見出し画像

自己紹介 学生編①

最近知り合いが増えて来たので自己紹介も重ねてヒデックスとはどんな人なのか?
記事にしてみました。

-中学校時代-
苛めの対象で3年間虐められ続けた3年間
時には、男子トイレで刃物で脅されたり、教室内で発言すると笑われたり、馬鹿にされたり等たくさんの苦痛があった。
そのことがきっかけで周りの視線を気になりなる日々を送った。
唯一卓球の時だけ、周りの視線を気にせず、無我夢中で熱心に練習に励んだ。そう卓球のみが自分らしさを忘れずに入れる唯一の時間だった。
高校受験の受験では以下の条件に絞り込み挑戦
・神奈川県でベスト8、ベスト16と県内での中堅校
・自宅から60分以上(中学校の同級生とは違う新しい人脈を作るため)
しかし、担任の教師、卓球部の顧問に正反対。
自分が志願した高校は卓球のレベルが高く、自宅から90分のため以下のことを指摘された。
・実力差を見せつけられ挫折する危険性
・お前が続けられるはずがない
・朝起きれず遅刻する(中学時は徒歩7分で通ってたため)
要するにイメージを思いっきりぶつけられていた。
だけど、決してぶれることはなかった。「人生は何事も挑戦」
やってみないとわからないし、やってみた先に「成長」があると思ったから自分を信じその高校へ進学。

-高校時代-
新しい環境への始まり。
最初は90分の通学は予想以上に大変だった。
大変だったけど、一度も寝坊で遅刻したことがなく通い続けることができた。
部活動も中学の教師に言われた通り、実力差を見せつけられた。
天と地の差だった。
3年生の先輩方には「県大会出場は無理」「卓球のセンスがない」と言われた。
3年生が引退し、年が明けた2月。
神奈川県団体戦優勝した中学生レギュラー入りだった3人がウチの高校の進学が決まり、新たに部員へ加わった。
そして、部内リーグが開催。
一度も勝てずに全敗へ終わった。
その時に感じたこと。
・何も成長してなかった
・とにかく悔しかった
・新しく入ってくる後輩たちへ何も背中を見せることがなく引退しそう
など、悪く言えば「屈辱」だった。
何か変えたい。何か1つでも背中を見せられる先輩でいたいと考えたとき。
朝1時間早く起き高校へ着き1人で「自主練」を行った。
自主練を欠がさず行い続け、「 自分自身の課題」と向き合いただ前だけを見た日々のスタート。
2年へと進級した5月2度目の部内リーグが開催。
その結果
前回全敗し最下位→惜しくも2敗したものの部内2位という結果で終えた。
コーチやOBの先輩含め誰もが想像しなかった結果だった。
そこに僅かながらの「希望」と「成長」を得た。
自分のゴールは部内で結果を残すのではなく。「県大会出場」すること。
部内リーグで結果を出した後も朝練をし続けた。

向かえた2年生の夏。
秋の県大会予選が始まる。
なんとその日は38,4℃の高熱があった。
普通なら欠場することが当たり前。
※当時はコロナウイルスも流行もなく規制はありません
だけど夢の切符が目の前だった。
結論、欠場せず試合に出ることを決意。
その結果、県大会へ出場が決まった。その時に感じたことは、「諦めなければ夢が叶う」「日々の努力がいずれ幸を呼ぶこと」ことを知った。
3年生、最後の夏の大会に向けた予選が4月に行われるそこで敗退すれば個人戦の引退が決まる。
シングルスでは危なげなく勝利し切符を手にした。
ダブルスは後輩と組んで思い出試合のはずだった。そう1ヶ月前にペアとなったが練習でも全く勝てなかったからだ。
最後の試合ということもあって自然と気持ちが前の目になり大会にて後輩とも波長が噛み合い奇跡の県大会出場。
まさか、ダブルスも出れるとは顧問、コーチもビックリしてはいたが1番びっくりしてたのは私である。
諦めないド根性を学んだ3年間だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?