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アベルとカインー宗教の始まりについて


旧約聖書の創世記のアダムとイブの息子、アベルとカインについて書きます。

ある日アベルとカインがヤハウェに捧げものをしました。

カインは地の実りのよいところを、アベルはヘブライ語でムハラブ、

つまり牛の腸の周りについている油かすを捧げたのです。

アベルはゴミを神に捧げたのです。

ヤハウェはアベルの捧げものを大変喜びました。

どうしてだと思いますか?

残りの牛の肉をアダムとイブと分けて食べたからです。

アベルが行なったことは、原始共産制みたいなものでした。

カインはかみさまのためだけに捧げたのです。

これにヤハウエは、怒り、カインはアベルを殺してしまいました。

カインは聖書の最初の殺人者で宗教はカインから始まります。

この物語は世界の基準が置かれて以来隠されてきた事柄にあたり、

私はそれを言い広めます。

アベルの捧げ物ムハラブは大変重要な言葉で、反対から読むとアブラハムになります。

聖書の最初の重要な人の名前で、ムハラブはまほろばという日本語にもなります。

みなさん聖書をよむときはキリスト教解釈は避けてください。

なぜならカイン、殺人者たちの世界だからです。

聖書はただしく読まないとキリスト教の妄想に巻き込まれます。


この物語は慈悲ということを行いとしたアベルが、殺されるという

悲劇の物語です。

アベルはヘブライ語ではかない、吐息のようなという意味で、精神性を表し、

カインは獲得する、生産するという意味で物質文明を表しています。

キリスト教解釈では、アベルはステーキを捧げたから神に褒められたという

愚かな解釈をしていますが、キリスト教は商売をしているので、

キリスト教の解釈はでたらめです。

カインは長男ですが、
イブが私は人を生産したと言ったのでこの名前が付きました。

聖書には二種類の精神を表した文章が存在します。
それは、ヒエラルギー精神とアンチ若しくはノンヒエラルギー精神があります。

ヒエラルギー精神は聖書で商売している人たちの文章で、
パウロ及びその信仰者つまりキリスト教です。

イエスとは反対の精神のひとたちで、

イエスを神としていますが、イエスの言葉を信じたことがありません。

イエスはホセア6:6の”わたしは憐れみは好むが神への犠牲(宗教)は好まない”
というヤハウェの言葉を二度引用しています。

イエスは宗教を否定しているのです。

神への犠牲というのは、キリスト教は、

賛美の犠牲を行うので、

キリスト教をヤハウェは、否定しています。

やがて神は宗教を作っている人にまた信じて

いる人に、神の怒りを落とすでしょう。

それが現代です。


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