日本人と韓国人の心の壁

最近朝鮮問題で日本人とあちらの人間との人間不信でお互い理解できない、ということが断絶しようとか、向こうは原爆落とせとか、皆殺ししろなんて、汚すぎる言葉で、ネット上では騒いでいる。あちらは
猿どもは俺たちと心は同じだという こちらでは 考えられない発想で、これは逆にこちら側もおなじで、心は、お互い話せばわかりあえると信頼する、でもこれがとんでもないカン違いで、実は人間の心の溝は大きい、元々両国は 感覚というか、発想が根本的に違うのだ。どう違うのか?ネット上に掲載されたあちらの国の実例を覗いてみよう。
 小さい時から、家庭教育、学校教育、社会教育の中で “思いやり” に類したことは全く教育されていないのです。 韓国では幼稚園でも小学校でも、日本のように「皆と仲良く」とか「他人に迷惑をかけるな」という教育を一切やりません。反対に、一貫して強調されているのは「一番になれ」「他人に勝て」という事です。
 父親の仕事の都合で、日本の幼稚園や小学校で何年間か学んだ韓国の子が,韓国へ帰ってから何事かにつけ同級生たちに遅れをとって困るという話もよくききます。他人を思いやったりしているうちに何でも先を越されてしまうそうです。こうなると韓国社会への復帰は容易ではありません。ネットで掲載されていたが、ある、韓国在住経験者が体験したことだ。~
私が韓国で娘たちといっしょに公園へ行くとよく目にする光景があります。それは例えばブランコの前で 子どもたちが順番を待っているところへ、子どもを連れたお母さんなり、おばあさんなりがやってきます。 すると並んで待っている子はおろか、ブランコに乗っている子も引きずり降ろしてその大人の連れて来た子が ブランコに乗ってしまうのです。 その他の子どもたちもそれをまたごく当然の事として受け止めているのです~  そこで韓国の発想に日本と言葉がない心の概念はないか?と思い、 思いやり という表現がないか?と考え
 辞書を見ると韓国語で「同情する事」「推測すること」などとなっています。 しかし、これでは “思いやり” という言葉に含まれた深い気持ちは表現できません。 結論から言ってしまえば韓国人は “思いやる” ということをしません。 そういう言葉がないということは、そういう気持ちも、そういう行為もないことになります。それゆえ、 向こうでは思いやるのではなく、優位を自慢するの0です。頭をさげると、下げたほうを差別化するのです。バカにするのです。教育も強制で断定で他の考え方を認めません、発想がこうも違うから、学ぶほうも、思考停止の奴隷化の従属的になるのです、ですから、支配層と奴隷の二極化になるのです。あちらの国では民主市議は無理なのです。

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