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思考の向こう側につながる方法 #スロー・フロー・ブログ

2ヶ月間毎日文章を書き続けたことで、発見したことがあります。

それは、あるときから書くことが頭の中になくても自然と筆が進むようになってくるということ。

思考の向こう側と書いたけれど、自力、がんばり、努力と言いかえてもいいかもしれません。

それらを否定したいわけではまったくなくて、むしろそれらを手放すには一度それを握ってみるといいんじゃないかという仮説が今の僕にはあります。

書くことは、出すこと。

作家の田口ランディさんは、文章を書くのが大好きで書くことに困ったことは一度もないとおっしゃっていましたが、僕はそういう感覚を文章にもっているわけではありません。

好きだからというより、感じたことを言葉にすることで感じたことですっきりするから書いてきたという方が近い。
どこかで喩え話を書いたのですが、文章を書くことはうんちやおしっこをすることに近いのです。
我慢していたら誰だって身体を壊してしまいます。排泄物は出すとすっきりしますよね。

そして、出した言葉や文章は、適切な場所に置いておくことで堆肥となって、誰かの栄養になったりします。僕も本やブログ、掲示板の世界に生息してきたので、言葉に含まれた栄養を吸収して育ってきました。

文章が現れる、という感覚。

書くことは出すこと。
気持ちがいいし、健康体であれば基本的には毎日書けるという点も排泄とよく似ています。

そうはいっても、毎日書くことって、書く“まで”は大変で腰が重いんです。そういう日もけっこうあります。

とくに、インプットが少ない日々が続くと、なかなか文章がスルスルとは出てきてくれません。

食べる量を減らすと、分かりやすく出るものも減ってしまいます。
それと同じで、体験のインプットが少ないとなかなか自然と書くモードに切り替わらないこともある。

それでも書き続けるとどうなるのか。

なんと、自分が思ってもみなかったようなことが文章を通して現れることが多くなってくるんです!

自分が書いたものなのに、「いいこと言うな〜」と第三者の立場で感心することすらあります(笑)
指が勝手に動いて文章が紡がれていくのは、けっこうおもしろい体験です。 

「続けること」が、僕らを思考の向こう側へ運んでくれる。

自分が文章の天才だなんて思わないけれど、いわゆる天才と呼ばれる人たちは「続けた人たち」なのではないか。つまり、僕が垣間見た、「思考を超えた何か」にアクセスし、表現し続けられる人たちです。

また、その何かを知るには、“続けることそのもの”が大切なのであって、続ける”対象“は何でもいいのだとも思います。

もっとも、好きなことや心惹かれること、なぜか妥協したくないこと、やっていてどんどん上達が感じられることである方が続け”やすい“から、そういうものを選ぶに越したことはないのですが。

続けることが、僕たちを思考の向こう側へ連れて行ってくれるのです。

今日は、そんな小さな発見をシェアしてみました♪
お読みくださり、ありがとうございました!

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noteを読んでくれてありがとう! 僕らしく、優しさのリレーをつなぐよ。