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『書きたい』が湧かないのは、心と体に余白がないから。

『書きたい』が湧いてこないのは、「書きたくないから」じゃなくて、心や体に余白がないからだった。

きっと、『やりたい』がわからなくなったり、動けない時も一緒なことが多いなって。

…いつのまにか、そんな話になってた(^^;;

『書きたい』が湧いてくるまで書かなくていい。書くことをやめてもいい。…と思ってたのに。

『書きたい』が湧いてくるまで、書かなくていい。

もしも書きたいが湧いてこないまま、別の何かを『やってみよう』と思う時が来たら…その時は「書くこと」をやめてもいい。

そう思ってた。

「書くこと」を辞めることは、「マッサージ」「セラピスト」を辞めることよりも、めちゃくちゃ簡単だって思ってた。

なのに今、「書くことをやめてもいい」と書いたわたしは、涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔で、noteを書き続けてる。

『書きたい』が湧いてこなくても、『書きたい』って思ってるんだなって。


『わたしはブロガーになんてなりたくない』って思いながら書いてた、あの頃のわたしはどこへ??

2か月前から、なぜか海で動画を撮ってるインスピレーションをみることがある。

この数日、頭の中で言葉が浮かんでも、それを書くことができず…、『そのまま配信できたらいいのに』を何度も思った。

去年の10月には、なぜかYouTubeに反応してワクワクしてた自分がいた。
出雲に来るまで、出雲の海で動画をとる予定だった。

『もう、書かないかもしれないのかな?』って、何度も何度も考えてた。


なのに、どうしてだろう。

まだ『書きたい』が湧いてきてないのに、出雲まで来て、スタバでnote書いてるの。

書くことを捨てたくない。書くことも続けたい。

出雲に来ると、わたしはいつもスタバでパソコンを開いてる。

…なんかね、歩き続けてるより、いろんな場所に行くより、こうやってパソコンを開いて、何かを書いてる方が楽みたい。ほっとする感じ。

これはきっと、東京にいる時にはなかった感覚で。
広島&出雲に来て、たくさん動き続けたから感じる感覚。

頭の中にたくさんの言葉が浮かぶのに…、それをちゃんと外に出すことができない。表現できないのが、苦しかったんだと思う。

わたしはやっぱり、自分の中にわいてきた言葉や感覚を表現したい。

それは必ずしも「書くこと」である必要はない。

「話すこと」でも「ヒーリング&マッサージ」でもいい。
「笑うこと・遊ぶこと」でも「泣くこと」「怒ること」でもいい。

表現の形は、何でもいいの。
…だけど、「書くこと」を捨てたくはない。


少なくとも今、この文章を書いてるわたしは『書くことを捨てたくない』と思ってる。

個別で話す機会、ヒーリングをする機会が増えても…
人前で話す機会が増えて「話すこと」で伝えられるものが増えていったとしても…

わたしはやっぱり、「書くこと」を捨てたくはない。

だって、「話すこと」も「ヒーリング」も、相手がいる。相手に合わせた私になる。

本当に、自分に集中して、わたしのまんまで表現できるのが、わたしにとっての「書くこと」なんだと思う。

だからね、やっぱり「書くこと」を捨てたくはない。
「書くこと」も続けていきたい。

『書きたい』が湧かないほど、余裕がなかった。

『書きたい』が湧いてくるまで、書かなくていい。

いつになったら『書きたい』が湧いてくるのかがわからなかった。
待っても待っても、『書きたい』は湧いてこなかった。

それくらい、心にも、身体にも、余裕がなくなってたんだと思う。
張り詰めた糸がプツンと切れてしまいそうなほどの緊張状態の中。
そんな状態の中にいるのに、誰かのためにエネルギーや時間を使って、誰かと会うために笑ってごまかしてたんだと思う。

そんな状態の中にいたら、『書きたい』は湧いてこないよね。
そりゃ、『1人になりたい』って思うわけだ。


『書きたい』が湧いてくるまで、書かなくていい。

その言葉は、心にも体にも余裕がなくなって『書きたい』と思えなくなってた自分への言葉だった。

あまりに時間がかかるから、『もう書かなくていいんじゃないかな?』『本当は書きたくないんじゃないかな?』なんて考えたりもした。

だけど、もっと単純に疲れちゃってたんだなって。


わたしはたぶん、東京があんまり得意じゃない。
自然があるところにいた方がほっとする。

人といるのは大好きだけど、ものすごくたくさん自分の時間がないと苦しくなっちゃうし。
今自分が何をしていて、何を考えてるのかをオープンにしすぎてしまうと、「わたし」に戻る時間が足りなくなって、苦しくなっちゃう。

この数カ月のわたしは、あっちにもこっちにも、いろんなところに手を伸ばしすぎてたから…、エネルギー切れだったんだなって。
そりゃ、ぜんぶ中途半端になるし、疲れちゃうわけだ。

わたしには「休息」が必要だった。
それは、「何時間休めばいい」みたいな簡単なものではなくて、もっと大事な「心の休息」だったんだと思う。

『やりたい』がわからないのは、余白がないから。余白を作れば『やりたい』は見えてくる。

今回のわたしは、『書きたい』が湧いてくるまでに、休息の時間が必要だった。

だけどそれは、『書きたい』だけじゃない。

何かをやめる時、『次が決まってないのに、辞めることができない』と思う時がある。『これからどうするの?』という不安に襲われることもある。

「あゆみちゃんは、やりたいことがハッキリしてるから、簡単にやめれるんでしょう?そんなに簡単に言えるんでしょう?」みたいな言葉を何度も聞いた気がする。

だけど、いつも思う。
『やりたい』なんて、動いてるうちに見つかるよって。
いま、『やりたい』が見つからないのは…、『やりたい』という感情を感じるほどの余裕がなくなってるからなんじゃないかなって。

手放したとしても…、そこでちゃんと余白を作ってあげればいい。
そうしたら自然と『やりたい』は湧いてくる。

…まさに、今のわたしだよね(^^;

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