見出し画像

#54 いじめについて

進退しんたい」という言葉があります
身体の動きや行動、仕草のことだったり、
仕事においての身の振り方のことだったりで使われます

私たちが普段行う、立ち居振る舞い
立ったり座ったり、歩いたり、食事をしたり、
ぜんの修行や、武道など、「どう」と付くことを経験されている方はわかりやすいと思いますが、この進退しんたいを非常に厳しく、修正されます

足の運びはこうとか、座り方はこうとか、作法がそれぞれ決まっています
ですから、重箱の隅をつつくように、厳しく細かく先生に言われます

武道の道場だと、「心技体しんぎたい」と必ず掲げられています
これは習得するのが難しい順番に並んでいます
武道だけでなく、「どう」と付くもの、華道、茶道、書道など、
これら全てぜんから来ています

どう」というのは、人間の生きる道です
さらに言えば、自分の生きる姿勢を形作るということですね

私たちが何か自分はこのままではいけない、変わろうとする
「よし!変わる」、ですぐ変わりますか?
親が自分の子どもを強い子にしたい、
「強くなりなさい!」、ですぐに強くなりますか?

そんなに簡単に私たちは、変わるものではないですよね
だからこそ変わりやすいところ、「心技体しんぎたい」の「たい」から始めます

私も小さいころから、親や先生、周りの方からの注意されてきたこと
これらは今でも、対して変わっていないと思います
少しだけ大人になり、それが前よりいくらか出なくなっただけです

もちろん、自分の心を強くする、自分の性質を変えることはできます
しかし、それよりもっとやりやすい改善の方法、
それが、「進退しんたい」であり、「心技体しんぎたい」の「たい」です

さて、いつの時代も「いじめ」というのがあります
人間は何かしらの欲求不満が溜まった時に、
あるいは、ぶつけようのない怒りがある時に、
それを自分よりも弱い者にぶつけてしまう愚かさを持ってます

これは誰であってもです、みんなです

そして、その人間の愚かさを吐き出しやすい人、
ぶつけやすい人がいることも事実です
いつもおどおどしていたり、はっきりと言えなかったり、
いじめやすい人、いじめられやすい人はいます

その心や性質、振る舞いはなかなか変えられないかもしれません
しかし、誰でも簡単に今からでもできる、
自分に言われの無いいじめに対する対処、
それは、正座せいざをすることです

その名の通り、正しく座ると書いて、正座せいざです
現在では、血流を悪くする、足を痛める、体罰たいばつだなどと言われ、
あまりすることが減ってきていると思います

しかしそれは、はっきり言って間違いです
正しい正座せいざには、正しい形があります
言葉で書くと、伝わりづらいですが、
足裏や足指は重ねません、そして骨盤こつばん前傾ぜんけいさせます、
そして頭のてっぺんを天へ真っ直ぐ突きあげ、
胸を斜め上へ突き出す、
お尻にしっぽがあり、そのしっぽがアニメのきつねのように、
上に引き上げていくイメージです

これは地面の上でなくても、椅子に座っていてもできます
私は足が不自由なので、実際にはできませんが、
椅子やお尻で座っている時でも、このイメージでできます

猫背でうつむき加減の人と、
背筋が伸び、胸を張っている人では全然感覚的にも違うはずです
そんなこと、と思うかもしれません
しかし、姿勢は大事ですし、何度もすることでできるようになります

とは言っても、無くならないし、根深いのが「いじめ」です

もう少し踏み込んで、書いていきます

なぜ私たちは、いじめるのか?
これは、無知むちだからです

仏教ではこれを、「」と言います
よく私の投稿でも出てくる、貪瞋痴とんじんちの「」です

ではこの無知むちとは何か?
私たちは、どうでもいいことはよ~く知っています
しかし、本当に大切なこと、真理を知らないです
そして知ろうともしないんです

この大切なことを知らないし、知ろうともしない態度や姿勢、
これを無知むち、「」と言います

何々に似てるからとバカにされる、何をしても言われる、
これは言っている側が、無知むちだからです
しかし問題は、言われる側も周りも、
その無知むちの、おバカな奴らと同じレベルになったらダメなんです

もっと知恵ある者にならなければいけないです

動物たちを観てください
いじめを行うのは、人間ぐらいです

私も非常にわかりやすい話を聞きました
それは、ゴリラです
ゴリラは、みなさんが知っているように、とても力持ちです
そして、ドラミングといって、えながら、
あの立派な胸をドンドンと叩きます

その姿から私たちは、ゴリラって怖い生物だと思うかもしれません
しかし、その逆なんです、とても優しい生物なんです

他の動物達や仲間同士での争いを、出来る限り避けるために、
あんなに荒々しいドラミングという行動を取ります
「自分はここにいる、ここは縄張りだからはいるなよ」と、
アピールすることで、むやみに戦ったり、
ましてやいじめたりしないようにする、とても知能の高い動物です

さらに、その知能が高いからこそ、ストレスを溜めます
仲間同士でのちょっとしたいざこざやイライラなどを、
先ほど言った優しさゆえに、我慢します
その為、ストレスが溜まり、お腹を壊したりするそうです

これだけでも、ゴリラがいかに素敵な動物かわかりますよね
それなのに、私たち人間は、
「お前はゴリラに似てる、うほうほ」と、
ゴリラ以下の行動、つまり「いじめ」をします

自分の会社での地位を利用したり、
お金を少し持っていることを利用したり、
たんなる何かの数字が多いことを利用したり、
どうでもいいことを、さも自分が知識があるように言ってきたりと、
あげればキリがないですが、いろんな方法で「いじめ」をします

私たちのこの発達した脳や知能で、
いろんな、こうして行きましょうとか、
こうやって生きやすくしましょうとか、
神様がいつも見ているからこうしましょうとか、
多様性だ価値観だ環境保護だと、様々言っているこの人間が、

この発達した脳や知能を、誰かをいじめる為に、
誰かを傷つける為に使う、
これが進化した私たち人間がすることでしょうか?

そして、そうしたいじめを受けたことにより自殺する
死ぬのは自由です、いつでも死ねます
しかし、悲しいことです
さらに、無知むちのままで死んではいけないです

人間は、ゴリラなど動物をバカにしたりしますが、
ゴリラなど動物は、人間をバカにしたりしません

このバカという言葉は、古代のインドの言葉で、
mohaモーハ」から来ています
愚かなことを意味します
勉強が出来るとか成績が良いとか悪いじゃないです
本当に大切なことを大切だとわからない、
これがバカです

このバカに、いじめられて心を傷つけ、無知むちのまま死んでいく
これは非常に悲しいことではないでしょうか?

こうした愚かな者から離れられるのであれば、ぜひ離れてください
愚かな者と何も変えない者とは、共に歩まず、それしか居ないのであれば、
ただ一人進めという言葉もあります

なので、自分までその愚かなレベルに落ちる必要がないです
そうした者がいるから、やりたいことをひかえるとか、
あるいは止めてしまうとか、それもまた悲しいです

そうした愚かな者がいる一方で、
居るだけで、またはくわしく知らない人でも、
あなたの力になる人間がいることも事実です

そして、あなたを必要をしている人も必ずいます
無知むち」のままでいること無く、
その正体をしっかりととらえてもらいたいと切に思います

もちろん逃げてもいいんです
逃げるべき時もあるかもしれません

しかし、立ち向かおうと思うなら、大事なことは、
自分自身を知ることです

自分の体力、技術、知識、弱点など、それが何であるか知るということです
自分が今何をできるのか、あとは、どこが限界なのかこれを知ることです

それともう一つ、大事なことは、
相手を知ることです

相手がどんな人なのか、自分だけに何かしてくるのか、
他にもしているのか、そういう人なのか、これを知ることです

その相手に対するのは怖いかもしれません

人間は先ほどのゴリラでもそうですが、1対1で戦えばもちろん負けます
でも、捕まえたり、おりに入れたりすることができます
つまり、知恵を持っています

恐怖心を無くすのは難しいです、でも、減らすことはできます
それがこの知恵です、これによって準備をしっかりとする、
これにより、勇気という目に見えないものではなく、
知恵というしっかりとした準備によって、恐怖心を減らすことができます

一口に「いじめ」と言っても、いろんな形があるので、
なかなか全部に関してかけませんが、
少しでもそういう渦中かちゅうにいる方に届けばいいと思います


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?