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現代対遮、あるいは HyperLydian、解析"的"接続【1】

割引あり

注:タイトルにある3つの厳つい語は、全て私の造語です。通じません。
(~Lydian のアイデアは、私が確認する限り Jacob Collier 氏が先です。)

しかし適当ではなく、真面目に検討してネーミングはしています。

最後のは「解析学」の「解析」の意味でつけているし、解析接続を連想はしています。
流石にそのまま借用してはつけられないよ。私、数Ⅲの内容すら知らないもん。

 私が近年、世の実例から観測しており、また私自身も作品中に使うようになった、とある「不協和」の一種の話です。

 それは、三度堆積和音の形で記述すれば、G△7/F△7 のような音響。
 [ ファ ラ ド ミ ソ シ レ "ファ#" ]。※音名です

ピアノ十二候』上巻より「五月晴れ」終盤。
『幻想組曲』より「森の案内人」冒頭。1小節ごとにペダルは踏む。

 音程構造を維持して rootC に移すと、D△7/C△7 になります。
 [ ド ミ ソ シ レ ファ# ラ ド# ]。※音名です

 これらの音群を、「2つのコードの連結がある箇所」という感じでなく、さも「単一の和声が持続している区間」であるかのように採用します。

↑ 2番サビ直前(2:06)のチェレスタ、C#△7/B△7

アルペジオしているが、完全に8つの構成音を全て同時に鳴らしている。
B: Ⅱ△7/Ⅰ△7

🔹




対遮

 まず上記音響が、「取り立てて言うほどに」不協和である、ということにピンと来ない方もいらっしゃると思うので、知識として導入して下さい。

🔹

 「対遮(たいしゃ)」というのは、「対位法」と、その次世代の「和声法」の、2つの思考回路の狭間に発生する概念だと、私は位置づけています。

(※歴史的事実はさておきます。私が説明時にそう位置づけるだけです。)

対位法(counterpoint):ある旋律に、別の旋律を加え・重ねていく。
和声法(harmony):音響全体を瞬間瞬間で輪切りにし、その断面を観察。
Chord-scale theory:行き過ぎた前者。輪切りにした断面以外を見ない。

元は作曲法の違い。引いては音楽に対するモノの見方の変遷。
「文脈の捨象」の歴史とも言えるか。最後は最早「文脈の無視」だが。

 ここの末席にChord-scale理論を添える筆者は、私が先駆かも分かりませんが、もちろん今回の話に関係あるので居ます。


🔸付録🔸

大雑把に「対位法風」な編曲。
上段の旋律を元に、下段の「対旋律」を追加構築した。

考えていること:2つの旋律の各々の音符が、その瞬間にどんな音程を形成しているか。
それが強拍か弱拍か。その上で各旋律がぎこちなくないか・ワンパターン過ぎないか。など。
大雑把に「和声法風」な編曲。
同じ旋律を元に、「和声の伴奏」で支えた。

考えていること:4声部が、全体として何の和音を形成しているか。和音同士が自然な連結か。
和音から3rdが欠落していないか。その上で各声部が自然か・互いに離れすぎていないか。など。


(なお、コードスケール理論は「単旋律」が与えられて何かするメソッドではないため省略。)

🔸付録おわり🔸


 「対遮」は、”対位法” 的に(旋律と旋律と…だけを見て)作曲していたら発生していた、"和声法" 的な観点での不協和、の一つです。

 「旋律 + 旋律 + 旋律 …」の発想で、ヨコの流れ(個々の旋律の自然さ)だけを見ていると ”成立” し得るので、和声法的な「タテの響き」の観点からも二重チェックしない?どうでも良くなくない??
……みたいな流れが、西欧音楽史上にあります。

 作曲法(作曲哲学)の過渡期です。
両者は「優れた対位法処理は和声法的にも優れたものであり、優れた和声法処理は対位法的にも優れたものである」と評せる関係であり、「アプローチの違い」として、その主流が和声法主軸へと変遷していきます。

対位法は、今も音高や音大で習うと思います。
実用できる場面は、和声法よりもややレアです(実体験に基づく)。



対遮の取り扱い、の派閥(?)――和声法とジャズ理論の違い

 で結局、何を引用しようか迷いましたが、例の本での定義を引用します。

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