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近代までの石巻地域史

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原始~近代まで、石巻、東松島、女川の歴史
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記事一覧

石巻の地名由来解説 牡鹿湊から石巻湊へ

住吉公園前の河岸で水面に、頭角を出す名石「巻石」。その見た目から「烏帽子岩」とも呼ばれる…

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「井内と稲井」2つの「いない」がある理由

北の真野川と南の牧山に挟まれたJR石巻線の陸前稲井駅。駅の住所は石巻市井内滝ノ口で、古く…

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波折渡す「渡波」と伊達家縁の「万石浦」

海や湾の恵みを地域自慢の産物に育ててきた渡波地区では、古くから塩作りが行われ、地域経済の…

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沼津で戦った安倍貞任と源義家の伝説

仙台藩が安永年間(1772―1781年)に村単位で提出させた安永風土記御用書出には、男女別の人口…

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護良親王伝説や京都の縁伝える 湊を探検

旧北上川の堤防や内海橋の架け替え工事が進む石巻市の湊地区。東日本大震災の影響により大きく…

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地名を探検 石巻市蛇田編 田道町に残る蛇田道公古墳 開墾した侍たち

石巻市田道町にある「田道神社」。敷地は狭く小さな神社だが、神社の鳥居の前には「蛇田道公古…

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石巻市中央周辺 江戸期のまち散歩

「まちに買い物に行く」「まちに出かける」―― 地域に残る中心市街地の「まち意識」。人や物が行き交い地域の経済や生活を支えてきた「石巻のまち」は、どのように形成されてきたのだろうか。 地名の由来を紹介する本連載。前回は地名の由来や町の発展とともに、それまで地域の中心だった湊と区別して石巻と呼ぶようになった経緯などを取りあげました。今回は、中世後期のにぎわう港町を描いた「石巻絵図」(東北大学付属図書館所蔵)を用いて、町場がどのように形作られていたかを紹介します。天保10年(18

¥500

「赤井官衙遺跡群」国史跡へ 文化審が答申 里浜貝塚以来、東松島で2例目

 文部科学省の文化審議会は20日、古代の役所跡などが残る「赤井官衙(かんが)遺跡群」=東松…

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