それでもサイレンススズカと言ってほしかった

 ウマ娘から知った口なので、競馬界でどういう位置づけで、どういう扱いなのかは、詳しく知らない。悲しい事件であったし、軽々とは出せない名前だろう。実況者の台詞はレースの、競走馬の印象を左右する。それでもツインターボではなくサイレンススズカと言ってほしかった。一つの弔いとして。

アプリでのサイレンススズカ

 2021年2月24日、ゲームアプリ「ウマ娘 プリティーダービー」リリース。
 好きなVTuberが(自発的に)宣伝していたこともあってその存在とサイレンススズカの話も知っていた。

27分あるがストレスなく見られる

 アニメでは骨折こそするものの一命を取り留め、治療の末に復活。アプリでも天皇賞(秋)の直前に脚の違和感を訴えるが、無事に走りきってキャラクターストーリーは完結する。ツイッターで喜び、また涙するユーザーを多く見た。
 特に感動的だったのはアプリのメインストーリー第五章。メジロマックイーンやナリタブライアンなど、章ごとに主人公が変わり、第五章の主人公がスズカだった。アニメでのスズカ、育成モードでのスズカときて、三回目のスズカの物語である。正直、もうそこまで感動することもないだろうと思っていたが大間違いだった。
 「想いを力に変えて走る」というウマ娘のコンセプトを改めて提示し、アニメとも育成モードとも違う距離感でスズカを応援する。トレーナーが投げかける「思い切り走ってきて」「必ず、私の元に戻ってきて」という台詞は、サイレンススズカを愛するすべての人の想いに相違ない。そして迎えるG1、天皇賞(秋)。スズカは大欅を越えたところで闇に飲まれる。脚は動かず、遠くに見えるわずかな光も、ついぞ見えなくなってしまう。目を伏せるスズカ。彼女に、声が届く。仲間の声が暗闇に光を灯す。その最後に、「スズカ……!」という台詞が入ったボタンが表示される。それまでオートでストーリーは進行していたが、そこだけはボタンをタップしなければならない。そこだけはユーザー自身が物語を進めなければいけないのである。
 再び走り出したスズカは一着でゴール。サイレンススズカは東京の2000mを走りきった。

令和のツインターボか、サイレンススズカの再来か

サムネでネタバレくらっても面白いものは面白い

 2022年の天皇賞(秋)は歴史に刻まれるレースと言っても過言ではないだろう。尋常ではない逃げを見せたパンサラッサ。それを差しきったイクイノックス。それぞれが非凡であることを見せつけたレースだった。
 前半1000mの通過タイムが57.4秒。サイレンススズカと同じタイムだ。60秒でミドルペース、59秒でハイペースと言われる中にあって57.4秒という数字がいかに破格のものであるか。
 アナウンサーは叫んだ。
「令和のツインターボが逃げに逃げまくっている!」
 成績からいって、サイレンススズカよりツインターボの方が似ている。逃げて負け無しのサイレンススズカと、逃げて大敗もあるツインターボでは、パンサラッサの成績と照らし合わせて後者の名前を挙げるのが自然だ。さらにサイレンススズカは圧倒的一番人気だったが、この日パンサラッサは七番人気。「令和のツインターボ」の方が比喩として適切である。
 それでも言ってほしかった。東京レース場、パンサラッサは大欅を越えても力強く走り続けていた。私はレースや試合を見ると脳内で実況してしまう癖がある。そのとき浮かんだのだ。「サイレンススズカの向こう側」というフレーズが。このあと大失速があるかもしれない。「逃げて差す」とまで言われるほど、失速と無縁とも言える脚を持つサイレンススズカの再現にはならないかもしれない。それでも、その瞬間だけはサイレンススズカと姿を重ねた。サイレンススズカよりも長く東京レース場を走ったのだ。あのとき止まった時計はわずかにでも動いた。それを強く認識しなければ、我々は未練を引きずったままだ。

 弔いに必要なのは納得感だと思う。彼を送り出すには十分なことをした。彼との思い出は間違いなく僕らの胸の中にある、など。そういったものが残された者の気持ちの整理になる。逆に、納得感がなければいつまでも引きずってしまう。サイレンススズカは走りきれなかったという未練を、ファンは24年も引きずっていた。
 もしもサイレンススズカが走りきっていたら。2022年にはイクイノックスという稀代の名馬がいたからパンサラッサは二着だったけれども、サイレンススズカもこのように走ったに違いないと確信するには十分なレースだった。当時の悲しみや絶望感を知らないながらに、私の心は晴れ晴れとしたものがある。だからこそ、アナウンサーに「サイレンススズカ」と言ってほしかった。私のみならず、競馬界はその瞬間を待っていたのだと、私は確信したい。

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