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オタク生活55年が語る若きクリエイターを”AWAKING"=覚醒させるヒント㊾

”人に伝えるべき”と言う意識を、どのように育てたか②

昨日は、プロを目指した学生時代の意識を書きました。
ある意味、1980年代前半に少年時代、青春時代を過ごした人間である僕が、2020年の時点で同様の年齢で有ったら…と考えても無意味ですが、気軽に”制作””発表”が出来る状況はありがたくって、作品を作りまくたったでしょうね。実質、昨日記載した自主映画は8mmフィルムのフィルム代・現像代だけで20万円(1985年当時で)かかりましたから。今、そのレベルはスマートフォンを持っていれば無料でOKですよ(笑)
ただ、その分、制作準備への本気度が減ったかもしれませんね。
少数での制作の為に準備にこだわるのと、準備不足でも多作で出す。
本当は、準備入念で多作がベストなのですが、なかなかそうはいかないですよね。連日コラム1600字で結構うなっていました(笑)
*今日は長文、2700字だけど…

さて、大学卒業すぐは映像制作の仕事に従事しましたが、現在で言うミュージッククリップ関連の仕事や電化製品のプロモーションビデオ(電子レンジでのクッキングビデオだとか)ホテル案内の映像だったりと、基本的に”商品を持つクライアント”の要望に合わせた作品制作だったので、担当者のことを考えてシナリオや絵コンテを書いたり、文字を直したりもしたが20代前半は、正直に言えば世の中をなめていたのではないかと思います。(おそらく時代がバブルだったので、クライアントのチェックも甘かったのかな?
なんせ、映像制作部門の撤退から販売部門やホテル内CCTVの編成やパンフレット制作をしていた時代は、副業のライターで本業と同格くらい稼いでいたし、その合間で投稿小説を書いていたのだから(それは、それで舐めた人生ではあったが、それなりに文章を書く経験では有ったのだろう)

そんな僕が、プロとしての”人に伝えるべき”と言う意識を、どのように育てたかを語れる時期は、バブル崩壊後、1991年~93年にかけて行った映画宣伝プロデューサーの時代だ。まず、バブル崩壊で不況。娯楽はインタラクティブメディアであるコンピューターゲームにシフトし、オシャレなシネコンなど遥か遠い時代、映画はビデオレンタルで十分と言う時代。独立系の劇場映画宣伝マンには最悪の時代である。そんな時代に、いまは消滅したアスキー映画株式会社の劇場映画宣伝部に入ったのだ。知り合い二人から募集しているよ、と言われた事が切っ掛けだが、志望動機は二つ①大好きなリドリー・スコット監督作品を宣伝できる機会だったから(これは、会社側のニーズにもあった。すべてのリドリー・スコット作品を(副業の)映画評論や、おすすめビデオ紹介で書いた経験があった)②洋画ファンとしては、神様のような映画宣伝マンが常務として存在したからです。

お名前を出す許可を取っていないので、個人名は出さないが、その方の仕掛けた代表作のタイトルだけで凄さが解るだろう。『エデンの東』『ダーティーハリー』『華麗なる賭け』『タワーリングインフェルノ』『リーサル・ウェポン』…昭和のワーナー映画の宣伝マンとして傑作を、日本市場に紹介して大ヒットに導いた方だ。この常務のもとドリュー・バリモアのジャンキーからの復活作『ボディ・ヒート』、今や”ブラック・リスト”で有名なジェームズ・スペイダー主演『ストーリービル 秘められた街』”セックス・アンド・シティ”のサラ・ジェシカ・パーカーの初主演作、ニコラス・ケイジとの共演コメディ『ハネムーン・イン・ベガス』、奥田瑛二の海外進出作『ピアニスト』の宣伝プロデュースを、役職はディレクターだったがリドリー・スコット監督作品『1492コロンブス』を、宣伝プロモーターとしてアカデミー賞ノミネート『フライドグリーントマト』や、少年時代からの恋人/ダイアン・レイン主演の『美しき獲物』を担当。そういえば入社すぐの仕事は、『チャイニーズゴーストストーリー3』の主演、ジョイ・ウォンの来日プロモーションの随行だったなぁ。

この時代の話をすると間違いなく一冊本が書けるので、それは別の機会にするとして、本来の議題に戻りましょう。憧れの常務に対して、最初のプレスリリース用の紹介原稿とチラシ原稿を書いて提出した際の返答が、僕の脳天をカチ割ったのです。「おまえは、無料でもらえるチラシが1500円の支払いと2時間の拘束の切っ掛け と、解っているのか?」一言もなかったです。
学生時代から、当時のヒットメーカー・現在も業界で活躍する方に可愛がってもらえたりして、そこそこ通用していた自分に取って強烈なダメ出しだったのだと思います。その時から、様々なキャッチコピーをひねり出す(ストーリービル 秘められた街』の時は、1時間、社長と常務の前で100個を速射砲のように組み替えて提案したなぁ)も含めて、チェックされたのは”映画の魅力を最適に示す努力をしたのか?”で有って、この仕事は、映画に対する読解力を持っている(その意味では映像制作の実務経験は、非常に役立った)だけではダメで、それを”如何にターゲットに向けて、魅力を伝える文章にするか?”を求められるものだった。
チラシの表側をデザイナーと作成するとともに、キャッチコピーを考え、
裏の説明文を効果的に見せるデザインを、文字数と共に考える。しかも、海外からの情報が少ない場合は、自分から質問をしなければならない。(リドリー・スコットからもらった短文のFAXは、自信の源だ)
更に、その仕事をしてから気づいたのだが、映画鑑賞時に観客が購入するパンフレットに掲載する文章の大半(署名原稿などを除く)は、映画宣伝マンが書いたプレスシートに書いた紹介文(インタビューに対する翻訳文の文体も)の転載だ(僕が担当した作品群は、署名原稿以外はそうだ)これが、デザイナーのデザインセンス(これも、僕の指示を受けてだ)はあるが、500円程度での商品になる。

この、自分の書いた文章に対する責任の重さを20代の後半から30歳にかけて行ったのは、本当に良い経験になった。この経験値があったからこそ、続くゲーム業界でのスタートが切れたのだと思う。
今、あなたが顧客に対する文章を書く仕事、商品を紹介する仕事をしているのなら、その紹介文(記事、サイト)は、本当に”対象者に向いているか?”を考えて欲しいと思います。少なくても僕は、歴史ロマン、エロティックサスペンス、本格推理映画、コメディで文体を変えていました(当然、その系統の雑誌の文体のマネですけどね)

さて、ラスト㊿は、ゲームショップを通じて知った、伝え方の話をしたいと思います。


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