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12/6|エンパスと逆エンパス。エンパスのふりをした逆エンパス?

「年末の大掃除」ということで、書きかけのままになっていた記事を、急いで公開してる。
1月からは、新しい自分で表現したいから。

この記事も、書きかけのままになっていた記事の1つ。


※※

10年位前に「エンパス」という言葉を知った時、なんとなく『そうかもしれないな~』という感じで受け入れた。
あの時に違和感を感じることもなく、比較的スムーズに受け入れることができたのは、セラピストをしながらお客様の体の状態を体感することが、多々あったからだと思う。
そして、学生時代から、人の感情や感覚を感じる体験を何度も繰り返してきたからだと思う。

人を見ながら、『この人も、エンパスさんなんだろうな~』と感じることは多々あった。
だけど、彼女たちに対して、自分とは異なる違和感も感じてた。

…『わたしは、本当にエンパスなの?』と疑問に思うこともあった。

それはきっと、自分の強さみたいなものを感じてたからだと思う。
ただ単に、誰かの受け皿になってしまうわけではなくて、「私」という個がハッキリとあるのを感じてたからで。
自分の世界に入ってしまうと、自分が世界の中心になってしまって、人を巻きこんでしまう。そういう自分を感じ続けていたからだと思う。


※※

3年くらい前に「逆エンパス」という言葉を知った時、『なるほどな~』と思った。

…たぶんわたしは、もともとエンパスというよりも、逆エンパスっぽいんだと思う。
まぁ、それ以外にもいろんな要因はあるんだけど…、子供のころからずっと、「私らしさ」が前に出てしまうのが嫌で、みんなと同じように普通になりたくて、『目立たないように』って思いながら、人のマネばかりしてた。
それでも、ふとした瞬間に出てきてしまう自分の個性が、すごくイヤだった。


小中学生のころから、『あの子みたいになりたいな~』と憧れる子たちは、エンパスさんや癒し系っぽい感じの子が多かった。
人のことを気遣うことのできる、優しい子が多かった。

たぶんわたしはその要素を持っていないわけじゃなかったんだけど…、自分では『わたしにはないもの・対極にあるもの』とも思っていたんだと思う。
わたしはずっと、自分のことを『自己中で、人の心を考えることのできない意地悪な人』と思っていたから。

(今になって思えば、人の心を考えるか否かについていってきた人は、彼女の思い通りに動かない私に対して言ってきたわけで…。『人の心を考えることができない』と思った私は、人の心を考える以前に、共感したり、感じてしまう。体感してしまうタイプだったわけで。思いこみだったんだと思うけど、子供の頃は、そんなことを考えることもなかったんだなって。)


セラピスストになってからもずっと、話し方について悩んでた。
わたしは、自分の話をたくさんしてしまう。
誰かの悩みを聴いている時も、「ただ話を聴く」ではなく、自分の感じたこと、伝えたいことと似た体験&そこから感じたことみたいなものを話してしまうことが多かった。
旅行に行った話とか…どうでもいい自分の話をたくさんしてしまう。

わたしのところに来てくれるお客様たちはすごく優しかったから、そんな自己中な話し方をしてしまう私を受け入れてくれて…、むしろ、話を聴きに来てくれる人たちもいてくれて、すごく助かった。

だけど私は、ずっとずっと嫌だった。
みんなみたいに、ちゃんとお客様の話を聴いて、お客様の心に寄り添って話したかった。


※※

いつからだろう。
お客様の身体の声を聴くのが楽しくなった。
いろんなものを受け入れることができるようになって…、お客様の話を聴く機会も、どんどん増えていった。

だけど、どうしても「私」が出てしまって…、「私」が出てることに気づくたびに、『主役はお客様だから』『わたしは目立たないように…』と思ってた。
お客様の心や体が変化して、彼女たちが「愛弓さんのおかげ」と言うたび、「わたしじゃなくて、お客様が自分自身で変わってるんですよ」と言った。自分自身にも、言い聞かせてた。

セラピストとして、「自分のおかげ」ではなく、「すごいのはお客様」「お客様が、自分自身で癒し、立ち上がっていく力を持っている」とお客様に思ってもらった方がいいと思ってた。
その方が、お客さまたちが依存することもなく、いい人生を歩んでいけると思ってたから。


ある人との出会いがきっかけになって、わたしは、わたしの人生からも身を引くことになった。
ポジティブなものの見方も考え方も、いろんなものを否定され続けた。
わたしの身体や心の弱さやダメなところを探され続け…、マッサージをしてる時も、誰といる時も、いかに人の影響を受けてしまってるのかを言われ続けた。
『自分を癒さなきゃいけない』『自分を守らなきゃいけない』『人といると、悪いものをたくさん吸収してしまう』…世界中が敵だらけになって、自分の話をたくさんしてしまう。持っていた強さ・エネルギーが消えていった。


人の感情や感覚を感じること、言葉にできることを褒められるようになった。
ふとした瞬間の自分の言動がどれだけ人に迷惑をかけてるのか・彼がどれだけ苦しんでいるのかを指摘され続け…、いつの間にか私は、自分を前に出すことができず、周囲の人の様子をうかがうようになった。
無意識に、無自覚に…、人を傷つけたり、迷惑をかけてしまうことが、恐くなった。


彼と過ごした時間は、1年未満だったような気もする。
だけど、その間に、わたしの世界はものすごく変わってしまった。

お客様に触れていても、自分のエネルギーでお客様を包み込んで癒すよりも、お客様のエネルギーを受け入れて感じる・自分の中に取り込む感覚の方が強くなてしまった。

ヒーリングとして、そこに良い悪いの判断はできない。
ただ、自分が苦しくて、お客様に触れ続けることができなくなってしまった。

…この頃の私は、完全に逆エンパスではなく、エンパス状態だったと思う。


だけど、セラピストになって数年間の、彼に会うまでの私は、男性性が優位な状態で生きていた私は、もっと逆エンパスっぽかったような気がしてる。
実際に、その当時に魂の状態を見てもらった時、『滋養の泉』と言われて納得した記憶がある。

…まぁ、だらだらといろんなことを書いてしまったんだけど…。


※※

『わたしには、エンパスっぽい時期も、逆エンパスぽい時期もあったな~』と思い出してた。
そして、本質的には逆エンパスっぽいんだけど、後からエンパスぽさを身に着けたんじゃないかなって。

3年くらい前に逆エンパスについての本を読んだ時も、そんな感じだったと思う。
結局のところ、『エンパスか逆エンパスか』を考えていても仕方がなくて…、
その時の心の状態・エネルギーの使い方によって、エンパスっぽさも逆エンパスっぽさもある。
ただ、生まれもった性質は逆エンパスっぽいなって感じ。

それだけ。


だけど、なんだろう。
ここ最近、また「エンパス・逆エンパス」というのが気になるようになった。
さっきもnoteを書きながら、それを感じてた。

…で、思ったの。
まるでいろんな人に影響されているかのようで、いろんな人のことを気にしたりもしてた。
いろんな人の感情・感覚が入ってくる。

…だけど、それはエンパスではなくて、逆エンパスだなって。

たぶん、無自覚な状態の逆エンパスであれば気にしたいんだと思うんだけど…、自覚してるからこそ、気にして相手の情報を取りに行ったり、気にしてるんだろうなって。
「自分」がちゃんとあっても、「他者」を尊重したい気持ちがあるから、自分の場所以外では自分を出しすぎないようにセーブして、人を見てたりもする。いろんなものを感じてたりもする。


…うまく表現できないかもしれないんだけどさ。
逆エンパスっぽいのに、ちゃんと自分を表現せずに抑え込んで、周囲の反応をうかがってるから苦しいんじゃないのかなって。
その中での反応の一部が、エンパスさんっぽく見えてしまうのかもしれないなって思った。

…とはいえ、周囲のエネルギーや感…、いろんなものが自分に影響してることには変わりない。

自分が幸せでいるためには、周囲の人たちの幸せも大切で。
周囲の人たちが幸せでいる時じゃないと、本当の意味で自分が幸せになることはできない。
そんな感覚がある。


…これも、そうなのかも。
もしもエンパスさんなら、『周囲の人達が幸せなら、自分も幸せ』と書きそうな気がしたけど…、『わたしは違う』と思った。
周囲の人たちが楽しそうにしてても、自分が苦しかった経験があったから、そんな風には思えなかった。

まぁ、どうでもいいっちゃどうでもいいんだけどね。
やっぱり、『もともとは逆エンパスっぽいんだろうな~』と思うことが多いなって。


それでね、『もともと逆エンパスなのかもな~』と思うことが増えたのはきっと、今、その逆エンパスっぽさを受け入れて、その逆エンパスっぽさを活かしたい時だから。
…というか、それが本来の私で、自分の人生を楽しむことのできる「わたし」だからだと思う。

自分を抑え込んだ私じゃなくて、わたしらしさ全開で、表現していきたいんだろうな~って。
そんな感覚。



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