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旅するBD-1

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BD-1で日本各地をポタリング旅。
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#自転車旅

旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_48:坂下宿(鈴鹿峠)

DAY 5 11:08_坂下宿(鈴鹿峠) 2018.3.27の記憶●鈴鹿峠はいつも旅人と話す場所だった 宿場町には連子格子の建物だったり、かつての街道筋だったことを連想させる雰囲気が残っているものです。しかし、坂下宿にはそうした残り香がほとんどありません。確かに、沿道沿いに民家が増えますが、それは山間の道路を走っていれば普通にある集落と一緒です。 もともと小さな宿場だったならば気にもなりませんが、かつては本陣が3軒と脇本陣1軒をあわせて旅籠が51軒もあったという賑わった宿

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_47:関宿

DAY 5 9:25_関宿 2018.3.27の記憶●関宿は観光地として勝ち組の宿場です 鈴鹿川沿いの道は〈小野川橋東詰〉で国道1号線に合流。160mほど進むと関宿と書かれた大きな看板が見えるので、1号線から右に分岐します。 道幅の狭い東海道旧道を進んでいくと、左手に関一里塚と鳥居が見えてきます。ここが関宿の江戸方、この先1.8kmほど宿場が続きます。 1984年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された後に整備されたのでしょうか、いきなり道路もわかりやすく砂舗装に切

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_46:亀山宿(night)

DAY 4 22:26_亀山宿 2018.3.26の記憶●やっぱり旅は事前情報なしに行く派です 庄野宿から亀山宿までは、8km弱の距離。撮影しなければ、30分ほどで4日目の走行は終了です。そう考えると、暗い夜道をただただ走る行為も、それほど辛くはありません。ただし、東海道旧道沿いの見どころは、暗闇のためにまったく気がつくこともなく通り過ぎるだけです。 現代の徒歩もしくはポタリングでの東海道旧道の旅は、かつての街道筋に思いを馳せながら目で見て楽しむものかもしれません。しかし

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_45:庄野宿

DAY 4 21:43_庄野宿 2018.3.26の記憶●宿場のほうが真っ暗な現在 真っ暗な道から再び国道1号線に合流。街路灯の明かりを頼りに、サドルバックから登山用ヘッドライトを取り出し、来たるべき夜道に備えます。というか、むしろ遅かったくらい。 ヘッドライトを首に提げ、いつでも手元を照らせる準備をして再スタートです。石薬師宿から庄野宿まではあっという間。 国道1号線へは側道から右車線に出ます。信号もなく左車線へ渡れそうもないのでそのまま右車線の歩道を進みます。

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_44:石薬師宿

DAY 4 21:09_石薬師宿 2018.3.26の記憶●狭い夜道はもったいないだらけ 暗くなると、旧東海道がいかに現代ではメインストリートではなく裏道であるかがよくわかります。 明るいときは、コンビニや飲食店がないので困るのですが、これはちょっと迂回して用を足すことができます。しかし、この旅は旧東海道を走るのが目的なので、暗いからといって街路灯のある幹線道路や国道1号線を走るわけにはいかないのです。 明るい四日市宿を抜けると、一気にあたりは暗くなります。しかし、まだ

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_43:四日市宿

DAY 4 18:51_四日市宿 2018.3.26の記憶●東海道はアーケード街 東海道旧道は1号線に合流後、海蔵川を渡って再び分かれて裏道へ。三滝川あたりが浮世絵ポイント。三滝橋を渡ると四日市宿です。 あたりはすっかり暗くなって、血糖値も下がってきたようです。桑名宿からここまで、サッと食事を済ませられるような飲食店はありませんでした(見逃しただけかもしれませんが)。ここは是が非でも四日市でコンビニではないお店で食事を摂りたいものです。

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_42:桑名宿

DAY 4 17:38_桑名宿 2018.3.26の記憶●伊勢国の入り口に到着 国道1号線で揖斐川を渡って、夕暮れの川沿いを1kmほど走ると、桑名宿の浮世絵ポイントに出ます。 宮宿から桑名宿までの海路の距離がおよそ七里(約28km)あったので、七里の渡しと呼ばれていました。舟でどれくらいの時間がかかったのか知りませんが、弥次郎兵衛がその間にトイレに行きたくなったときのことを心配するくらいですから、それなりに時間はかかったのでしょう。 自分の場合、ルートミスした上に、途中

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_41:宮宿

DAY 4 14:39_宮宿 2018.3.26の記憶●ひつまぶしは、思い出の中でだけで 名鉄常滑線のガードをくぐると、右手に伝馬町一里塚が見えてきます。そのすぐ先が都々逸発祥の地。宮宿の江戸方もちょうどこのあたりになります。 このまままっすぐ進みたいとろこですが、伝馬町駅前の県道225号線は中央分離帯に植え込みがあるために、信号のある場所まで迂回する必要があります。 無事に県道225号線を渡り旧道へと戻ると、200mほど先にT字路が待っています。東海道旧道は左、熱田神

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_40:鳴海宿

DAY 4 13:29_鳴海宿 2018.3.26の記憶●宿場より存在感ある間の宿 一里塚は、道路の拡張などからたいていは片方だけしか残っていません。その点、阿野一里塚は、往時のまま両方が残っており、国指定の史跡となっています。 その阿野一里塚から東海道旧道を3kmちょっと走って、県道222号線へ。古い町並みを残すエリアに入ります。するとすぐに浮世絵ポイント。 今回の旅では、歌川広重の浮世絵の場面となっている浮世絵ポイントで撮影することを決まりごとにしておりました。そこ

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_39:知立宿

DAY 4 12:33_知立宿 2018.3.26の記憶●食欲を満たすには国道1号線で 矢作川を渡って、岡崎宿の浮世絵ポイントで撮影したあとは、国道1号線に並行した東海道旧道を西へ。 しかし、どうやら血糖値が下がってきた模様です。常に体を動かしているせいか、いつもより空腹感が半端ありません。「食欲」を満たさないことには、BD-1の旅は先へ進めないのです。 こんなとき、旅情あふれる旧道にはコンビニやファミレスが少ないのが難点。常時表示している東海道の地図アプリを見ると、6

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_24:金谷宿

DAY 3 6:16_金谷宿 2018.3.25の記憶大井川を難なく渡って、東海道旧道へ戻ります。 空には雲ひとつなく、綺麗な快晴。太陽が黄金色に辺りの景色を照らし出し、もうそれだけで気分が上がります。金谷宿に入るとすぐに橋があり、そこの桜の見事なこと。まだ町は静かなので、心置きなく写真を撮って再スタートです。 ●満開の桜を独り占め

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_23:島田宿

DAY 3 6:01_島田宿 2018.3.25の記憶アルコール(プレミアムモルツ小瓶×2本)によって、強制睡眠したはずですが、やっぱり眠りは浅かったようです。自宅ソファで迂闊にも寝てしまった時のような体の節々の痛みで、早々に目が覚めてしまいました。 遅れを取り戻すために、3日目はかなり距離を稼がないといけなくなり、日の出前からの出立。桜が開花する季節とはいえ、日の出前の時間に自転車で走るのは相当に寒い。 ●桜の季節とはいえ、防寒対策が肝心です 保土ヶ谷宿の時にも書きま

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_22:藤枝宿

DAY 2 18:33_藤枝宿 2018.3.24の記憶日が暮れる前に宇津ノ谷峠を越えることができ、気分的にも緩んでしまいました。 ナイトライドも考慮した東海道の旅でしたが、前照灯はなんとたったの50ルーメン。日常では街路灯のある道しか走ることがなかったので、50ルーメンで暗いと感じたことはなかったのです。 ●気がつくと夜間走行に 当初の予定では、日本橋からスタートした初日しかナイトライドする予定はなかったので、漆黒の暗い夜道を走る計画はありませんでした。しかし、東海道

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_21:岡部宿

DAY 2 17:55_岡部宿 2018.3.24の記憶初日の箱根、そして二日目の薩埵峠ですっかり坂恐怖症になってしまったわたくし。宇津ノ谷峠をBMW i8で越えたとき、やっぱり坂であったことが記憶にありました(しかし、どれ位の勾配のどれほどの長さの坂だったかの記憶は曖昧なのです)。 ●迫る日没、峠越えもアドレナリン全開! クルマだとアクセルひと踏みビューン! コーナーがあれば、ヒルクライム最高! となるのですが、BD-1だとほんのちょっとの坂道も、苦行以外の何物でもあり

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