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週刊リテラ 第二号(2024/07/23)

ノンフィクション本の愛好家にとって心の拠り所だった書評サイト HONZが終了を迎えた。ここに掲載される書評を片手に書店や図書館を歩いたことが何度もある。信頼していた書評家たちの目利きに頼ることができなくなったからには、自ら本を手に取り、調べ、読んでいくしかない。幸いなことにフィクション・ノンフィクションの別なく毎週、毎月おもしろそうな本が山のように出版されている。この週刊リテラでは引き続き海外で話題になっているものの、日本語圏ではほとんど話題になっていない書籍を取り上げていく。どこかの誰かの琴線に触れる一冊が見つかることを願っている。


『Long Island』 - エイリッシュ・レイシー物語の第二弾

本作は、コルム・トビーンの小説『Long Island』である。2009年のベストセラー『ブルックリン』の続編として2024年5月に出版された本書は、1976年のロングアイランドを舞台に、40代になったエイリッシュ・レイシーの生活を描いている。冒頭から読者を引き込む衝撃的な展開で始まる本作は、エイリッシュの苦悩と葛藤を予感させ、読者を物語の世界へと引き込む。

物語はエイリッシュの平穏な日常が夫トニーの不倫によって崩れ去る場面から始まる。この出来事をきっかけに、エイリッシュは20年以上ぶりに故郷エニスコーシーに一人で帰ることを決意する。アイルランドで再会したジム・ファレルとの関係、親友ナンシー・シェリダンとの絆など、エイリッシュは様々な人間関係に向き合うことになる。作品では、エイリッシュの内面の葛藤や感情の変化が丁寧に描かれ、読者に深い共感を呼び起こす。

本作は、エイリッシュの個人的な物語を通じて、家庭と義務、愛と裏切り、過去と未来、自己発見と成長といった普遍的なテーマを探求している。トビーンの繊細な文章力と登場人物の複雑な内面描写は高く評価されており、直接的な表現を避け、微妙なニュアンスや行間から読み取らせる手法が秀逸だとされている。また、郷愁と喪失という主題の扱いにも定評がある。前作『ブルックリン』を愛読した読者にとっても、新たな読者にとっても心を揺さぶる作品となっている。

『Clear』 - スコットランドが舞台の言語の壁を超えた心の交流

2024年4月に出版されたカリス・デイヴィスの新作『Clear』は、19世紀半ばのスコットランド高地を舞台に、人間の孤独と結びつき、そして言語の力を探究する傑作である。ハイランドクリアランスとスコットランド教会の分裂という二つの歴史的激動を背景に展開される本作は、言語がアイデンティティの象徴、思考の枠組み、権力の道具といった多様な役割を果たすことを巧みに描き出している。

主人公ジョン・ファーガソンは、信仰深い牧師でありながら、経済的困窮から地主の依頼により住人を追い出す役割を引き受けるという矛盾した立場に置かれる。彼とノーン語を話す隠者イヴァルとの出会いは、言葉の壁を越えた二人の交流を通して、人間の本質的なつながりへの渇望を象徴的に描いている。ノーン語の消滅がもたらす文化的記憶の喪失や、新しい言語の習得が個人の成長に与える影響など、言語の多層的な役割が丁寧に描かれている。

本作は、歴史小説の枠を超えた傑作と評価できる。カリス・デイヴィスは、19世紀のスコットランドという特定の時代と場所を通じて、疎外、帰属、言語の力といった普遍的なテーマを探求することに成功している。彼女の簡潔かつ詩的な文体は、読者の感覚を刺激し、深い共感を呼び起こす力を持っている。本作は言語と人間性の関係を探求する深遠かつ洞察に満ちた作品といえるだろう。『Clear』は、言語の多様性や文化的アイデンティティの問題に鋭い洞察を与え、現代社会の課題を照らし出す鏡としても機能している。

『Wandering Stars』- アメリカ先住民 ある一族の苦難の歴史

2024年2月に出版された『Wandering Stars』は、トミー・オレンジによる野心的な小説である。前作『There There』(2018年)の世界観を引き継ぎながら、ネイティブアメリカンの家系を7世代にわたって追跡し、アメリカ先住民の苦難の歴史を描き出している。

本作の大きな特徴は、歴史的事実と現代の生活を巧みに融合させた物語構造にある。1864年のサンドクリーク虐殺から始まり、1969年のアルカトラズ島占拠、そして前作で描かれたオークランドでのパウワウ銃撃事件まで、時代を超えた暴力の連鎖が鮮明に描かれている。オレンジは、これらの出来事を単なる歴史的事実として提示するのではなく、登場人物たちの内面的な葛藤や心の傷と結びつけることで、読者に深い共感を呼び起こす狙いを持っているようだ。また、『Wandering Stars』で描かれているのは、主に植民地主義の暴力と、その後の生活における道徳的混乱から生まれた世代的トラウマである。小説では、絶滅や同化といった肉体的、心理的な暴力の影に隠れた生存者の声が語られる。登場人物たちは、生計を立てるプレッシャーや依存症の危機に直面しており、先住民としてのアイデンティティと真正さをめぐる両義性と複雑さの問題にも取り組んでいる。

オレンジ自身が本作を『There There』の前編であり後編でもあると位置づけている。特に注目されるのは、1800年代後半に始まった悪名高いアメリカ先住民寄宿学校に焦点が当てられている点である。寄宿学校での強制的な同化政策を描くことで、オレンジは文化的アイデンティティの喪失という深刻なテーマに取り組んでいる。これは、現代のネイティブアメリカンが直面する問題—依存症や高い中退率など—の根源を探る試みでもある。『Wandering Stars』は、過去の傷を背負いながら生きることの意味を問いかける重みのある作品だと言えるだろう。

『The Art Thief』 - 犯罪と芸術の交錯

2023年6月に出版されたマイケル・フィンケルのノンフィクション作品『The Art Thief』は、現代史上最も多くの窃盗を行った美術品泥棒、ステファン・ブライトヴァイザーの驚くべき実話を描いている。フィンケルは11年もの歳月をかけて、ブライトヴァイザーとの40時間に及ぶインタビューを含む綿密な取材を行い、この型破りな泥棒の内面に迫った。本書は、単なる犯罪記録の域を超え、芸術、所有、そして愛情の本質について深い洞察を提供する刺激的な一冊となっている。

本書の最も興味深い点は、ブライトヴァイザーの盗みの動機に迫るところだ。彼は金銭目的ではなく、芸術への愛のために盗みを働いたと主張する。自らを「型破りな収集方法を持つコレクター」と呼び、美術館の人間よりも自分が作品を愛し、よりよく保護できると考えていた。この一見滑稽にも思える主張は、盗んだ美術品をすべて母親の屋根裏部屋に大切に保管していたという事実によって、ある種の説得力を持つ。フィンケルは、ブライトヴァイザーのこうした主張を単に受け入れるのではなく、彼の心理を多角的に分析し、読者に深い洞察を提供している。

著者は、ブライトヴァイザーを複雑で矛盾に満ちた人物として描き出すことに成功している。彼の行為は明らかに犯罪であり、社会に多大な損害を与えた。しかし同時に、彼の芸術に対する深い知識と理解、そして純粋な愛情は否定できない。本書はブライトヴァイザーに対する嫌悪と賞賛の入り混じった感情を率直に表現し、読者に独自の判断を委ねている。『The Art Thief』は、犯罪者の心理と芸術への情熱が交錯する、魅力的で思慮深い作品だ。フィンケルの丹念な取材と洞察力のある文章は、ブライトヴァイザーの物語を通じて、善悪の境界、執着と愛情の違い、そして芸術の真の価値について、読者に深い問いを投げかけている。

『Evenings and Weekends』- 現代ロンドンを生きる若者たちの物語

『Evenings and Weekends』は2024年5月に出版された小説で、2019年の猛暑に見舞われたロンドンを舞台に、現代の若者たちが直面する様々な社会問題を丁寧に描いている。著者のオイシン・マッケンナは、主に30代の登場人物たちの生活を通して、経済的不安定、クィア・アイデンティティ、世代間の断絶、コミュニケーションの難しさ、都市生活のプレッシャーといった課題を巧みに描き出している。

物語の中核にあるのが、テムズ川に迷い込んだクジラのモチーフだ。これは2019年のロンドンでの実際の事件を参考にしており、作品全体に幻想的でシュールな雰囲気を醸し出している。クジラは、登場人物たちの個人的な経験と共有体験を結びつける接点となり、彼らが直面する政治的、社会的、経済的プレッシャーや人生の不安定さを象徴している。

ロンドンという都市そのものが物語に大きな影響を与えている。ロンドンは刺激的で魅力的だが、登場人物たちを疲弊させる存在でもある。彼らは週末に集い、束の間の解放感を求めるが、クジラの出現はこの特別な時間が持つ可能性を象徴している。クジラのモチーフを通じて、登場人物たちの個人的な経験と共有体験を結びつけ、人生のはかなさを表現している。クジラを見に行き、それについて話し合い、自分自身を投影していく中で、彼らは自身の人生の不確実性と向き合っていく。

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