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「私の世界から、キラキラした輝きが消えてしまった理由」を考えてた。

今年の3~4月頃、暮らしてた家は「とても快適」とは言い難い場所だったし、人間関係にも「ものすごく恵まれていた」とは言い難い状況だった。

だけど、あの頃の私にはいろんなものがキラキラして見えていて…、なんだか、すごく幸せだったような気がする。


今の私は…、
あの頃よりも暮らしやすい家に住んでる。
人間関係も恵まれてる方だと思う。

正直に言えば、あの頃のように『この人』と思えるほど深いつながりのある人はいない。
あの頃に深いつながりを感じてた人たちとは、物理的に距離があるか…、あとは心の距離が開いてしまったような気がして、関わり方がわからなくなってたりする。

…とはいえ、あの頃とは違って、たくさんの人が支えてくれて、たくさんの人たちのやさしさに触れながら暮らしてる。

あの頃のような「孤独感」を感じることもないし、人との時間・自分一人の時間のバランスもとりやすくなってる。

…なのになんだか、あの頃の私の方が、幸せを感じていて、世界がキラキラして見えてたような気がする。


自分のやりたいことがわからずに、漠然と『書きたい』と思いながら動けなかったあの頃と。
自分のやりたいことがわかっていて、そのチャンスもやってきたりする今。
自分が「本当に書きたいこと」を書くために、書く練習をしてみたりして。今まさに、「本当に書きたいこと」を書き始めようと構想を練ってる段階の、今。

今の方が、ものすごく状況がいい。
なのにどうして、世界からキラキラ感が消えてしまったんだろう?
なのにどうして、私はいま『幸せ』って笑うことができないんだろう?


石垣に戻ってきた時はまだ、キラキラしてた。わたしは『幸せなんだ』って全身で感じてた。
なのに今、どうして私は…。

世界がキラキラして見えたのは、彼の存在があったから。

きっと、彼との関係性が変わってしまったことの影響は、大きかったんだと思う。
そして、『今この世界に、わたしの求めていた彼の存在を感じない』という感覚が、すごく大きい。

今までのように、自分に足りない何かを他者に求める必要はなくなって、『恋愛したい』という感情はなくなった。…自己完結するような感覚。
彼に対して何かを求めてるわけでも、彼の様子をうかがわなきゃいけないような状態でもなくなった。
自分のペースで暮らせるようになった。

だけど何だろう。
彼のいなくなった世界は、すごく普通で。
あの頃のようにキラキラ輝いたりはしてくれないんだなって。

ワクワクする気持ちが生まれて、自分のやりたいことをやっていくチャンスが生まれて…、いろんな人のやさしさ・愛を感じて…、すごく幸せだと思う。
世界はキラキラしていてきれいなんだけど…、あの頃ほどのキラキラと輝く感じはなくて。
あのキラキラした世界を観てしまったから、感じてしまったから…、なんだか物足りなく感じてしまう。

あぁ、私にとって彼の存在は、こんなにも大きかったんだなって。改めて感じてる。

だけど、今の私は、あの頃のような恋愛感情を取り戻すことができないし、あの頃のようなキラキラした未来を信じ続けることができないんだなって。
もう疲れてしまったし。もう、恐い。まっすぐに信じて、傷つくことが恐い。

『このまま忘れることができたら、楽なのに…』って、何度も何度も思う。
『別の素敵な人が現れて、彼の記憶を上書きしてくれたら…』なんて思ったりもする。
だけどきっと、そんなに簡単なことじゃないんだってことも、わかってる。

子どものころから、ずっとずっと探してた。
『いつか会える』と信じて、探し続けてた。
『そんな人、存在するはずないよね』とか、『もしも存在したとしても、そんなに素敵な人なら、私よりもずっとずっと私的な相手がいるはず』って思って、諦めたりもした。
『もう恋愛なんてどうでもいい』『人を愛するのは、恐い』『一人で生きていこう』『自分らしさを取り戻したい』と思った頃に突然現れた彼は、私にたくさんの気づきをくれて、私の世界を変えてくれた。

そんな人を上書きしてくれるほど素敵な人に出会うことに期待するよりも、もっと単純に、自分の人生を生きていくことの方が簡単だろうなって思う。

このまま忘れて仕事に打ち込むよりも、この気持ちを抱えたまま、自分らしく生きていく方がいいんだろうなって思う。

自分が表現したいものを書いていくのに、自分らしく生きていくために、この感情は邪魔になるような気がしてた。
何をするわけでなかったとしても、この気持ちを持ち続けていたら、彼に迷惑をかけると思ってた。

だけど何だろう。
この想いを捨ててしまったら、私の世界からキラキラした輝きが消えてしまう。

きっと私は、この想い・感情を抱えたまま生きていくんだと思う。
その方がずっと、心が満たされていて、幸せを感じることができるような気がする。世界が輝いて見える気がする。

何かの変化が起こって、この関係性が変わったとしても。
何も起こらず、このまま、この関係性が消えていったとしても…。
別の誰かとお付き合いして、結婚する未来が来たとしても…。

きっと、消えることのない深いつながり、ご縁があったんだと思う。


もしも決められた運命のようなものがあるのだとしたら…、やっぱりそこには、彼がいたんだと思う。

本来の自分に戻っていく過程で必ず出会う、キーパーソンのような人。
それが、わたしにとっての彼の存在でもある。

それは「恋愛」というより、わたしが「本来の自分に戻るきっかけをくれた人」で、「一人で乗り越えることのできなかった壁を乗り越えるのを手伝ってくれた人」なんだと思う。
とても傷ついて、人も世界も信じることのできなくなった私に、もう1度信じるチャンスをくれた人でもある。

彼がいてくれたおかげで、魂から『幸せだ』と感じることのできる生き方を手にすることができるのなら、それはもう、私にとっては「運命の人」だったことに変わりなくて。
自分の人生に大革命を起こしてくれたその人を、忘れることなんてできないんだよなって。

たまにね、
『この人の人生にプチ革命を起こすことができたんだな~』と思う瞬間がある。
何カ月たっても、何年たっても、変わらずに喜んでくれて、感謝してくれる人たちがいて。
『あぁ、わたしは、この人の心の中にちゃんと存在してるんだな~』って嬉しく思う。

彼が私の人生に大革命を起こしてくれたのなら…、私は、たくさんの人にプチ革命を起こしていけるように、表現していきたいなって思う。

表現したいことを表現するために、この感情が必要だった。

何の話を書いてても、『表現していきたい』って気持ちが出てくる。
何日たっても、何カ月たっても、『書きたい』と思うものは変わらないんだなって。

半年前までの私はさ、『セラピストとして、伝えたいことがある』と思ってたの。
なのに今はさ、「セラピスト」なんて関係ないんだよね。

なんだろうな。

私は今、「わたし」でいられることが、すごく幸せなんだと思う。
「わたし」として表現したいんだと思う。


最近気づいたんだけどさ、以前よりも嘘をつくのが苦手になった。
自分の本心と違うことを言うのが、すごく苦しい。まっすぐに言葉を発したい。

だからだろうな。
『書きたい』と思う時にしか書けない気がする。
自分の気持ちに嘘をついたままじゃ、書けない気がする。

…だからか。
彼に対する感情が消えて、すごく開放的で楽ちんだったのに。
この気持ちが消えててくれれば、何も考えずに石垣で暮らし続けることができるのに。
私は今、その気持ちを取り戻そうとしてる。自分の内側あるものを呼び覚まそうとしてる。

それはきっと、わたしがその感情を使って表現したいと思ってるから。
それはきっと、「わたしが伝えたいこと」を伝えるために、その感情が必要だから。
それはきっと、その感情がわたしの一部だから。
それをきっと、わたしの魂が望んでいるから。


キラキラを取り戻すために、「自分の感覚を大切にすること」も大切。

『このタイミングで??』って思うんだけど…、話を戻して、わたしの世界からキラキラが消えてしまった理由をもう1つ。

それはきっと、現実に縛られて、「自分の感覚を大切にすること」を忘れてしまったからなんだと思う。


『文章を書きたい』『表現したい』と思った。
だから、書くための時間を作ることが大切で、『書くことを中心にした生活をしたい』と思った。

書くための場所を借りた。
…おかげで、机に向かう時間は増えたけど、自分の感覚を感じる時間が減った。
ご飯を食べてる時も、「書くこと」を考えてた。
何を食べたいか、どこに行きたいか、何を見たいか…そういう自分の感覚よりも、ルーティーンを大切にするようになった。

確かに、文章を書きたかった。表現したかった。
だけどそれは、自分の感覚を大切にしたうえでのことなんだと思う。

「書くこと」にこだわりすぎて、そればかりを考えてる生活に、わたしは色を感じないんだと思う。
…そしてそこには、うまくエネルギーが乗らない気がする。


私には、たくさんの余白が必要。
自由な時間、自由な感性。たくさんの自由が必要。

作業スペースが決まってるから、「〇時~△時は、そこで作業」みたいな決まり事はなくて。
その日、その瞬間、どこに行きたいか、何をしたいか…、そういう1つ1つを大切にする感覚が、必要。
少なくとも今は、そういう感覚を呼び覚ます必要がある。

うん。
自分の表現したかったものを表現するために、もう1度、自分の世界を輝かせようと思う。

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