【とろび:8のめ】強火、中火、弱火…とろ火?
『弱火』と書き「とろ火」と読む。
教科書には独特の「わかち書き」があるから、うっかりなことに別物だと思っていたらしい。どういう経緯だったかを検索してゆくと、日本ネスレのレシピサイト(2007)に行き着いた。学校では習うことのない「弱火(よわび)」とは平成から使われだした料理の専門用語だったよ。
[とろ火の経緯]
1.明治のころから『弱火』と書き「とろび」と読んだ
2.青空文庫で検索してみた
① 洋食には「弱火(とろび)」がある
明治36年(1903)刊行 村井弦斎「食道楽」
・春の巻/第79 36品
……弱火(とろび)へかけてザット二時間位煮ると肉が柔に……
② 家事一般では「弱火(とろび)」だった
大正元年(1912)10月初版 羽仁もと子「女中訓(※)」
・炭火の扱い方
……湯をわかすくらいは、強火でわかしても、弱火(とろび)でわかしても、
なんの変わりもあるまいと……
③ 平成で「弱火(よわび)」と使いわけはじめる
平成5年(1993)8月20日第1刷
・佐藤垢石「鯰」(収録:『たぬき汁』以降)
……弱火の後、一時間ばかり文火(とろび)で煮てから碗に入れてだす
のであるが、これはひどく手数がかかる……
3.学校では「弱火(とろび)」と習っていた
④ 石井智恵美「初等家庭科の教科書にみる炊飯指導法の変遷(2008)」
教科書では一貫して弱火(とろび)だった。
・昭和31年(1958)
…中火で5分、とろ火で15分…
・平成17年(2004)
…ふっとうしたら中火(7〜8分)、水が引いたら弱火(12〜15分)…
→ 時間が同じことから「弱火(とろび)」だったことがわかる。
教科書特有の「わかち書き」だね。小学校でならう「弱」には
「とろ」の訓がなかったからだ。なお、弱火より小さな火力は
「さらに弱火」「極めて弱い火」とし平成のような使いわけなど
はしていない。
4.辞典の初出は平成25年。以降は料理の専門用語で定着
⑤ 「三省堂国語辞典 第七版(2013)」
とろび[とろ火](名)〘料〙とろとろ燃える、弱火より弱い火。
よわび[弱火](名)〘料〙弱くほのおの上がる火。(↔強火・中火)
ところが、ただ名詞としてとる他の国語辞典に火力の違いは見られない。
国語辞典では「弱火=とろ火」だった。
5.以下は記憶が不確かな推測だが……
a. 昭和な時代は混在した?
ガスレンジの火力は「高、低」と区別した。
・家電が「強、弱」だけだった影響から誤解されたか。
・弱火(よわび)には商標などで権利があるため辞書に載らないか。
b. 「とろ火=とろい(※2)」説
関西弁には「とろい奴」との方言があり、この「とろい」とは火の勢いが
弱いこと(※3)といったデマが出回った。
→ 平成になり言い換えが起きた
c. 弱火(よわび)は平成20年(2007)のYahooデマ
知恵袋が元ネタ。この時期かなり出回っている。
出典として参照されるのは日本ネスレのレシピサイト(リンク切れ)。
( http://www.recipe.nestle.co.jp/from1/cook/word/ya/yowabi.html
インターネットアーカイブ(※4)で確認したがすぐ削除されたらしく
なぜそんなものがあったのか経緯まではわからなかった。
【注記】
※1:現代は「お手伝いさん」と表記するところを表題のママ
※2:障害者を侮蔑《ぶべつ》する方言で民放連の放送禁止用語。現在は(方言はつかわないため)外れているので言い換えせす表現した
※3:とろ火とはとろみが出るまで煮込む火加減のこと。仕上がりであって単に火勢が弱い火ではない
※4:インターネットアーカイブ ( Internet Archive wayback machine )
6.なぜ中火だけ重箱なのか?
強火も弱火も訓読みなのに、中火だけ、なぜ重箱読みなのか……なにか変だと思いませんか?
ちなみに、温度(※5)について確認しておきましょう。
『薪ストーブ』は250℃〜300℃で火がつき、可燃性ガスの着火点である450℃で炎を出しはじめ、炎が見えなくなる700℃で安定します。また『炭火』は、着火の当初は高温で1,000℃近くになり盛んに煙を出します。やがて炎が見えなくなり600℃程度で安定します。
こうして安定した状態の火を「熾火(おきび)」といい、遠赤外線量が多く料理に最適とされます。安定した火に風を送り強くしたり鍋をふり遠ざけることで、炒めるときの火加減は、600℃(Low:低い) 〜 1,000℃(Hight:高い)の間を上下します。
屋外での焼肉やBBQで焼き目をつけるには5秒、焦げ目をつけるときは熾火で10秒ほど焼きを入れ、傍らへよけてなかまで余熱で火を通すようにします。 団扇であおいで肉を焦がしてしまうのは、普段のおとうさんが料理をしないからですよね。
このように安定した熾火は基準といえる火でもあるので「中火(ちゅうび)」ともいい、鍋を火から遠ざけた『遠火』だと300℃〜600℃、中華鍋やフライパンなど直接火にかける『直火(近火)』では600℃〜800℃になっています。
一方、弱火は「IH調理器の温度設定だと150℃前後のことを指す」とされます。現代の鍋・フライパンは複合素材の軽金属でできていて熱の伝わるのが早く大きな火力は必要なくなっています。
どうでもいい話ですが、わたしはフライパンを6本持っています。備えつけの調理器具が、温熱器(ヒータ)、ガス(コンロ)、電気(IH)、電磁気(レンジ)と変わり引っ越すたびに買い替えてきたからです。ついにはどれも使っていません。
よく考えてみると150℃は、炭火や薪では鎮火あとの「底火」なので、俗にお米を炊くときに「火をひいた」後で火が通る(※6)弱火とは違います。
整理してみましょう。
i. 弱火とは「じゅうじゅう」〜「ちょろちょろ」の間
ii. 直火(近火)は焼き炒めるときの火。炎の大きさで分ける。
・永く保たれる「大火力>中火(ちゅうび)>[小]」がある。
・ここでの[小]とは鎮火するときの火力だから料理には使われない。
iii. 遠火の強火より低いところに「調理器の火加減:強↔︎弱」がある。
家庭用調理器の火加減は「鍋底の温度」なのでそもそもが低い。
ここまで強火、中火、弱火の関係を火力だけでまとめると
中火>(弱火 ⊇ )遠火の強火>(調理器の強弱)>弱火
なぜ中火だけ音が変なのか謎は解けたのだが……
……こんなのゆとりには理解できよ。
火力で区別すると、とてつもなく可笑しなことになることだけはわかる。
いや、そもそも焼く炒めるの中火と煮炊きにつかう強火や弱火といった、調理法が違うものを横に並べるのが変ってだけだったりするのだけどね。
【注記】
※5:ここでは温度や火力のことを「火の勢いとその時のおおよその燃焼温度」といった漠然とした感じで捉えることにする。オーブンでもないのによく考えてみると、料理の温度管理など不可能だからだ。台所といった開かれた空間では気温、室温、人の気分にも影響されるからね。
※6;薪どうしを『離す』ことで鎮火ができる。薪はお互いを輻射熱で高めるからだ。薪を減らし熾火を散らして消火することを「火をひく」という。教科書だと中火から弱火の20分間にあたる。
[まとめ]
火力(火の勢い)とは
・炎の大きさで「大>中」に分ける
・調節のしかたで「強>弱」に分ける
・設定温度では「大火>中火>弱火(とろび)≒遠火の強火>弱火(よわび)」
・家庭で扱う火はすべて「弱火(よわび)」
・「弱火(よわび)の『弱』」を「とろ火」と書くのは造語
思い返してみると昭和な時代、ガスレンジの低火力は強かった。調節などできず、煮込み料理は石油ストーブの上で作っていた。教科書でも火力の違いでわけておらず、さらに弱い火もわかち書きで「とろ火」だった。
それ以前の料理書では仕上がりの違いで「とろ火」には、『瀞火』、『文火』といった漢字が当てられている。火力の違いでなくおおまかに係る時間の違いだ。
変わったのは平成になってから。どうやらこれは確実なようだが、検索で分かった範囲だと弱火(よわび)と呼びはじめたのはYahoo知恵袋が出所のようだった。ただし、出典も根拠もどうもはっきりしない。なぜそういった思い込みが生まれたのか気になるところだが、さらに調査を続けてみたい。
弱火(よわび)とはネットで広がったデマだったようだ。
ネットデマは再生産されやすく騙される。典型的な例なのかもしれない。
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