走ってみた


 何か書こうかなと思って、今日何やったっけ?と考えていたらYouTubeの祖先みたいなタイトルになった。今日は走ってみました。ただこれだけのことを今からダラダラ文章にします。
 最後に大切なメッセージがあるので読んでください。


 高校を卒業して基本的に運動をしなくなってもう5年目、少し運動すれば筋肉痛を2日間引きずる体になっている。それどころか何も運動していないのに少し作業すれば筋肉痛。もう衰弱の一途を辿っている。

 そんな私だが、運動するのは嫌いじゃない。

 小学生の頃は逆上がりもできないし一輪車にも乗れなかった。平泳ぎはギリギリできてもクロールをするには息継ぎの術を知らない私は体育で平均以上の成績にはなったことがない。この状況で体育延いては運動を嫌いにならないという事象が有り得るのか。

 それがありました!!

 運動するのが嫌いでないのは、多分5歳から習っていた空手のおかげだろう。そこは礼儀とかをちゃんと実践させてくれるけど体罰的な指導はなかったし、中高になって試合に出なくても体を動かす場所として通わせてくれていた。おかげで基礎は身についている(と思いたい)し身体が人より多少柔らかい。

 そのような訳であって、周りに存在する文化系運動嫌い組類友を大裏切りしてまで私は普段から運動(とついでに食事)の大切さを訴えているのだ。


「今日寝てない/オール明け自慢はダサい」
「まだ何も食べてないは普通に心配」
「ストレッチだけでもしたほうが人間として優秀になれる」

 こんな逆張り結構ウザかったよね、周りにいてくれた人たちごめん。
 私は言動だけはご立派なものだった。

 ただ、言動だけではどうにもならないということは分かっているので久しぶり機会があり走ってみた。もちろん運動習慣はないので一番運動しやすいであろうNew balanceの靴とスウェット。履いているのはデニムという舐めた格好。ヘッドホンで流しているのはMIU404のサントラ。これが気分を最大限アゲてくれるものではあるんだけども、この大きいヘッドホンは走るのに適さない。

 総じて逸脱した格好で走った。場所は公園周りを走ったので結構同じようにランニングしていた人はいたが、その人たちは「同じように」と思っていない。まだ舐めた格好でランニングしている人だと思われていたのなら、それは正解なので何も言えないが、大多数の人間は何かに遅刻しかけて走っている若年者として認識しただろう。こちらとしても同じ部類に入れてもらえるとは思っていない。

 でもとにかくやると決めたのでとりあえず走る。
負荷をかけすぎてもいけないので限界になれば歩いていいルール発動。自分にとにかく甘い。

 ということで30分くらい走ってみた。短いのは誰に指摘されずとも分かっているし、分かっているのに言われるとへこんじゃうので先回りする。

 ただ、ここからは不健康な限界日本人(特に労働者)のみなさんに聞いてほしい。

 やっぱり運動は調子がよくなる!!

 まず走っているときは必死なのでネガティブなことを考えない。今その瞬間がキツイので、明日仕事に行きたくないという思考に辿り着かない。
 次に「走った」という事実からくる充足感。皆さんやはりどこかで運動をする人が人間として生物として優れている/地球で生命活動をする上で適切であるという考えは脳の中のどこに隠しても潰しきれないでしょ?それを自分の行動と一致させることで必要以上に否定の感情が一瞬だけでもなくなる。
 それに、これは今から私の身に起きることであろうことだが、よく眠れる。
 多分、いや絶対よく寝る。疲れてるもん。もう夢なんて見ない。
 この世にあるのは私が走ったという現実しか残らない。

ということで何が言いたいのかというと、

みんな走って!!!!

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