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嫌われたり愛されたり、今日も淡々と #スロー・フロー・ブログ

こんばんは。

一月往ぬる二月逃げる三月去ると言われるように、あっという間に四月になろうとしています。

はたと振り返ってみるとこの三ヶ月は自分も含め、周りの人や世の中で大なり小なり問題が降りかかってきて、それぞれが生き方の見直しを問われる出来事が多かったように感じます。

僕自身、noteでもしばしば触れておりましたが、様々な人の想いが詰まったモノを一挙に整理整頓する役割を担いました。
その中で、さまざまな感情が湧いたし、自分の中に人のせいにしようとする側面、人から褒められることを希求する側面も垣間見えたりもしました。

ほんとうに大変なときにはすべて投げ出す、人任せにするという選択もあったはずだけど、なぜかそれは選ばなかった。

正確に言えばそれを選ぼうとした瞬間もあったし、助けてと周りには言ったのだけれど、吐き出したら楽になって、さあ、やれることをやろうと新たな気持ちで取り掛かることができたのでした。

具体的には何も状況は変わってないはずなのに、吐き出すだけですっきりすることってありませんか?

今日の記事のタイトル、について。

今年に入って、自分を生ききることをよりていねいにやっていこうと決めて、ときめかないことを選ばないことを徹底してきました。

例えばそうですね、買い物するにしても、仕事をするにしても、誰かと一緒にご飯に行くにしても、ときめかないならやらない、ときめくならそれが誰もやろうとしなくてもやる。といった具合です。

ときめくというのは、ただワクワクするということではなくて、非常に言葉にしづらいんですが友人の言葉を借りると「やる感じがすること」といったニュアンスなのです。

その中に、ワクワクが含まれることもあるけれど、必ずしも楽しそうなことばかりではない。
もはや頭では理解できないけど、やる感じがするのでやるということも多々あります。
その結果、喜ばれたり、愛されたり、嫌われたりすることもある。
頭では、この選択は間違えたかなぁと思うこともあるけれど、反省して改善するのもまた違う。
とにかく淡々と“感じがする”方向に自分を転がして観る。

すると、頭では想像できなかったようなおもしろい道が開かれていくのです。

いざゆかん、九州へ。

四月からは友人の縁で九州のとある地で暮らす予定です。
どんな場所なのか、何が始まるのかは行ってからのお愉しみ(僕自身も、未知の部分が多いのです)。
きっと、なにか素敵なことが起きるでしょう。
それだけはわかっています。

写真や音楽が流れの中でより活かされるといいな。
ではでは、今日はここいらで。

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noteを読んでくれてありがとう! 僕らしく、優しさのリレーをつなぐよ。