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#6 煩悩を滅する 捉われなければ爽やかに生きられる

さて、今回の話題ですが、
煩悩ぼんのうめっする、なくすると言いますが
それは、頭や心に何も想いや妄想もうそう
浮かんでこない、とは違います

小欲知足しょうよくちそくという言葉も、
禁欲という意味ではありません

何かこう、「禁欲しなければ」というような意味合いが強くなると、
本当の仏教がわからなくなってしまいます

煩悩ぼんのうは、決して取り去ることはできません
妄想もうそうもどんどんわいてきますよね

つまり、この妄想もうそうとらわれない
これが、煩悩ぼんのうめっするです

生きている限り、たとえ毎日座禅ざぜんに打ち込んでも
どんなにおがんでも、どんなものを供えても、
煩悩ぼんのう妄想もうそうは尽きることはありません

しかし、それに対してかかわらない、
反応しない、これが入滅にゅうめつです

だから、すっきりさっぱりと、
爽やかに生きられます
もちろん仏教を知らなくてもいいんです
そういう生き方をしてる人もいます

私たちが生きて行くうえで、必要な欲があります
ベーシックニーズとも呼ばれます
食欲とか睡眠欲とか性欲とかいろいろありますね

それが無くなってしまったら、
私たちは明日生きることができない、次の世代を残すことができないです

この私たちの欲、これらはすべて快楽かいらく
気持ち良さと直結してます
これがもし、苦痛を伴うものなら、続かないですよね

食べることにしても、毎度毎度ご飯を作るのは大変です
5人、6人分も、1人分も、量は違えど同じく作らないといけません

お母さん方はもちろん、一人暮らしの方もホントに大変ですよね
それこそほとんど一日中ご飯のことを考え、作ったりしてるわけです
洗濯や掃除やすることが他にもあるのにです

それはたまには、ぜんぜん
ゆっくり食べたいですよね

ではなぜ、ここまでして、大変な思いまでして食べるのか、
これはやはり食べることに快楽かいらくともなうからです
生物にはこのような仕組みが作られているわけです

ところが私たち人間は、脳が発達しました
だから、これまでの他の動物たちのように、
ベーシックニーズが満たされて終わり、というところから
それを超えた欲、もっとなになに、それよりもっと、という欲まで
生み出してきました、そしてそれが文化になりましたね

ですから、小欲知足しょうよくちそく、足るを知るというのは、
このもっともっと、というのことなんです

生きる上で必要な欲を満たすのは、
もちろんOKなんです、何も悪いことじゃないです

なので、これさえも「ダメだ」と言う人や
教えが出てきたら気を付けてください
私たち人間は、これをおさえられてしまうと健康が保てなくなります
心も身体も両方ですね

そして、それを破ってしまった場合に、
「あ~どうしよう」となるわけです

多くの宗教はこれを利用してきました
これを破ったら地獄におちるよとかですね

でも私たちが必要な欲ですから、できるはずがないんです
だからみんな破ってしまう、そして後悔や罪悪感がでてきます

「じゃあどうしよう」といった時に、
お金をそなえたり、
お寺や教会に行っておはらいを受けたりしなきゃいけない
そしてそれが、そういう人達の利益になるんですね

ですから、しっかりと理解していただきたいです
必要な欲は満たしていい、もっともっとと追い求めすぎると苦しくなる、
そして、快楽かいらくは長続きしないです

その欲に対して達成するまでが、わくわくして興奮して緊張して、
そして達成すると、終わってしまう
だから次にまた少し高い目標へと次々と向かっていきます

さて、妄想もうそうにとらわれない、
反応しないという入滅にゅうめつ

この、今を生きる、これが大事です
この姿勢が基本のはずです


過去がこうであった、
来世ではこうしたい、
自分のカルマが、
輪廻転生りんねてんしょうしたら、などとよく聞きます

これこそ妄想もうそうです

ブッダもイエスもムハンマドも、基本は同じです

あらゆる経典きょうてん聖典せいてん
聖書せいしょなどでの教えは
様々なたとえが使われています
あらゆる表現やたとえで、教えられているのは、
人間の倫理りんりと生き方ですよね

それを、書かれている文字そのまま見てしまい
その表現を必要以上にこだわると、
本当の真意がわからないまま、神秘というものが
増えてしまいます

If you don't get caught, you can live refreshingly
捉われなければ、爽やかに生きられる


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