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「セラピストやヒーラーが不要・みんなが癒しのエネルギーを発して影響しあえる世界」を望んでる。「癒し」を伝えていきたい。

こんにちは、愛弓です。

昨日、「記事・ネタが消えてしまっても、大事なものは心の中にあるから大丈夫」という記事を書いた。

ざっくり説明から始めると…

以前書いてたブログは、1年以上前に公開停止してた。

ただ、『いつか、当時のことを書くときがきたら、ネタとして使えるかも…』と思って、記事のデータを保管してたの。それを、うっかり消しちゃった(^^;。

でもね、当時の記事がなくても、大事なものはわたしの心の中にあるから、それで十分だよねって。

むしろ、過去に書いたあれこれに縛られてしまうよりも、自分の心の中にあるものを、今の自分の形で表現したほうがいいな~って。


※※

これはきっと、セラピストになってからずっと探究してきた「癒し」、ブログを書いたり、家族と向き合いながらも探究し続けた「癒し」、幼いころからの記憶を引き出しながら探究し続けてきた「癒し」。

その「癒し」にも言えること。


10年以上前からずっと、わたしは自分が探究し続けてきた
「癒しのプロセス」を書けばいいと思ってた。

実際に、それを書きながら、自分でも気づいていなかった「わたし」を癒したりもしてた。

…なんだけどね、

実は今、あの頃の感じていたことを思い出そうとしても、あまり思い出せないの。

それはきっと、わたし自身が本当に癒されてしまったから。

…まぁ、『あの頃のことを思い出しながら書こう』と思えばかけるんだけど…、何かが違ってる気がしてた。


もう10年以上も経ってるのに…、当時にさかのぼって、『あれも、これも…』って全部書こうとしてたの。

でも、実際にはそんなに書けないんだよね(^^;

自分でも、わかってた。

だから、向き合うのが、もう1度書くのを躊躇う気持ちがあったんだと思う。


…だけどね、「大事なこと」って、やっぱり覚えてるんだと思う。

心の中に、たくさんのネタがある。

何より、わたしは『目の前にいる客様をもっと深く癒せるように』と思って癒しを探究してた。

そして、それが楽しくて、「癒し」を探究し続けた。それがわたしの遊びで、楽しいことだった。

わたしの「癒し」は、「誰かに伝えるためのもの」「誰かに教えるためのもの」じゃなくて、「より深い癒しを提供するために、身に着けてきたもの」だった。

『じゃ、始めようか』ってお客様に向き合ったら、一瞬で空気や意識が変わる。それがわたしのヒーリング。


わたしの「癒し」は、言葉にはならなくて、ただ「感覚としてあるもの」だった。

この数年間、文章を書きながら、わたしなりに、自分の内側にあるものを言葉にする・伝える方法を学んできたんだと思う。


昔のわたしは、『言葉にする術を持っていない』『わたしにはできない』と思いこんでた。

だから、『あれも、これも…』と全部を言葉にしてみるしかないと思ってた。

だけど今は、わたしの探究してきた「癒し」をすべて理解してもらう必要はないと思ってる。

ただ、わたしが最終的にたどり着いた「癒し・ヒーリングって、もっとシンプルな生き方のことだよね」っていう感覚を大切にしたい。

そして、わたしはきっと、「セラピスト」や「ヒーラー」なんて肩書のない世界を求めてる。

そんな細かい技術なんて不要で。

ただ、それぞれの生き方を大切にすることで、みんながヒーリング・癒しのエネルギーを発して、影響しあえる。

そんな世界を望んでる。


だから、わたしがすべきこと、わたしがしたいことは、「癒し」の技術や知識・細かい手技を教えることじゃない。

ひとりひとりの持つ素晴らしさを伝えて、それぞれがきれいなエネルギーを発することのできる生き方をしていけるように…、必要な時に、必要な人にをサポートする。

わたしは、誰かを癒すセラピストでいたいわけじゃない。

「癒し」を伝えていきたい。


昨日から何度も、昔書いた「セラピストという生き方」という言葉を思い出してた。その意味が今、わかった気がする。


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