例えば線路。
例えば飛行場。
例えばサーバー。
例えばごみ捨て場。
例えば上水・下水道。
見えないところで、インフラを維持するために日々頑張っている人たちがいる。
その人たちが1時間不在なだけで、支障をきたす可能性がある。
そしてその支障をきたすレベルが、大災害、死者が出るほどの高さである。
そのように重要な割に、人々の関心度は低い。
なぜなら、成果が目に見えにくいからだ。
科学の発展は、分かりやすい。
新発見。
深海に行けるようになった。
病気が治る。
月に到着する。
新たに生まれる。
成果が目に見える。
分かりやすい。
メディアで書き立てやすい。
そのようなものとは異なり、保守とは、
維持すること、エラーをなるべく発生させないことが命題で、些か地味目である。
できて当たり前。
できなかったらバッシングの嵐という運命だ。
システム構築費には大枚叩くのに、保守にはお金を出し渋る世の常よ。
インフラ整備に関しては、男性が行なってきたことで専門技術を持つエンジニアということもあり、一般人にはそれほど感謝されないものの、給与や待遇は概ねそれほど悪くは無い印象のものもあるが、
これが、女性が行うインフラ整備、維持、保守になるとガラッと変化する。
それらは「家事」という一言にまとめられ、感謝も敬意もないどころか蔑まれ能無しと見なされ、もちろん給与など発生すべくもない。
男性が行うことでも、単純労働系は、倉庫、流通も、それほど待遇は良くなさそうだが。
保守系の仕事は派手さもなければ目立たないし成果が計りづらく資格も不要ということで、古来取るに足りぬもの、奴隷の労働とされてきた。
お店に並ぶ品物は見えても、その棚に品物が届くまでのサプライチェーンのことは、目に見えない。
壊れた後、翌朝に直っている機械類の、真夜中の工事のことは、目に見えない。
結局人は、自分の目に見えたことだけをこの世のものだと考える傾向がある。
私はお店に不休で朝から晩まで出ている時期があったが、ある月に2度、たった数時間外出した時があった(仕事で外出)。その2回の不在を狙ったかのように私を訪ねてきた客人に「あなたしょっちゅう休んでる」と言われた時には目玉が飛び出した。
そう、真夜中働いている人が日中いつも寝ていると、昼間働いている人から「あの人いつも寝てる」と軽く言われるような感じで。
それはまぁ良い。人間の想像力なんてそもそも期待していない。
しかしなんなら、そこに見えている・存在しているのに、見てないことの方が、若干、心折れるのかもしれない。私も驚くほど周りが見えていない(見られる環境にあるのに)。
サプライチェーンのうち、品物を棚に並べる人の労力は、人々は目にしているはずだし、その人が並べなければ棚に並ばないのである(小泉進次郎のようだが)が、その労力は瑣末なことのように扱われる。
将来ロボットに置き換えることのできる仕事は軽視して良い?例え将来ロボットがやることになろうと、今そこで働く人の仕事は、今は少なくともロボットがやっていないのだから、尊重すべきでは。
なんなら、自宅のトイレットペーパーの在庫を誰かが気にしているから困ることなく日々生活できているのに、その管理業務をなぜ軽視するのか、さっぱり理解できない。誰でもできるなら、自分でなんでもやれば良い。
イノベーションや進化だけを優遇し続けてきた人類史である。
閑話休題。
川勝氏の問題は、想像力の貧困さが露呈したことではなかろうか。
彼が例え早稲田の修士、オックスフォードの博士課程を修めたところで、この手の想像力の欠如は知性の貧困さに直結する。結局、どんなに学問をおさめようと、その程度の知性のレイヤーしか持ち得ないということを、衆人環視のうちに曝け出した。
繰り返すが、私ほど学者を尊敬する人間はいないと自負する。寝食さて置きある課題に取り組み私の知りたいことを調べ上げる。素晴らしい。知性に最大限の敬意を払う。
だから、難関大学を出た人全てをまとめて何かを考えている訳では決してない。
記憶力、継続力、総括力、忍耐力、そんな力は本当に素晴らしいと思う。
だが、労苦から来る「なんとかせねば」という矛盾する自己の鬩ぎ合いのような身を裂く経験をしていない人、世の不条理を他人の力ですり抜けられた人、挫折をしていない人、そのような人のことは、うっすらと見え隠れするもので、そこに大学名や論文やマッキンゼーとかのベールを如何に被せたところで、実体が透けて見えてしまう。
社会とは驚くほど広い。
なのに権力者は見えないものを見ないし、そこにみえているものすら、見ていないことが多く、それは私を疲弊させる。
今回の川勝氏の言葉は、ある意味正直に腹の中から出てしまったのだろうと思うが、さらにそれを「針小棒大な形で批判に結びついて」や「全体を読めばそうでないことがわかるのに」のような追い討ちをかけるから、
間抜けにも程があるなと。
この世界の権力者たちはほとんど同じことを考えているのに、彼らは口にしない程度の常識は幸い持ち合わせていてお利口さんなのに比して、川勝氏はお馬鹿さんなだけだ。これもオックスフォードの博士課程の多様性の一つなのか。
職業差別をしていない人はほぼ皆無。書店員を長くやっていると、方々から軽視されるのを見にしみて感じる。
かく言う私も、なるべくフラットに在りたいと願いつつも、していないとは言い切れぬ。
でも良い大人なら「差別をしないフリ」くらいしてもいいんじゃないだろうか。
また、何度も言うが、そんなに他者のやることに敬意を持てないなら、一度1人で生きてみたらいいんじゃないかな。こういう人は、周りのお膳立てメンバーがいなくなれば、1人では驚くほど何もできないと思うのだが。
傲慢さも甚だしい。
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それにしてもこの川勝氏の「野菜を売る、牛の世話をする、物を作る人と違ってみなさまは知性が高い」という意識は、ナチスのT4作戦と一体何が違うんだろうか、なんて考える。
このような権力者が世に蔓延るのがこの社会の問題を産むトリガーになっていると、みんな気づきながら、それでも昨日から明日へと川の流れはたえない。