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「私は 普通 を目指していた」~WEBラジオくるみの日々酒、第七夜~

皆様こんばんは、KURUMIです。

毎月第2、第4金曜日の夜21:00にyoutubeと、ここnoteにて同時更新中
WEBラジオ「くるみの日々酒」今夜で7回目の更新です。

お酒を飲みながら日々感じたことをぼやきつつ
毎回1曲、私の今聞いてほしい曲を選曲して
その曲の何が好きなのかを熱く愛情込めて語ったりしています。

今夜はBen Folds Five (ベンフォールズファイヴ)の2ndアルバムWhatever And Ever AmenからOne Angry Dwarf And 200 Solemn Facesをセレクト。
この曲について熱を込めて語っている部分は、YouTube「くるみの日々酒radio」後半のコーナー「この曲を聴いてくれ」で聞けるので、音楽好きの同志は聞いてくれたら嬉しいです。


前回は、怒るのがキライなのに本当は怒りんぼな私が、どうやったら自分の怒りと向き合えるのか、とことん試行錯誤した今までの軌跡を綴りました。

怒りとの向き合い方はきっと人それぞれ。

私の場合はこうやりました、というひとつのパターンとして「ふ~ん」って読み流してくれるぐらいでちょうどいいなって思っています。

⇒「怒っている自分が嫌いだ」~WEBラジオくるみの日々酒、第六夜~

さて、今宵も飲みながら文章を綴っていこうと思います。

ティーチャーズ ハイランド クリームを炭酸アップ
常備している冷凍レモンをぶちこんで、氷は無し。
最近の私のお気に入りの飲み方です。

準備は万端!
今夜の相棒は君に決めた。


「普通って何だろう」


学生時代からの長年の友達が私のnoteを読んで影響を受けて、自分もnoteを始めたんだとこっそり報告してくれた。

嬉しくなって彼女の文章を覗きに行ったら、丁寧でかしこい彼女らしい言葉がそこに並んでいて思わずにんまりした。

ただ、丁寧で整然とした言葉運びなのに、なぜかあふれるほどに伝わってきてしまう、整然とした文章には似つかない不器用な彼女の内面が等身大で綴られていたことに驚いた。

こんなにも長い付き合いなのに、知らなかった彼女の一面に触れて、私はますます彼女の人間性に惹かれてしまったのです。

これがギャップ萌えというやつか。

その友達の文章を読んで、
昔の自分が狂おしいほどに

「普通」に憧れ
「普通」を目指し

そして挫折したことを思いだしました。

記憶の隅っこに閉まっていた当時の自分の供養と、そして彼女への尊敬と敬愛を込めて今回のテーマを決めました。

普通

普通という概念に明確な正解はおそらくない。
と、私は思います。

でも不思議なことに大人になればなるほど自然と、
皆が皆「普通」を知っていて当たり前だという認識でいるように思う。

普通はこうあるべきだ。
こうすることが普通の行動だ。
こう言うことが普通の言動だ。

普通の人間、
普通の人生、

でもその定義は誰かが明確に決めたものではない。
皆なんとなく「普通とはこうだろう」と察している概念
そんなふわっとした認識のルールを、普通と呼んでいる。と思う。


小学生の頃の私はそういう「普通」の概念から解き放たれたところにいた。よっぽど自由に生きていたのだろうと思う。

そのせいか学校ではどことなく浮いていた。
今思い返すと、すでにそのころから人付き合いがうまくいかないことが多かったように思う。

でも気にならなかった。
「自分が浮いている」という認識がなかったから。

気にならなかったというより、知らなかったという方が正しい。
周りの空気に対しておそろしく鈍感だったのだろうと思う。
空気の読めないやつとは当時の私のような存在を指すのかもしれない。

でも心は自由だった気がする。
知らないというのはある意味で最強かもしれない。
ただ鈍感で、無邪気な生き物。
その分もしかしたら悪意なく残酷に誰かを、知らないうちに傷つけていたかもしれないな、とも思ったりするけど。

「普通に生きることが難しいことに気づき始める」


中学生にあがり、やっと私は自覚する。

「あれ、私ってなんか浮いてない?」

心が強かったわけじゃない。
小学生までの私が自信満々で無邪気だったのは
知らなかったからだ。

でも絶対に認めたくなかった。

自分が浮いているだなんて認めたくなかった。
大げさだけど、それを認めてしまったら自分が世界に参加できていないような、そんな気がした。

それくらいスケールの大きな底なしの絶望をすぐ近くに感じた。
とたんに怖くなってしまった。

皆みたいに普通に流行りの服を身に着け
流行りのドラマに興味を持ち
話題に困らないレベルの流行りの情報は基本常に把握
流行りのコスメは最低限もっておく
皆と遊ぶ時についていけるくらいのお金は常に財布にいれておく
流行りのアーティストにはまり
誰もが認める進路を選択し
誰に言っても恥ずかしくないそこそこの成績を維持し
体育大会で迷惑にならないくらいのそれなりの運動能力をもち
そつなく友達関係を構築できる

待ってくれ、普通の学生生活ってとんでもなくハードルが高い。

皆「普通に」こなしている。そう見える。

どういうことだろう、
私はひとつとして皆と同じようにこなせるものがないというのに。

焦れば焦るほど出来ることがみつからない。
体がこわばり、うまく動けない。
そのうちうまく喋れなくなって、
自分で自分をがんじがらめにしていく感覚に気づいても
どうすることもできなかった。

誰に何をされるわけでもない。
ただ毎日自分で自分に幻滅を重ねていく。
毎日自分に悪態をつく。

ああどうしてお前は、「普通」にすることすらできないのだろう。
できそこない。


普通ってなんだ

と、今なら問うことができる。
もしも誰かに、あるいは自分自身に、普通を強要されたとしたら

「それは貴方にとっての普通で、私にとっての普通は別のところにあるだけだよ」と柔らかに返すことが、今なら、できるのに。

それほどに私は私が憎らしかった。
普通に、皆と同じように「普通にちゃんと」できない私が憎らしく、情けなかった。認めたくなかった。

同時に悲しくもあった。
普通に憧れた。
普通になりたかった。

私にとっての「普通」は、当時とんでもなく高いところにあり、とても手が届くものではなかった。そのせいか強烈に憧れた。


「普通ってすごい」


普通にただ生きること。

皆、出来て当たり前だと思っている。
でも違う。

「普通に生きる」っておそろしくハードルが高い。
そこには信じられないくらいの努力が積み重なっている。
そうしてやっと「普通に生きる」をつかみ取っているだけだ。
皆そんな風にみせてないだけ。

今思うと私は単純に、当時自分がなりたいと思っていた「普通」とは相性が悪かった。

本当、単純に、向いていなかった。
それだけのことだ。

ジャンルが違っただけ。
別に特別なことでもなんでもない。
自分のことをちゃんと正面からみるのが難しかっただけで
向き合えばすぐわかったはずだ。

ジャンルが違うだけで出来ることはある。
時間がかかっても、ちゃんとみつかる。
あきらめなければ、ちゃんとある。

どうしても見つからない時は作ることができる。
そういう能力は誰でも持ってると思う。

ただ自分のことを投げ出し、あきらめさえしなければ、ちゃんと何かしら生きられる場所は存在するしそういうところに出会える。

日本に生きる上での大多数の人が持っている「普通」という認識の中で
しっかり生きられる人と、その枠だと「上手くやれない人」がいるだけ。

大多数が思う「普通」の中で生きられなくても、ほかの「普通」はちゃんと存在する。自分に合う「普通」を探せばいいし、ないのなら自分の「普通」を作る。

これは持論だけど、「普通」は1種類じゃない。ひとつじゃない。
ひとつの「普通」にはまらなくても終わりではない。 
「普通」は多分何種類も、何通りもある。

私はそう思う。

今は私の「普通」をみつけたからあの時よりも楽に生きられる。
もうあの時の「普通」を目指さないし、追い求めたり、無理に背伸びして、自分に合わない型に無理やり自分をはめようとしたりはしない。


でもだからこそ「普通」がすごいことを知っている。
皆が思う「普通」の中で生きることは本当に難しいし、ぼんやりしているとあっという間に押し流される。

そこで踏ん張って生きることが出来るのはものすごい努力をしているから、してきたから、そこで立って、生きることができる。


どのジャンルの「普通」の中で生きても同じように難しい。
だから自分の「普通」とは違う「普通」の中で生きる人のことを誰も馬鹿にする権利はない、とも思います。

ただ生きるって本当に大変だ。
本当に「普通」に生きるって、すごいことだと思う。

生きることが難しい人は自分が思っていたよりもたくさんいる。
年齢を重ね、見える景色が変わっていくほど鮮明にうつるように思う。

病気などの物理的要因だけではなくて、単純に、

生きること
生活していくこと
自分の普通を探すこと

そういうのに届かなくて、諦めたり挫折してしまったような人も、いるのだろうと思う。


「普通の彼女に心からの賛辞を」


持論展開が例のごとく長くなってしまいましたが、ここで冒頭に戻ります。

私のnoteを読んでnoteを始めてくれた私の友達は、そこで私のことをうらやましいと書いてくれた。
好きなことを選んで生きていて素敵だと言ってくれた。

その反面自分には何もない、空っぽだ、普通だ。
つまらない人間だ。

文章は違うけど、そう書いていたように感じた。

信じられない。
私が学生の時心底憧れていたのは貴方のような人だと言うのに。

そつなく学校生活をこなし、
さぼりがちな私が学校に来た時には「さみしかったよ」と伝えてくれるけど
ダメな私のことを馬鹿にしたり蔑んだりは決してしない。
自分はしっかり学校生活を送って授業もちゃんと出席する。

当時うまくやれてない人代表だった私の行動は
丁寧に生きる彼女の常識からはおそらくひどくはずれていただろうし
そういう対象を無意識に馬鹿にしたりする人は多かったように思うけど

彼女は自分と人を分けて考えることが出来る人だったから
私のことを自分のものさしで測って蔑んだりなどしなかった。

私はもう学校が苦手で苦手でしょうがなくて
つい休んでしまう日も多かったけど、

休んだ次の日に
くるみがいなくて寂しかったよ、とだけ伝えてくれる彼女に
私は何度救われたのだろうか。

むしろそういう友達ができたことが、
私にとって奇跡みたいなものだったなと今でも思う。


彼女は丁寧な人だ。
そしてかしこい人だ。

周りの空気、状況を正確に把握し、自分が最善と思う行動や言動をすることができる。そういう器用さもある。

決して自分を過大評価しない。
しかし変な過小評価もしない。
自分のできることを自分でちゃんとわかっているからだ。

しっかり勉強して、大学に行って、信頼性の高い会社に就職した。
会社で働き続けるというのは恐ろしく精神が削られるし、継続するって大変なことだ。

器用でかしこくて、
なのに時々ひどく不器用で頑固で人に頼ることが苦手な彼女が

私などでは計り知れないほどの努力と、泣きたい夜を星の数ほどこえてきたであろうことは、聞いたわけじゃないけどなんとなくわかる。

働く大人は、大体皆似たようなものな気がする。

皆、泣きたい夜をいくつも超えてきているし、これからも泣きたい夜が訪れるであろうことを知っている。
それでも、それを知りながらまた日々を重ねていく強さを、自分の力でなんとか身に着けたのだ。

その夜の分だけ、空っぽなんかじゃない。

普通に生きるってすごいことだよ。
空っぽなんかじゃない。

一体どれだけの人が「普通」に生きられるっていうんだ。
意外と皆「普通」になんて生きられない。


ねえ、すごいことだよ。
貴方はすごい人だよ。

自分の技術や自分の出来ること、能力を冷静に判断して
過大評価も過小評価もしないことは知っているけど

それ以外の、能力以外の、人間力というか、ありのまんま
抱えてきた経験全部、
頑張ってきた今まで全部を合わせたら膨大な量の中身だよ。

からっぽなんかじゃないよ。

今まで日々を重ねてきた分だけで、もうみちみちに詰まってる。
つまらない人間なんかじゃない。


私は「普通」を目指していた

強烈に憧れていた

普通になりたかった

だから「普通」を凛としてこなす貴方がずっと
私の方こそ羨ましかった。
私も貴方のように「ちゃんと」したかった。

でも私はその「普通」にむいてなかったから
他で生きられるように自分の「普通」を探して
どうにか自分の価値を見出そうと足掻くことにしたんだ。

まだ終わってないけどさ。

「普通」になれなかったからといって「特別」なわけでは全くない。
自分の「普通」をまた探すだけ。


私は「普通」をこなす人を空っぽだとは思わない。
そもそも普通であるという定義は、本当にあやふやでふんわりとした概念だ。

真っ白なピアノを買って、この先の自分に夢をのせた彼女の幸せを
私は願っています。


なかなか会えないけど、私のことを友達と思ってくれている人達へ
学生時代の私を救ってくれてありがとう

また、一緒にお酒を飲める日を楽しみにしています。


いつも一人で飲むことが多い私ですが、
誰かと一緒に飲むお酒が美味しいことも、ちゃんと知っています。

大切な人としっぽりお酒を飲める日が来ることを
今日も願わずにはいられません。

会いたいね。


さて、次回更新日は2/26(金)21:00~
またここで乾杯できたら嬉しいです。

あ、そうそう
今回からPodcastでもくるみの日々酒が聞けるようになりました。
下にリンク載せておくので、聞きやすい媒体で聞いてみてくださいね。


それでは皆様、よい夜を。


【Podcast】

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