんなこうした思いを持っています、動物もそうです

そしてこうした思いをもっともっと強く持つと、どうなるのか、
それは、執着しゅうじゃくになります

例えば、歩いていて、何か美味しそうなものを見つける、
「あぁ美味しそうだな」と思う、これは誰でもあると思います
そして、これを食べたい、それだけじゃなく、好きな人にもあげたい、
そうして、その人にもあげたら喜ばれた、
よしそしたら、もっともっと買って、
それだけじゃなく自分でも作って喜ばせよう、
「10個、100個、1000個、10000個、いやいや1億個だ」と、
このように思ってくると、だんだんと苦しみに変わっていくんですよね

このように、私たちが何かを思う、これは人間ですから当然のことです
ですが、それがどんどん強くなるとごうというエネルギーになり、
結果として私たちを苦しめてしまいます

私たちが普段、生活の中で苦しいと思う時には、
必ず執着しゅうじゃくしてることに気づくと思います

お子さんがいれば、他の子どもなら気にならなくても、
いざ自分の子どもだから、もっとこうしたいって思いますよね

お金はそんなに持ってません、生活でいっぱいいっぱいですと言いながら、
この文章を読んでいるということは、スマホかパソコンを持っています
ということは、世界的に見れば、お金持ちです
スマホもパソコンも持つことが出来ない人は、たくさんいます

長くなりましたが、このもっともっとと激しく求めることが、
それが得られなかった時、すごく大きな苦しみになる、
このような心の、心理のメカニズムを発見したのがお釈迦様です

つまり、私たちが苦と感じる様々なことは、
あらゆることに対する執着しゅうじゃくなんです
あらゆる苦しみの源は、私たちの心が、内側が創り出しているんです

このことに気づき、その執着しゅうじゃくを手放しなさいと言われても、
すぐにはみなさん放せないと思います、
さらには、執着しゅうじゃくだと気づいていない方も多いです

まずは、すべての苦しみは自分の心が創り出していると気づき、
少しでも執着しゅうじゃくを手放していく、
そうすることで、この今、明るく生きることができる、
ここに繋がっていきます

こうした意味で、仏教は現世利益げんせりやくの教えです

自分のことばかり考え、神社仏閣に行っていませんか?
お賽銭をいくらにしようか考えていませんか?
そもそもなぜ、神社はそこにありますか?


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