ショートショート 1 ホントの気持ち

「あぁーうそだろー」

タイヤが溝に落ちた。


家から峠を超えた先にある評判の手打ち蕎麦屋からの帰り道。

妻は時々思い付いたように、気になる店へ私を誘うことがある。蕎麦の場合もあればうどんの場合もある。隣町の場合もあれば県をまたぐ場合もある。もちろん運転手はいつも私だ。


隣から聞こえてきた。

“なに!?どうしたの!“
“なにやってんのよ!!もぉ!“


峠道の下りの右カーブ、道の中央に小さな岩のようなものが見えた気がして大きくよけた。その瞬間、左前方から大きな音と衝撃が伝わってきた。タイヤが溝に落ちたのだ。

暗い山の中とはいえ何度も通った道、大体の道幅はわかっているつもりだったのに。


私は妻と二人で車に乗ることが苦手だ。というのも妻の本音を聞かされるからだ。


「びっくりしたぁ!どうしたの?」

「あぁ、ごめん。溝に落ちたみたいだ。大丈夫か?」

「うん、大丈夫。あなたは?」

「あぁ、大丈夫。ちょっと見てくるわ」


車の外に出て確認してみた。

口ではやさしいのに、腹の中はキツいんだから。


幸いタイヤが落ちた溝は浅く、車のお腹は地面に当たっていないようだ。そこらに落ちている石や木などを寄せ集め、タイヤの前にスロープを作れば自力で出られそうだった。

助手席前のグローブボックスにある軍手を取りに運転席へ戻った。一応妻にも伝えておいたほうがいいだろう。


“ほんと何やってんだか。こんなとこで落ちるなんてバカじゃないの“
“どうすんのよ。車壊れてないでしょうね“
”へたくそなんだから!!”


運転席に戻るなり聞こえてきた。

私の心をガリガリと削るような言葉に、多少の感情の揺らぎを感じたのだが…

まぁ、気にしてもしょうがない。
こんなことにも慣れたものだ。


私は人の気持ちが読める。


なんとなく考えがわかるという直感めいたものではなく、心の声が相手の声でハッキリと聞こえる。

ただし、二人きりで車に乗っているときだけ。それも自分が運転手、助手席が妻の場面限定で。そう、聞こえるのは妻の声だけだ。


いつも聞こえてくるのは妻の心の声。心の中の独り言のようなものだ。
誰かに聞かせるつもりはないので好き勝手言っている。当然不満や雑言の類いが多くなってしまう。心の声というのはそんなものなのかもしれない。

そんなときは、『声に出していない言葉は伝えるつもりのない言葉』 と、都合のよい解釈をもって、気にしない理由としていた。
この考えは、自分の気持ちを落ち着かせることに役立っている。


運転には多少の自信があった。免許を取って20年、警察のお世話になったことも事故というものにも縁はなく、自分の運転で同乗者が車酔いをすることもほとんどなかった。このような峠道では無意識でやさしいアクセルとハンドル捌きを心がけている。

”丁寧な運転をしていることを感謝してほしいとか褒めてもらいたいというわけではないんだよな。ただ自分の運転で不快に思われるのが嫌なんだよ”


「なんとかなりそうだ。ちょっと待ってて」

「大丈夫そうなの?手伝おうか??」

「いやすぐだから大丈夫、ありがとう」


あの言葉が聞こえてくるのを避けるように、軍手を手に取ると車の外へ急いで出て行った。

なんと思われようと、今回は自分の運転ミスが原因だ。自分に対しての情けなさと悔しさもある。これ以上言われないよう早めに車を出そうと、石や木を拾いタイヤの前に並べていった。


助手席に座る妻を見ると、下をむいた顔がスマホの明かりに照らされ、顔だけが暗闇に浮かんでいた。


ふふっ。丁寧に運転してる割には失敗しちゃったね。
あなたの心の声を聞いてると、いつも何か言われないかとビクビクしてる感じなんだけど、私ってそんなにあなたを責めたりしてるっけ?

石を拾う夫を待ちながら、スマホにはおいしそうなうどん屋が並んでいた。


しばらくすると夫が運転席に戻ってきた。

エンジンをかけアクセルを軽く踏み込むと、ググッっと車体が上に持ち上がると同時に前に進んだ。

「よしっ!出た!!」

「ちょっと待ってて」の声とともに、ドアを開け外に降りた。

タイヤの前に詰め込んだ石と木を取り除き、タイヤやバンパーに傷がないか覗き込んだあと隣に戻ってきた。


「ごめんごめん。すぐ帰るから」

”ほんと迷惑だわぁ、余計なことして時間かかってるし、あぁもうこんな時間!”

夫はやり切れない表情をしながら無言で車を進めた。

”別に褒めてほしいわけじゃないんだ。ただ責められたくないだけなんだ”


「わかってるわよ。うまく出られてよかったね」

「えっ?!…あぁ…うん」

急いで家へと向かった。



人間って不思議な生き物だな。

相手には気付かれないように、お互いの頭に本音を伝えてるのだけど。
本音に対しての答えはいつも心の中で思うだけ。
口から出てくるのは全く違う言葉ばかり。

それでも変わらず過ごせているのは不思議だ。

ホントの気持ちは、すでに自分でも忘れてしまってるのだろうな。


それにしても、お腹に地面が当たらなくて良かった〜

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