でもきみの悲しみだから聞いているありふれたありふれたなきごと
でもきみの悲しみだから聞いているありふれたありふれたなきごと/藤井
2022.4.24 うたの日『から』
自分だけが辛かったらいいのに。
そう考えていた時がある。
辛いのが自分だけだったなら、それに押しつぶされてだめになってしまった自分を許せるのに。
辛さに押しつぶされることなく歩き続ける人たちと自分とを、比べなくていいのに。と。
私の悲しみはきっとありふれている。
悲しみを寸分違わず分かりあうことなどできないくせに、自分の悲しみが普遍的な感情だなんて、あまりに残酷な話だ。
だけどそれは、私だけのことではなくて。
きみの悲しみもきっとありふれているのだろう。
きみはひとりぼっちじゃない、という言葉を肯定的な意味で捉えることができず、もがいている人がいる。
辛いと感じてしまうこと自体を辛いと思ってしまう人がきっと沢山いる。
だから私は、きみが悲しんでいるのならば、その悲しみをちゃんと見つめていたい。
それがどんなにありふれた悲しみであったとしても、悲しんでいるきみはきみ1人だから。
きみの悲しみを感じられるのはきみだけだから。
ありふれた泣き言でも、きみの悲しみだから聞くよ。
この星から私ときみ以外の人が消えてしまっても、私はきみの話に、今と同じ相槌を打ちたい。
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