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「うっせぇな、クソばばあ」への切り返しがお見事

「うるさいな、くそばばあ」
これは「対話の除幕」の言葉です。通訳するとね「私は今から自分の言いたいことを口にしようとしているけど、あなたは聞いてくれますか?」という意味。

そう解説しているのは大阪市にある『大空小学校』の初代校長を務めた木村泰子さん。学校の校則はなし、あるのはたった一つの約束のみ。
「自分がされて嫌なことは人にしない、言わない」

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上記は木村さんの著書『「ほんとのこと」は、親にはいえない』から。
著者の切り返しは「はい、ババアは認めます。クソはいらないけど」

ここで「はぁ? 誰に向かって言っとんじゃ!」と腹を立ててしまったら、子どもは「うっせぇんだよ」と言って自室に引きこもる。せっかく始まろうとしていた対話が終了。誰が終わらせたのだろう?

子どもはあの手この手を使って親の関心を引きつけようとする。「クソばばあ」に至るまで何度かアクションはあったはず。

「お母さん、ちょっと話しがあるんだけど今いいかな?」 「う~ん、今お母さん忙しくて疲れているから、また今度ね」など。

大人同士の対話なら他にも方法はある。だが、いかんせん、子どもは言葉を覚えてまだ数年。語彙力に乏しい。どう言ったら受け流されず反応を得られるか考えた結果が「クソばばあ」なのだろう。


忘れ物をする子に説教しても意味がない

著者が教員時代に子どもが何かを忘れたと言ってきた。それに対して「そう、それで?」と聞くだけ。忘れるのは仕方がないことでしょ、誰だって完璧じゃないからと。

体育の授業で体操服を忘れた子がいる。目的は自分が体育の授業に参加すること。どうすればそれが可能になるのか子ども自身に考えさせる。
「どうする?」 「友だちに借りてくる」
無事に借りられたら「やったー」でOK。

「貸してくれなかった」 「じゃあどうする?」
「着替えずに、この服のままする!」 「ドロドロになったらお母さんに怒られない?」 「怒られる…」

そうやって困り果てるまで考え尽くすと、子どもは次は困らないようにしようと自分で思う。結果的に忘れ物が減っていくと。
体操服をどこかから持ってきて与えるのは「考える機会」を奪うお節介。

あるとき最終的に「俺、上半身裸でやる」と言った子がいた。寒いし怪我したらどうすると聞くと「俺が悪いから、怪我してもいいから裸でやる」と。

運動場に裸で体育の授業に出ている子の姿を目にして、保健室から先生が飛んでくる。「何をさせてるんですか! 裸で運動させたら危ないでしょ!」
保健の先生は著者に指導して「そういうときは私のところへおいで」と、その子を保健室に連れて行く。保健室には体操服なんかがたくさんストックしてある。「これ貸してあげるから」

そして体操服を着た子と一緒に保健の先生が再び登場して、みんながいる前で一言。「校長先生、やり直し」そう告げて去っていく。

子どもたちは「木村先生、かわいそう」みたいな同情の表情を浮かべている。「あんたが体操着忘れて、私が怒られた…」なんて笑いで終わる。
こういうありのままの大人の姿を見せていた。

忘れ物をしてくる子どもに必要なのは「忘れ物をしない子どもに変える」ことではない。忘れ物をしたとき、その困難をどうクリアするか。そのために考えて行動する力をつけること。それは将来自分を助ける自律する力となる。


過保護を通り越した過干渉

本書を読みながら「ふむふむ、へぇ~、ほぉ~」と頷いてばかり。なかには「えっ!? そうだったの」と子どもの言動を私が間違って解釈していたことを指摘されグサッとくる場面も。

この時期は中学校の部活動の本入部が決まった頃。学校の先生に伺うと「近年は部員数の偏りが激しくて調整が大変」と仰る。例えばスポ少で野球をやっていても中学校では卓球やバドミントンのような個人競技に転向する傾向にあるそうな。

「せっかく今まで続けてきてもったいなくない?」と訊くと「自分のせいで負けるのは嫌なんです」と返ってくる。自分がそう責められたのか、その光景を目にしたのかは分からないが、極端に失敗を恐れている。

一体その子には何があったのだろう? 小さい頃から我が子が失敗しないように親が口を出し、手を出しと過保護に育ててきたせいだろうか。子どもがミスするのを想定して事前に全ての壁を壊していく過干渉な親もいるという。

子どもが壁にぶち当たったとき親ができるのは「どうする?」と訊くだけ。
決して突き放すわけではなく、寄り添って一緒に考える関係であるように。
そうしないと自分で問題解決できない子を社会に放り出すことになってしまう。

「試合で負けるのは嫌」で終わったら何も変わらない。勝つためには何が必要? グラウンド10周走ることだろうか、腕立て伏せ100回だろうか。腕立て伏せを頑張ったところで、どんなプレーに活かせるのかな?

今行っている筋トレが何の役に立つのか説明できる部員はどれだけいるだろう。「顧問の先生が言っていたから」で終わらず、自分たちでポジション毎に練習メニューを考えてみたらどうだろう。考えながら行うだけで新たな課題が見えてくるはずさ~ 親はしゃしゃり出ず見守っているだけでね。


日焼け自慢コンテスト

私の小学校時代、クラスの中で「夏休み明けに日焼け自慢コンテストをするから休み中はいっぱい外で遊んでね」と担任からのイベント告知があった。
頭でも運動でも一番になれない私は密かに計画を練ることに。

夏休み初日からバスタオルを持ちパンツ一丁で自宅の屋根に上る。ところがトタンの上の熱さは尋常じゃない。寝っ転がれないので諦めて屋根までのハシゴの途中で背中を焼くことに。電柱に留まるセミの如く。

順調に焼けてお盆の頃には全身真っ黒。「へっへっへ、これで優勝は間違いねぇ」 ただ、小学生の私に欠けていたのは計画性
盆が明けるとボロボロと皮膚が剥がれ落ちてきたのだ。マジかよ~!

迎えた2学期の始業日。黒板の前に自信のある男子生徒が上半身裸で並び、日焼け具合をクラスメートに見てもらう。ゴマフアザラシのような斑点模様になってしまった私は惜しくも優勝できなかった。

その1年後リベンジを果たすことになる。目的意識を「ただ真っ黒に焼く」ではなく「始業日当日をピークにする」と変えただけ。

今思い返しても当時の私は真剣に取り組むポイントがズレている。そのエネルギーを勉強に注げよって感じ。アホさ加減は今でも変わっていない。


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