今を創っているのは?
今回は「縁」についてちょっと考えてみました。
目まぐるしく流れてゆく「今」という時に、何を悠長な・・・と言われるかもしれませんが、それでも思い出して頂きたいのは、この時代、この時を選んで生まれてきたのは自分・・・ということです。
いったい自分は何を感じたくて生まれきたのか、何を成したくて生まれてきたのか・・・そんなことをふと思ったりもします。
この世界には「時空」という制限があります。つまり時間と空間。
そこに「縁」という波紋の交わりが生まれるのでしょう。
この世界での自分は、いつか消え失せ・・・何もかも失われて・・・人々の記憶の中にも何も残らなくて・・・それでも魂には刻まれてゆく。
だからこそ、魂に何を刻みたいのか・・・その思いはけっこう大切なんじゃないかと思うわけです。
カラダは
タマシヒという乗客を乗せて
この世という海を渡る風音(ふね)
その風音(ふね)を操るのは
イシキという船頭
タマシヒは船頭に
たどり着きたい島の名を告げる
・・・が
タマシヒの言葉は繊細なので
その言葉を聞き取ることのできる船頭は
残念ながら少ない
たとえ言葉が届かなくても
タマシヒはいつも水平線の彼方を
じっと見つめている
どうかするとその横顔は
微笑んでいるようにさえ見える
イシキという船頭は
乗客であるタマシヒの見つめる方向に
きっとたどり着くべき島があるんだろう
・・・と
信じて今日も風音(ふね)を漕ぐ
カラダという風音(ふね)を漕ぐ
そうそう、スライド内の昆陽池の写真はずいぶん前の写真です。
7〜8年前くらいかなぁ・・・すいません。時間がなくて撮りに行けませんでした。
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