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「かわいい」という洗脳

私がうまれる1年と少し前に
姉がうまれた
しかしうまれつきの心臓の病気で
姉は1週間しか生きられなかったそうだ

両親が悲しみに明け暮れている中
新たに私という命がうまれた
両親にとってこの上ない喜びであったことは
想像に難くない

幸い元気にうまれてきた私を両親は
「かわいいかわいい」と
必要以上にかわいがった
そして、甘やかした

両親も、祖父母も
過保護であり過干渉であったが
愛されていると実感することはできた

たぶん私はそれを当たり前だと思っていたのだと思う

世の中みんなが
両親や祖父母のように
私のことを愛してくれると思い込んでいた

そして
「かわいいかわいい」
と言われ育てられたことで
「自分はかわいいのだ」
と勝手に思い込んでいた

小学校に入り、中学校に入り
徐々に自分が
「言うほどかわいくないこと」に気が付いた

社会人になり
世の中にはむしろ敵の方が多いことを知った

「かわいいかわいい」と言われ育てられてきた私の幼少期は幸せだったと思う

しかし「かわいい」は紛れもなく洗脳だった

「自分はたいしてかわいくない」
という現実を知り
世間の洗礼を受けたときの空虚感は
なかなかに冷酷だ

今振り返って思う

女の子に対し親が
「かわいいかわいい」と言って甘やかすことは
後々その子のためにならないのではないか


「かわいいかわいい」と
甘やかされて育った女の子は
少々たちが悪い

変にプライドが高かったり
わがままだったりする

それでも
誰もが認める絶世の美女であれば
うまく世の中を渡っていけるのかもしれないが

残念ながらそうではない場合
世間の風当たりは強い

私も例外ではない

自分を愛してくれない世の中を
ときには恨んだりもした

そして、そんな考え方しかできない自分に
嫌気がさした


あるとき私はひとりの女性に出会った

そのひとは自身の孫のことを
「かわいくない」と言った

お孫さんは当時2歳の女の子で
血の繋がっていない私から見ても
普通にかわいく見えた

というかそもそも
それくらいの子どもは
みんなかわいい

そして孫なんて
無条件にかわいいものではないのか?
しかも息子の妻ではなく
自分の娘が産んだ子

かわいくない要素なんてないように思えた

しかしそのひとは
「かわいくない」と言った

日本人特有の「謙遜」で言ったとは思えなかった

つまりそのひとは自分の孫のことを
本当に「かわいくない」と思っていたのだ

人それぞれいろんな事情や価値観があるので
その人を非難する気はない

ただ、そのとき私は思った


もしも世間一般的に見て
それほどかわいくない場合

親や祖父母が「かわいい」と言ってくれなかったら
その子は誰にも「かわいい」と言ってもらえない人生を歩むことになるのではないか、と。


高校生のとき
「私はかわいくないから」
と言って、友だちに怒られたことがある

「自分で自分のことをかわいいと思わなかったら、誰も思ってくれないよ」

友だちは私にそう言った

当時好きだった人への想いがかなわず
悲観的になっていたところもあったように思う

友だちにそう言われたにもかかわらず
私は自分で自分のことを
かわいいとは思えない青春時代を過ごしたが
少なくとも
両親と祖父母は私のことをかわいがってくれた


しかしもし両親や祖父母すらも
幼少期という一番かわいい時期に
「かわいい」と言ってくれなかったとしたら
おそらく誰にも言ってもらえない

「かわいいこと」がすべてではないが
「かわいい」と言われ
無条件に愛してもらえる時期がないのは
せつないように思う

「かわいいかわいい」と言われ
甘やかされて育つと
社会に出てから苦労する

しかしどのみち世知辛い世の中
小さい頃くらい甘やかされて育つのも
悪くないのかもしれない

自分史史上
そんなちやほやされた時代があってもいいのではないか

「かわいいかわいい」と
私を洗脳した親バカな両親が
私に与えてくれたものは
もしかしたら
想像以上に大きいのかもしれない


子どもを産んでわかったことがある

我が子はかわいい、かわいくて仕方ない

うちはふたりとも男の子だが
やっぱりかわいい

ふたりとも中学生になったが
やっぱりかわいい

今でも、むぎゅーっと抱き締めたくて仕方ない

うざがられるので自粛するが
いずれにしても
かわいくて仕方ない

「かわいいかわいい」と
私を甘やかして育てた親バカな両親は
今の私が子どもたちに思っているように
私のことを本当にかわいく思っていたのだろう

その気持ちにおそらく嘘はない

両親が自分の気持ちを
素直に表現して行動してきただけのこと

「かわいい」という洗脳に悪意はない

結果的に洗脳されただけのこと

愛ゆえの洗脳

親になってようやくそれがわかった

見た目の良し悪しで判断される世の中には
なんとも言えない虚しさも感じるが
心の持ち方によってはそんなもの
超越できるのかもしれない


必死になって頑張る姿
楽しくて仕方なくて大笑いする姿
悔し泣きする姿

どれも美しくて、かっこよくて
かわいいと思わない?

内面が輝けば外見も輝く


たいしてかわいくない者の
負け惜しみかもしれないが
それでも輝いていたいじゃん?


「かわいい」という洗脳は
結果的に
私にそんなことを気付かせてくれた

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