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チャンスに飛び込めず先延ばしにするのは、基盤が作れていないから。まずは、ブログを書こう。

この1カ月、たくさんのチャンスがやってきた気がする。
自分の中で、『一人でやらなきゃいけない』『一人で現実を動かさなきゃいけない』と思ってたのに、たくさんの人が、サポートしようとしてくれる。
私の可能性を広げようとして、チャンスをくれようとしてる。
…それが、すごくすごく、ありがたい。

そのチャンスの中には、自分のやりたいこととは少し違っていて、断らなきゃいけないものもある。

…だけど、それが「本当にやりたいこと」と繋がっていて、可能性を広げてくれるような、すぐに飛び込むべきチャンスのようなものもある。
なのに私は、すぐに飛び込めなかった。
そのチャンスを『今だ!』と思ってすぐにつかみ取ることができなかった。

『もしかしたら、タイミングを逃したのかもしれない…』そんな不安が頭をよぎる。


『私はどうして、すぐに飛び込むことができなかったのだろう?』

『すぐにチャンスをつかみ取ることができなかったのだろう?』

いくつもやってきたチャンスを眺めながら、考えてみた。


答えはすごく簡単だった。

自分の軸・基盤になるものをまだ作れていないから、『~できてから』と先延ばしにしてしまう。
『楽しそう』『可能性が広がりそう』と思う瞬間があっても、自分の基準があいまいな部分があるから、『それが本当に、自分のやりたいことなの?』と悩んでしまう。

自分の基盤がないから、『~できてから』と先延ばしにしてる。

私の言葉をすくいあげてくれる人がいても、『読みたい』と言ってくれる人がいても、私はすぐに自分の書いた文章を送ることができない。
それは、『私はまだ、自分の表現たいものを書いてない』と思ってるから。
『ツインレイに関するブログを書いてから』『もっとバランスのいい状態で文章を書けるようになってから』と、先延ばしにしてしまう。


人と話せるチャンスがあった時、誰かの相談にのるチャンスがあった時、『まだ整ってないから』と先延ばしにしてしまう。
『自分のバランスが整ってないから』とか『ZOOMできるような環境が、まだ整ってないから』と。
準備が整うのは、いつ??
その辺で出会った人たちの悩みを聞いて、楽しくお話してるのは誰よ?
見えない存在からのメッセージを伝えて、「あの後、~があって…」とお礼を言ってもらえてるのは、誰よ?
偶然出会った人たちには無料でやって…、だけど、それがお仕事に繋がらないままでいる。
なのに、『お仕事にしていきたい』『お仕事につなげていける可能性がある』と感じると、『準備が整ってから』と先延ばしにしてる。

この1年間…、いや、もっと前からずっとそうだった。
自分い使うべきエネルギーを他者に使って、他者が幸せになっていくのを見送って…、本当はそれをお仕事にしていきたいくせに、基盤になるものを作らないままだからずっと無料で提供し続けてる。
基盤を作ることから逃げてるのは、どうして?
どうやって基盤を作っていけばいいのか、自分が1番わかってるんじゃないの?

私が基盤にしたいのは、ブログ。

私にとって、基盤になるのはブログだった。
自分の経験してきたこと・感じてきたこと・考えてること…、そういうものを表現していくこと。

マッサージやヒーリング、カウンセリングやコーチング…、いろんな形に縛られるのが嫌だった。
私はただ、「わたし」として自由に表現したいだけだった。
「わたし」らしく、自由に生きてみたいだけだった。

そのために、私は「わたし」が自由に表現できる環境を作りたい。
だから、「わたし」で表現して、自分のための環境を作っていきたい。
そこに集まってくれる人たちは、きっと、「わたし」に共感したり、「わたし」を求めてくれる人たちだから。
そこでつながっていく人たちと、実際に会うことができたら…、目の前にいる人たちのために、「わたし」として表現することができたら…。
その時に私は、何の制限も感じることなく、自由に表現できるんじゃないかなって思ってる。

…私にとっては、マッサージもヒーリングも、話すことも書くことも…、すべてが「表現すること」だから。
『この人には、スピリチュアルとか、感覚的な話をしないほうがいいのかな?』
『この人に、エネルギーワークしたら気持ち悪がられちゃうかな?』
『この人は現実的だから、わたしを出さない方がいいのかな??』
みたいなことを考えず、ただ目の前にいる人のために、自分が『やりたい』と思うことをやりたいし、『話したい』と思うことを話したい。

目の前にいる人のために、自分にできることがあるのに、何もできないのは苦しいから。
見えてるものがあるのに、伝えたいメッセージがあるのに、『伝えてほしい』と言われてるのに、伝えることができないのは苦しい。
ちゃんと伝えられなかった人が、辛い思いをしてるのを見るのも、苦しい。

だから私は、ちゃんと伝えられる人になりたい。
…だけど、それを求めてくれる人がいれば、そうでない人たちがいることも知ってる。
求めていない人たちに勝手に押し付けるのも違うし、相手が求めてる人か・受け入れてくれる人かを私が勝手に判断するのも違ってる。
だったらさ、求めてくれる人たちを集めて、そういう人たちとの時間を大切にした方がいい。

自分を表現できない・自分を必要としていない相手のために時間を使うよりも、自分を必要として、求めてくれる人たちのために時間を使った方がいい。

いろんなお客様に触れながら、何度も感じてきたこと。
私が、自分一人で触れることのできる人数には、限りがある。
だから、「わたし」でなくても大丈夫な人は、別の人にお任せして、私は私にしかできないことをした方がいい。
普通に店舗でマッサージをしていても、「わたし」を必要としてくれる人ばかりが集まってくるわけじゃない。そこでどこまで「わたし」を出していいのかを確認しながらだと、本当に「わたし」を必要としてくれる人たちに会える時間が減ってしまう。

人生は長いようで、すごく短い。
私が、自分の両手で救い上げることのできる水の量は決まっていて。
私の人生をかけても救い上げるこちのできる量は決まってる。
だったら、私は『どんな水でもいい』と思ってとにかく水をすくいあげるんじゃなくて、自分が『きれいだ』『美味しい』『触れたい』と思う水をすくいあげた方がいいんじゃいかなって。

だから、そのためにも私は、ちゃんと自分の感じてるものを表現していきたい。

もっと別の形・可能性もあるんじゃないかなって思ったりする。
だけど、今の私がすぐにチャレンジできる可能性があるのはブログだから。
まずは、ブログを書いて軸を作りたいと思う。

「話すこと」をしていくにも、自分の基盤・基準は必要。

わたしらしく、自由に表現すること。
その手段の一つとして、「話すこと」がある。

「スナックやバーで働いてみたら?」と、何度か紹介してもらった。
半年前は、離島の飲食店も紹介してもらった。

たくさんの人と話せる。
その可能性に、いつもワクワクする。
…と同時に、不安も感じる。

そこでは、「わたし」でいることができるの?
それとも、「わたし」を隠さなきゃいけないの??

「占いでもなんでも、やってみたいなら、それをやってもいいよ?」と言ってくれる人が現れた。
だけど私はまだ、自分のやってる「話すこと」を言葉にできなくて、説明することもできない。
だから、そこに飛び込むことができずに、足踏みしてる。

…あぁ、たくさんの人と話せることを『楽しそう』と思うのと同時に、私は、『「わたし」を隠さず、自由に表現したい。自由に話したい。』と思ってるんだなって。

いやまぁ、そこに飛び込んでみるかどうかは、実際に店舗に行って雰囲気をみて…、後は、話の流れで考えようと思ってる。
彼は目がキラキラしてて、魂もキラキラしてる人だと思ったから、一緒に働けたら楽しいかもしれないと思った。
…と同時に、私のやってることを理解してくれてる人なわけじゃないから、ちゃんと確認をしたいなって。

まぁ、やるかどうかは後で決めるから、今はいい。
ただ、わたしは「話すこと」をしたいと思ってるんだけど、それはただたくさんの人と話せればいいわけじゃない。
心と心が繋がるような、魂が深くつながるような、そんな「話すこと」がしたい。

それをするためには、「わたし」を知っててもらいたいし、「わたし」を信じて、「わたし」で表現させてくれる人がいい。
そんなの私のわがままかもしれない。
だけど、わたしにとってはすごく大切なことなんだと思う。

自分の心を開いて、感性・感受性を活かしていくことは…、ありのままのわたしをさらけ出すことだから。
相手の感情がダイレクトに伝わってくれば、大きく傷ついたりもする。
自分の心を守ることをやめて、傷つくことを恐れずに心を開くということは…、ある意味、命がけでもある。

だから、「質」はすごく大切で。
ちゃんと「わたし」の感覚を受け入れてくれたり、私が「わたし」であることを受け入れて、私が「わたし」で表現することを受け入れてくれる人たち、そういう環境でやっていきたいなって思う。


もちろん、たくさんの人に出会って、たくさんの人と話すことは、いい経験になる。
だから、それをやっていくことも考えてる。

だけど、絶対に「わたし」を表現していく場所は必要だと感じてる。
「わたしはこういう人です」「こういう体験をして、こういう感じ方をして、こういうものの見方をしてる人です」みたいなことを、ちゃんと書いておきたい。

私はわたしが自由に表現しやすい環境を作りたいから。
人に全力で寄り添うぶん、「わたし」の軸になるものも必要だと思うから。
それはきっと、自分を守るものにもなるから。


…「話すこと」に関してのチャンスが来ても、そこに飛び込まないのはきっと、そこで「自分のやりたい、話すこと」ができるかどうかがわからないから。
少しくらいならできる可能性もある、
だけど、大半が「やりたくない、話すこと」だと思うから。

1番いいのはやっぱり、「自分のやりたい、話すこと」をできる環境を、自分で作ることなんだと思う。
そのためにもやっぱり、ブログは書こうと思う。

そして、もしもバーで働くのなら…、その時は、「自分のやってる、話すこと」について知っていきたいと思ってる。
そしてきっと、「話すこと」にもっと自信をつけたいんだろうな。
今まであった「マッサージ」という逃げ道がなくなることへの不安があったから。

※※

自分の中で、ブログに書きたいことはハッキリしてる。

ツインレイや運命の人遠い存在がいたとして、『会いたい』と思って探し続ける。
…それって、満たされない思いがあるからなんじゃないかなって思うの。

だけどさ、ツインレイって、自分の足りなかったものを簡単に差し出して、「わたしを満たしてくれる王子様」なわけじゃないんだよね。きっと。

自分の足りなかったものは、ちゃんと自分で満たすことが大切で。
そのきっかけをくれるのが、ツインレイなんじゃないかなって思う。

少なくとも、私は、「本来の自分に戻っていく・自分で自分を満たしていくプロセス」があった。
それでね、私は彼と出会ったことで突然変異的にそれが起こったというより…、セラピストとして自分で探究してきた癒しが、まさに「本来の自分に戻っていく・自分で自分を満たしていくプロセス」になってた。

当時の私は、自分のやりたいことをやって、自由に生きていて…、1人でも幸せだった。
だけど、心の深い所で、少しだけ窮屈さも感じてた。


そして、偽ツインに会ったことで世界が崩壊して、もっともっと深い部分に残っていた「本来の自分を隠すもの」と向き合うことになって。
文章を書くようになって、自分の人生を振り返ったり、自分の感情と向き合うことになって…、『もう1度、自分らしく生きていこう』『もう1度、チャレンジしてみよう』と思ったタイミングで、彼に出会った。

そのおかげで、さらに本来の自分に戻っていくプロセスが起こって…、今まで魂では『やりたい』と思ってたのに、恐くてできなかったものに再挑戦しようとしてる。


私の感じてきた「ツインレイ」って、ただの幸せ物語じゃなかった。

彼を通して、もう1人の自分と向き合う。
本来の、もっと純粋な自分に出会うために存在した、もう1人の自分。

…そんな感じなのかな??


まぁ、大切なのは、自分が、自分らしく幸せに生きれるようになることなんだと思う。

だから私は、ツインレイの話もそうだし、それ以外にも、自分の経験してきたことをたくさん表現したいなって思う。

それは、言葉で誰かに教えたいというより…、
自分が自分らしく生きて表現することで、『こんな生き方もあるんだよ』ってメッセージを送りたいって感覚のような気もしてる。

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