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やはり世界は存在するに違いない!

最近妹尾武治さんの「未来は決まっており、自分の意志など存在しない。~心理学的決定論~」を読みました。

世界は私たちの目や耳などの感覚期間を通して脳によって知覚されるため極論を言えば脳に直接情報を埋め込んでもそれを私たちは自分が見たり聞いたりしたものかそうでないかを判別できません。

意識の問題を取り扱う本でよく出てくる「5分前仮説」も同じですよね。

確かに世界が5分前に作られ、それ以前の記憶や情報が全て埋め込まれたものだとしても個人単位では否定できないでしょう。

しかし私たちは斯様に共通認識を持ちながら社会生活を営んでいます。
あなたが見て歩いた東武池袋と私が今日展示を見るために赴いた東武池袋は違うのだと説明づけるほうが難しいと直感的には思います。

やっぱりそんなの嘘で全ては作られたもので全ての人間に埋め込まれたものなのかもしれないですし他人の存在すら埋め込まれたものだとすれば…

この世界は生きてるのは自分たった1人なのだと考えることもできますし私すら存在していないのかもしれない、考え始めると止まりませんね。

でもこの世界は存在することを前提に人間の素晴らしさも私の素晴らしさも受容したいのです。
そしてこれから作る世界は事前に決まっていたものではなく、自由意志で作るものだと思いたいのです。

人間ってやはり未熟ですね。
じゃあ熟した状態ってなんなのでしょうか。神?

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