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ある愚かな芸術家の自画像ー早すぎる自伝ー#4

螺旋状の無意識について

これは私が20代の頃、大阪医科大学病院で、精神科医のドクターの前で言った、私の経験した無意識で、例えば、縄文土器や、イギリスからヨーロッパ一帯の古代ケルト文明の古代遺跡の入り口の前に渦巻き紋が描かれていて、例えば、児童文学では、フランク・ボームのオズの魔法使いとか、ヒュー・ロフティングのドリトル先生航海記に出てくる、大ガラス海カタツムリなどです。

螺旋状の渦巻きの向こうには住めるお家がありますよということです。

児童文学者の方が心理学者よりも深かった。

黄金分割が、ただの美しいだけの図形であるのなら、特に生きている人には必要ありませんが、それが無意識の深い構造のことだとすると、話は変わってきます。

無意識を最初に学問として成立したのはフロイトからですが、古代から心の内面性の探究が行われてきているのです。

私はこの渦巻き状の無意識を見たのは一度きりですので、こういうものですとはっきり言えませんが、旧約聖書にエデンの東にある、ケルビムと回転する炎の剣のことではないかと考えています。

ケルビムとは何かは、分かりませんが、ケルブの複数形で、ヘブライ語でケルベロスは犬といい、神社にある狛犬のことを表しています。

回転する炎の剣は、無意識のうちに存在する、神による関門です。心を切り刻んでくるため、自己犠牲しなければ、通れない、失敗すれば人間ではなくなります。

螺旋状の無意識は人間の原初的な心性であり、縄文式土器や青銅器にも描かれていたり、ダニエル書のネブカドネザル王の夢や、オーストラリアの土着民であるアボリジニが、自民族の民間信仰である『ドリームタイム』を絵で表現するときに円形状に徐々に重なっていく空間を描いたり、古代から神話的イメージを表現したものに螺旋状を描いたりしています。

特にユング派が研究してきたイメージですがユングは人間には、普遍的無意識があり、そこから元型(アーキタイプ)を導くことができるとしています。

エデンについて書きましたが、聖書のエデンの記述は、地方的な記述ではなく普遍的に描かれている、心の中にある世界です。


私と統合失調症について

私が芸術家として人生を選択してから、統合失調症になるのは避けられなかった。

私は心が表に剥き出して生きてきたので傷つきやすかった。良く言えば繊細、悪く言えば、神経質でした。私が心から愛した女性は、人を上から見下す、マウンティング女子で悪人で、心を傷つけられた。

彼女によって統合失調症になりました。今更恨むことはできませんが、私の人生を狂わせた。呪われた女でした。

統合失調症はストレスによる脆弱性を挙げられますが、心の繊細な人が多いことが挙げられます。

私を最初に襲ってきたのは何度も死ね、死ね、死ね、という幻聴でした。それも友人の声だったので落ち込みました。その声は窓の外からきこえてきたので、自分には霊感でも備わっているのではないかと思いました。
 
その幻聴の体験は拡大して、道路で走ってる車のタイヤの音から友人の声が聞こえたり、トイレの水洗の音から声が聞こえたり、冷蔵庫の電気の音が人の声に変わったり、お風呂の桶の中の水がしゃべり出したりして不思議な体験に取り巻かれていました。

最初私には病識がなくて、毎日聞こえてくる幻聴はそういう特殊な能力が備わったと思っていました。幻聴に従って行動を起こすとろくなことがなかったです。

電車に乗ると、自分の心の声が、乗客全員に聴こえてると思ったこともありました。

幻聴が聞こえてくると、自分の妄想とリンクして別の次元に入ったようになりました。よく困ったのは、私に関わった人の声が聞こえてきて、悪口を言われたり、女性であれば、私の心に話しかけてきて、恋愛感情が起こったりして心のストレスが大きかったです。大変苦労しました。

特に好きだった女性の声が知らない家からして、何度も他人の家の庭に入ってしまって、警察の世話になったりして、心はボロボロでした。

今まで精神病院の閉鎖病棟に入ったのは3回と比較的軽かったと思います。

最初、兵庫県の宝塚を車で走っていると、住宅街から冷気が感じられたので、そこで降りて、家を見ていたのですが、電気料金徴収の大阪ガスのおばさんが、魔女に見えて、家から異様な冷気が感じられたので、不審な動きをしてしまった。その大阪ガスのおばさんが、警察に通報して、警察官が来て、押さえつけられて、一悶着しました。そのうち警官が増えて、警察の背後に巨大な蛇の幻影が見えて、私はヤハウェと叫びました。

聖書においては、ヒエラルキーは悪魔の力です。私は警察に犯罪者扱いされて、痛めつけられました。

警察では、顔の表情が死んでいる精神科医に統合失調症と診断され、茨木市の藍野花園病院に入院しました。

閉鎖室から出て、一般病棟へ移ると、そこには、病気によって意思疎通ができない、人間としての機能が失われた、人間性が失われた可哀想な人たちと出会いました。人によって程度の差はありますが、完全にコミュニケーションが取れる人もいます。

在日二世の人もいて、ニーチェの『人間的な、あまりにも人間的な』の、ポルトガル語の本を病室に持っている人もいました。その人とはあとで退院後にも会いました。英語が得意な人もいて、英語で会話したこともありました。
 
閉鎖病棟にいたのは約3ヶ月で長く感じました。薬をたくさん処方されて、それを飲んだので心が重くて、周りが死んだように見えました。毎日長い時間、寝ていました。外へ出ることが嫌になって病室で長い時間過ごしていました。

病院の建物は狂気を助長していました。冷たい空間でこれでは病気は治らないと思っていました。入院中のことや、幻聴が喋ることを日記に書きました。

2度目の入院は、ある夜、シャボン玉のような透明な幻覚が見えて、幽霊みたいな僕の友達や、創価学会の池田大作に似た霊のようなものが見えて、恐ろしくなって、自分が住んでいる2階の窓から塀を越え、浄化槽に降りたところ、壊れて浄化槽の水の中に落ちました。それでまた警察のお世話になりました。

枚方の大阪精神医療センターに入院し、そのまま閉鎖病棟に入れられて、薬物治療を受けました。最初、手足を縛られて、暴れるわけでもないのに個室に閉じ込められました。

医師は精神疾患者の人権を考えてくれませんでした。

私の人生は恥の連続でしたが、警察官に何もしてないのに、警棒で頭を殴られたり、首を絞められたりしました。何も悪いことをしていないのにも関わらず留置所に1日閉じ込められました。入院は医者の都合で8ヶ月も入れられた。

こっちは精神科医よりまともな人間なのにです。入院中は、死にたい、死にたいと、絶望して希死念慮が強く出ました。

その時日記に書いて精神的に気持ちを落ち付かせていました。

入院中に、北摂地震が起こり、家では、私の大切にしていた陶器が割れて家に帰ってから落ち込みました。兄や妹が家に勝手に入り込んでいたので、わざと割ったのではないかと被害妄想も考えました。

私は妹に精神的にいじめられていました。最初、私の大切にしている本を貸したところ、本をボロボロにして返してきたので怒りました。それから妹は恨みを持つようになりました。私の本を隠すようになり、私の20年間研究してきた、宗教思想史のノートをどこかに隠して私の人生を壊しました。私は妹のせいで、学問ができなくなり、数年間も心が落ち着かず、絶望の日々を送りました。

妹は私の集めていた本もどこかに売って自分の金にしていました。

妹は被差別部落で、元ヤクザの道路工事のおじさんと同棲してから、暴力的な性格に変わった。これは差別ではありません。事実を書いています。妹は金に汚かった。

母が死んで、家の整理をするときにも、金や銀や宝石を漁って独占した。妹は、高村光太郎の智恵子抄から取って智恵子と名付けられたが、悪知恵、浅知恵がついて、人間としては最低でした。

智恵子は、私の大切な古伊万里の磁器を地震が起こったときに壊した。私が、病院に入院しているときにです。明らかに手で割った跡があった。智恵子は、地震にかこつけて私の陶器を何個も割った。私は恨んではいませんがそれだけ妹に、振り回されました。

私にとってショックな出来事でした。妹は、母が死んだとき、母の俳句が載っている同人誌を全部捨てた。妹は、母に恨みがあるらしく、母が死んだ後、母の悪口を親戚のおばさんと話していました。

私は女性は好きでしたが、真剣に愛してくれる人とは出会わなかった。自己中心的な人ばかりに出会いました。FaceBookで、タイ人の女性と出会いましたが、愛ではなく、お金を要求されました。女性は、幸福を求めていない、欲望を満たしてくれるものを要求してきました。私の先生は、女には天才はいないと言っていましたが、そうだと思います。
 
私の元主治医だった渡辺洋一郎先生は、私がアロマテラピーで肉体労働の筋肉痛をラベンダーで落としたことを話していたらすぐに精神医療に取り入れてくださった。その後、私が自分で学んだ栄養学で回復したことを言ったこともあります。私は自立支援医療費をもらっていたので、少しでも役に立ちたかった。

3度目の入院は、私の大学の後輩の小野晃生くんにFaceBook上であからさまな差別をしてきて、暴言を吐き散らしたので、私は傷つき、鬱になり訪問看護師と共に藍野花園病院に行きました。小野くんが、松任谷由実のことが好きで、のめり込んでいる話をしていた時、松任谷由実はそんなに深い音楽ではないし、感傷的で嘘を書いていて物語を作っているからあまり重要な音楽家ではないと言ったら、小野くんは、怒って暴言を集団で吐き散らした。自民党員で、沖縄で、琉夏という泡盛の立ち飲み屋をしている、いわゆる輩みたいな人です。大学の同窓会で知り合い、彼は沖縄支部長、私は近畿支部長でした。私は弁護士に相談したのですが、時間の無駄でしょうと言われ、相手にされなかった。私は、人生において、精神病院で療養することも時間の無駄ではないと思っています。人生で意味のない事などないです。
 私は精神病院、警察の留置所など、普通の人があまり経験しないところを経験したように思います。私は、小野くんを訴えても、恨みを残すだけだと思い、訴えを取りやめました。

私に限ってではないかもしれませんが、対人関係の力学で傷つき、言葉や、あるいは暴力で、脳に傷が付くことで、統合失調症が起こることが、最近の研究でわかってきました。

統合失調症の人と鬱の人は同じ似たような傷が脳にあることが、わかっていて、特殊な方法のCTスキャンで傷がわかるそうです。だからと言って、いまだに統合失調症が治った人がいないのが、精神医学の現状です。

私は統合失調症を通して、神のような存在があることを体験した。

私が生きているのも、お前は必要なんだよと神に言われているようで、努力して、しんどい人生を選択したほうがいいと思っています。

逆に悪魔的な世界も知った。悪魔は現在世界を支配していて、人を大量殺戮していることも分かっています。科学的ではありませんが、科学は無神論が宗教化したものです。

科学は万能みたいだけども、現在、原子力を制御できてないじゃないですか。自然の力をコントロールしようなんて、馬鹿馬鹿しいです。現実はSFのCG映像みたいには、なり得ません。

相対性理論は、原爆によって証明されたが、物質のエネルギー転換は実現したが、エネルギーを物質に転換することができていない。不可能に近いのではないですか?

遠い未来、人間が、物質を作り出せても、放射能を出すのではないでしょうか?

やはり、すべての物質には神の力が宿っているという汎神論的なものを私は信じています。

それはポストモダンではない。後退していると言われるかもしれないが。私は宗教のいう神ではない、神を信じている。それは非宗教的だ。

哲学の貧困
ポストモダンの哲学者だったドゥルーズは自殺した。哲学は自殺を止める力にはならない。

現象学の方がまだマシだ。哲学の課題は、自殺する人をどうやって食い止めるか、それが哲学にできるかだろう。

知を愛したところで何の慰めになるのだろうか?

私は人を愛することに時間をかけてきた。たとえ哲学的には愚かであっても。

哲学は希望については語られていない。絶望、孤独、不条理ばかりを対象にしているが希望の哲学、平和への哲学は語られていない。それは宗教がになってきたからだが、哲学も扱う必要があるのではないだろうか?

ヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン天使の詩』の映画には、「平和への叙事詩はまだ語られていない」という言葉がある。この文章を書いている間も、戦争は無くならない。ロシアのプーチン大統領とウクライナとの交戦はロシア側の残忍さが際立っている。人を殺すことの残酷さに目をつぶってはならない。プーチンは戦争犯罪者として責任を取るべきだ。

今日はこの辺で書き終わります。皆さんからのスキは励みになっています。
ありがとうございます。


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