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写真好きがフォトグラファーとしてご飯が食べられるようになるまでの全記録|30日

おはようございます☀

最近、立ち上げに関わらせてもらって二年半が経つシェアハウスを閉じることが決まり、「ほんとうに平和で持続的なコミュニティに必要なものってなんだろう」「この二年半で僕は何に気づきたかったのか」という問いに思いを巡らせています。

※立ち上げ期のストーリーについてご興味がある方はこちらからご覧ください♪

シェアハウスの片づけを少しずつ進める中、最後だからということで友人二人が遊びにきてくれました。

僕は大学生のころから、血縁関係を超えた家族的なコミュニティに興味があって、渋谷にある「拡張家族」をコンセプトにした場所(以下リンク)に訪れたり、ファームステイという仕組みで全国数十か所の家族の中に入って食住をともにするということをやってきました。

つくるのではなく、表したい。

そんな旅を経て、実際に血のつながりを超えてともに暮らすことは可能だということを知りました。

そこにはやはり、経済的不安がないこと、個々のパーソナルスペースがあり、安心安全のベースがあること、コミュニティの多様性を維持する仕組みがあることなど、現時点では必要だと感じる要素もあります。また、僕が見たのは日本と台湾のコミュニティだけであって、宗教や文化圏を超えてそれが可能なのかどうかはまだわかりません。

でも、少なくとも僕がめぐってきたコミュニティを振り返れば、赤の他人同士だとしても信頼のベースがあればあっという間に打ち解け合えるし、それぞれができることをギフトし合うことで満ち足りた暮らしを共有できるということを知ったのです。

でも、気持ちやモノを分かち合って暮らすことって何も特別なことではなく、いつでも始められる単純なことだな、とも思うんです。誰でも、会ったこともない人が目の前で落とし物をしたら、対価なんて考えずに拾って返してあげたことはあるだろうし、余ったものを分けてよろこんでもらえた体験があるのではないでしょうか。もっと身近な例で言えば、かつて赤ちゃんだった僕たちは、ほとんど見返りを求められることなく育ててもらったのではないでしょうか。

分かち合って暮らすことは、何も新しくないし、誰もが何かしらの経験を通して知っていること。だから、僕はそんなコミュニティをつくるのではなく、ただ表したいと思うのです。

僕にとってはその手段が、文章であり、写真であり、ゆくゆくは映像であり、音楽なんです。仕事とは信じ続けたい世界を表す手段なのかもしれません。

そんなことを、一緒にコミュニティを立ち上げたメンバーと話し合いながら振り替えることができた一日でした。

今日はシェアハウス内の家具や家電をピックアップする作業に時間を使いたいと思います♪
今日もお読みいただきありがとうございました!

自然人

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