人生経験

「人生経験」

20代の私がよく向けられる言葉であり、適当に使える都合のいい言葉でもあります。
この言葉が四字熟語として辞書に載るようになることが万が一あるとしたら、「何事も人生経験だよ。」が例文として使われます。

実際に言われたこともあります。うるせえと思いました。

一方で、まだモラトリアムを引きずっていたい身からすると味方にもなり得ます。一定の期間、海外へ行きたい際に使うととても便利です。使いたくないけど。

しかし、「人生経験」というものは大事だと思う。
ということで、私が大学在学期間に得た経験の中でもこれからの人生を豊かにしてくれると思うものをひとつ紹介したい。

その経験とはアルバイト。
そのアルバイトをして得られたものはなにか。それは、
「パン屋での自由」

説明しましょう。

先日聴いていたラジオの、平たく言うとあるあるのコーナーの一つに
「パン屋でひとつだけ買うのが恥ずかしい」といった旨の投稿が読まれていた。
すごく身に覚えのある感覚だ。

パーソナリティもそのメールに共感しつつ「ないだろうけど、貧乏だと思われたらどうしようって思っちゃうよね」みたいなことを言っていた。

高校生までの私なら首を大きく振りながら共感していた。
しかし、今の私は共感しない。

なぜなら、店員側の人間が何も思わないことを知っているから。

何を隠そう私は大学時代の約2年間、トング系という点で共通しているミスタードーナツでアルバイトをしていた。
この時大事なのは、自分自身が経験しているということ。例えば、自分が何も経験のない状態でどれだけ笑顔の店員さんに接客されようと、心の内ではどう思っているのか分からないと疑ってしまう。
もし、パン屋トング系の店で働いている人に「ひとつだけ買う人のことどう思ってるの?」と聞いたとして、何も思わないと返答が来ても私は信用しない。なぜなら私の場合何かしら思うのだろうと予想するから。あと、そんな質問そもそもできない。

ミスタードーナツ、或いはパン屋等において商品をひとつだけ買うということは全く以て罪にはなりません。安心してください。

バイト中でレジに立っていたとき、商品ひとつだけを持ってくるお客さんに思うことは大抵、「あ、ひとつなら楽だ」である。

こちらとしては、ドーナツとかパンとか、柔らかい且つ形を崩してはいけない商品をトングで素早く袋に入れないといけない。これが特にバイト始めたての慣れていないころは相当ストレスのかかる作業なのである。
もたもたしているといつのまにか長蛇の列になっている。そのうち店長がイライラしているようなそぶりを見せるようになり、バイトの上がりまでの時間が余計長く感じる。ながびよーん。

ついでに言うとひとつのほうが金額ミスのリスクの確率も減るしありがたいことばかり。

一枚のトレーにこぼれ落ちそうなくらいドーナツを持ってくるお客さんもいて、そういうのはドーナツが何点あるか確認しにくいし箱に詰めるのも大変だし、なんかお客さんからもプレッシャー感じるし、とにかく疲弊する。

そういうときに限って、ちゃんとドーナツをトレーから落としたりする。てか全然落とすどころか吹っ飛ばしていた。そこに残るのは周りのイライラと、粉砂糖がパラパラ。黒糖のときもあった。

そうなるのなら、お客さんが持ってくるのはひとつでいい。
丁寧に入れてあげる。みんなハッピー。

バイトを辞めて客側の人間にしかなれない今、私はトング系のお店で堂々とひとつだけを買うという選択肢がある。

それは身をもって何も思われないことを知っているから。店員さんからこう思われるかな、みたいな雑念が一切なく、自意識から解放されているのだ。
つまり、レジに商品を持っていったそのとき、何も思わないただ器の大きい店員とそれに身を任せる客がただ存在する。

世界は思ったより素敵である。これは、経験をしないと分からないものなのである。

そして、わたしは食欲からは解放されずに大抵4個は買って帰る。
家に帰って貪り食って、体が大きくなっていく。

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