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考えをしなやかに保つために使える「変化は自然なことだ」と捉える考え方

全く変化していないように見える大岩でも、長い年月をかければ削れたり、割れたりと変化していくでしょう。過去を遡れば、大岩は溶岩でドロドロだったころもあるでしょう。「私」はどうか?というと、当たり前だけど時間とともに変化していきます。

たとえば、「今の私はこうしたい!こうはしたくない!」と強く思っているかもしれません。しかし、5年後も同じとは限りません。過去5年を振り返ってみると「昔はあれを大事にしていたけど今は興味ないな」みたいなものもあると思います。少し長い時間軸で「私」を捉えてみると、何一つ変わっていないという人はまれでしょう。

また、他者や環境との相互作用で「私」は簡単に変化します。たとえば、ある人の言ったことを受けてイラッとすることもあれば、幸せな気持ちになることもあります。他にも、自然の多いところに身をおくと、穏やかな気持ちになれたりもします。

このように、人は時間が経てば変化しますし、今この時も他者や環境とどう相互作用するかでも変わっていきます。そう考えると、変化しない「私」というものはないですし、過去の積み重ねや他者や環境も含めて「今の私」というスナップショットがあるだけです。そして、そのスナップショットが「次の私」に繋がっていきます。

こういう性質のものを、たとえば「今の私が良いと思えるものことが続けば良い」と考えたり「周りの人はどうでもいいから私だけ幸せであれば良い」と考えたりすることは、筋が悪いでしょう。逆に、「周りの人も含めて私が良い状態であるにはどうしたら良いだろう?」と考えたり「今の自分は何に集中すると、周りを含めた私に良い変化をもたらすか?」と考えたりする方が自然ではないでしょうか。この「今の私というスナップショット」をどのように捉えるか?は自分で決めることができます。

ちなみに、2500年ぐらい前の人が編み出した考え方(仏教)の一つに、無常と非我(無我)という考え方があります。無常とは永遠に変化しない(常)ものことはない、という考え方です。そして非我(アナートマン)は、確固たる我はないという考え方です。ここでいう我(アートマン)とは、永遠に変化せず・独立的に自存し・中心的な所有主として・支配能力がある状態を指します。これが無いということです。こういう捉え方をしたほうが楽ですよ、と説いたわけです。


自分には「私」がないなぁと悩んだり、逆に他者を不幸にしてまで「私」を貫こうとしたりと、固執して苦労することはあります。そんなときに、考え方を少し変えるだけで柔軟になれることもあります。色んなやり方を試しながら、自分に合うものを見つけていきましょう。

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