読書家って月何冊読めば良いのか分からなくなる訳
結局なんでも数字で競うことになってしまうのは悲しい人間の性なのかもしれない。
こと読書についても何冊読んだとか、何冊本棚にあるとか、いくら買ったとか。
読書好きとしては悲しいし、虚しさを覚える。
そもそも「読書家」なんて言葉が勘違いをさせてしまう。いつから「読書家」なんて出来たのだろうか。
別に何冊読んだからって決まりはない。
どうも日本人は定義してあげないとそれを名乗っていけない、言ってはいけないとなってしまう。
勝手に何かをやること、失敗することを極端に嫌うからこそ定義してあげることで安心するのかもしれない。
「安心」が欲しいのだ。
さて、私が思う「読書家」だが。一冊でも読み始めたら「読書家」への道を歩み始めたと言っても過言ではない。
考えてる暇はない。
さあ読んでみようよ。
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