この前夏が来る予感があった。その瞬間に思った。

私は今年、夏を享受しなければならない。

東京に引っ越して社会人になった今年。今年夏を享受できないのならばそれは一つの人生が終わる。

緑が生い茂ってきて青臭い山はなく、日の光を反射させる綺麗な海も湖もないここでも私は無理にでも夏を享受する。

蝉の鳴き声をノイズキャンセリングしたとしても、あらゆるものから夏を取り出す。

東京の花火は多すぎる。そこに花火はあっても夏の夜の隙間がなくて、それはただの花火である。それでも夏にしかない夜を探す。

まだギリギリ日が落ちてない時間帯に集合して始めた飲み会。ラストオーダーが終わって渋々二軒目を探そうと出たとき、少しだけ肌寒い瞬間はあるのだろうか。もしそれがなかったとしても、やっぱりそこは人混みでどうしようもなくても、私は適当に理由をつけて少しだけ隣の境界線に踏み込みたい。

もう朝早く出たら玄関先にクワガタがいることはないだろう。それでも朝に期待したい。

シーブリーズの匂いはもうなくてもよい。それは夏というより高校の頃の、教育に半強制的にくっつけられている運動の置き土産でしかない。
今年の夏にずっと似合う香水は渋谷のどこかにあるはずだ。

私は今年もきっとどうにかして夏を享受する。
その先にはちゃんと期待と絶望と秋と冬が待ってくれている。そいつらを永遠に待たすわけにはいかない。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?