雪の果て 私が私のために泣くまでを代わりに泣くひとがいる
雪の果て 私が私のために泣くまでを代わりに泣くひとがいる/藤井
2023.3.22 うたの日『私』
雪の果て。終雪、その冬の降りじまいの雪。
それは、その雪が降っている時には、そうだとはわからない。
暖かくなり、桜が咲き、また暖かくなり、もう雪は降らないだろうという確信をもって、あれが終雪だったのだと気づく。
そんなふうに後から気づく悲しみがある。
誰かに教えてもらってやっと気づける悲しみがある。
最近、職場で嫌なことがあった。
ミスをしたとかではなく、受動的に、自分が嫌だと感じた。
前から薄々感じてはいた。けどその時は、決定的に嫌だった。
でも、薄々感じていた時のように、嫌だとは言わずに流してしまった。
普段から、嫌なことを嫌だと言えない自分がいた。
自分のことを大事にしていないと言われることがあった。
職場でのことを恋人に相談すると、恋人はとにかく怒って、とにかく悲しんでいた。
私の舞台で繰り広げられている悲しみなのに、恋人は主演役者のように悲しんでいて、私は客席からその様子を観ているみたいだった。
そこで私は初めて泣いた。
客席にいる自分が嫌で。
悲しませていることが悲しくて。
嫌だったことがやっと、ちゃんと嫌だと思えてきて。
そのあと職場の関係者に連絡をしてこの件は片付いたけれど、電話をしている間、涙が止まらなかった。
私はこんなに悲しかったんだな、と思った。
私のために悲しんでくれる人がいたから、やっと気づけた悲しみなんて、情けなくて、でもそんな人がいることが温かくて、救いで。
そんなあなたの救いに私もなりたくて、そのためにまず自分を救って、救う方法を知ろうと思った。
だからかけることのできた電話だった。
あなたもそういう気持ちで怒って、悲しんでくれたんだろうな。
恋人は自分のことを我儘だと言うし、私に出会うまでは他の誰でもなく自分のために生きてきた、と言う。
確かにちょっと我儘なところもあるけど、今では私のことを自分よりも大事だと言うし、大事にしてくれている。
あなたは私に出会うまで、私を大事にするための練習をしていたんだと思う。
私はその練習をすこしさぼっていたから、今からそれを復習してもいいかな。
やり方をあなたに教わりながら。
泣き止ませたいひとがいてだからまず自分の頬で練習をする
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