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継承してこそ文化

お寿司、大好き。
焼き魚、大好き。
煮魚、大好き。
とにかく魚介類、大好き。日本人の魚離れってメディアはよく言うけれど、私だけではなく周りの友人たちはみなお魚(料理)が大好きです。

ただ長い一人暮らしの間に、私の食卓におけるお魚事情の変化には気づいていました。
生魚として買うのは、イワシ、サバ、真タラ、ときどきアジやサケ。
干物だったら、アジ、さんま、ごくたまにホッケ。
一番食べているのは、しらす。
十数年前、一人暮らしを始めた頃は、イワシやカレイもよく食べてたよね。
小さい頃を思い返せば、銀ダラやめかじきも朝ごはんの常連だったっけ。
今はもうほとんど食卓に並ぶことのない、それらの魚たち。
私が住んでいる海なし県のご近所スーパーでは、そもそもあまり売っていません。
職業柄、昆布がもう獲れなくなっている、鰹も不漁だ、という話もよく耳にしますが、水産業の根本的な問題はなんなのか…。
お魚大好き!と言いながらも、漁業の実態については本当に無知でした。

ふとTwitterで目に止まった、久松農園さんとTheBurnの米澤さん主催の、「勝川俊雄先生と考える私たちが食べる魚と日本の漁業」というイベント。
申し込み後に届いたメールに、事前に読んでおいてくださいね、と明記されていた課題図書は、勝川先生の「魚が食べられなくなる日」。
読み終えた時点で、お先真っ暗な気持ちになったのですが…。
イベントでも改めて、惨憺たる水産業の現状を知ることとなりました。

水産業の資源である魚は、命あるもの。工業製品ではありません。
人間や野菜と同じように、生まれてから大きくなるまでには時間が必要。
大人(成魚)にならないと子孫を残すこともできません。
親がいなくなったら子もいなくなるという、生命のサイクルは魚だって一緒です。
でも今の日本の水産業は、それを忘れてしまったかのような乱獲による負の渦の中にいます。

魚が少なくなっているから→大きくなった魚を獲るだけでは足りない→まだ子供のうちに獲ってしまう→親になれる(産卵できる)魚がいなくなる→新しい命が生まれない→魚が少なくなっているから…(最初に戻る)

魚が獲れなくなったら、水産業に関わる人たちの生活は成り立たなくなる、というのはもちろんわかります。
生活が成り立たなくなったら、関わる人たち自体がいなくなっていくだろうということも容易に想像がつきます。
じゃあ、今何をするべきなのか。

魚が少なくなっているから→成魚(繁殖できる大人の魚)になるまでは獲らない→増殖したその余剰分だけを獲る→親の数が減らなければ子供は産まれ続ける→安定した数を獲り続けることができる=水産業が持続可能な産業になる

世界の国々は皆、国が漁獲量を割り当てているのだそうです。
成魚の数を一定に守り続けることが、持続可能な漁業だと理解して、実際にそれを実行しているのだということも、それにより他国では水産業が成長しているのだということも、今日初めて知りました。
日本だって、現場の人たちはみな衰退し続けている現状を理解しているのだと、勝川先生はおっしゃいました。
ただ、乱獲を続けてきた日本の水産業にとって、持続可能な漁業への舵取りには大きな経済的な痛手が伴います。
やることはただ一つ、獲る量を減らす(しかも大幅に)ことなのですから。
だからこそ、個人や漁業組合レベルではなく、国家として動いていかなければならない。
でも国は水産業界からの反発や補償の問題を面倒がって(というように私には感じられました)、今もなお獲ったら獲った分だけ売ってくださいという、70年前の戦後の体制のまま。
(2018年にやっと法改正されたものの、今はまだ骨抜き状態なのだそう)
勝川先生のお話を聞くほどに、暗澹たる気持ちになっていました。
もう魚は輸入するしかないの?食卓から魚料理は消えてしまうの?日本の漁師さんはいなくなっちゃうの?そもそも日本の漁業海域から魚はいなくなってしまうの?

きっとその場にいた誰もが、そんな気持ちになっていたと思います。
質疑応答の時間も、諦めにも似た言葉のやり取りが続いていました。
問題が大きすぎて、根深すぎて、水産業に全く関係のない私にはできることが何もない…ただ衰退していくのを傍観するしかないの???

そんな中、本当に最後の最後。
小さな希望の光はありますよ、と教えてくださったは、米澤さんもメンバーである「Chef's for the blue」の佐々木さんと、他でもない勝川先生でした。
「Chef's for the blue」という、若手トップシェフたちによる持続可能な水産資源を学ぶ会の存在自体、初めて知りました。
料理を提供する方達、調理の現場にいるプロの方たちが、真摯に日本の水産業を学び、向き合っているという事実は希望です。
そして、勝川先生のような研究者が、研究室に留まらず全国各地の現場を視察し、水産業に関わる方たちの生の声に耳を傾け、国に働きかけ続けているのだという事実もまた希望です。
彼らのような希望の光が消えぬよう、より輝いて未来へを照らすよう、私のような”いち消費者”にもできること。
それは正しい現状を知ること、そして知ったことを伝えること。

モデレーターをしてくださった久松農園の久松さんが、折に触れ農業の現状との比較をしてくださったことも、私には理解を深める助けになりました。
私にとって、一番身近な一次産業は農業です。
農業の現場で日々葛藤し続けている、友人たちの話を聞く機会が多いから。

それぞれの家の食卓には、その食卓につく個人の問題も、食の問題も、地球環境の問題も、そしてこれからの未来も全てがあると思っています。
水産業や農業など、一次産業とよばれる業界の問題や未来は、より濃く現れます。
なぜなら一次産業が衰退してしまったら、退廃してしまったら、食卓は消えてしまうから。
目の前の巨大な樹を支えているのは、目に見えない地中の細い根っこ達であるように、日本全体の問題も地球規模の問題も、その根っこは私たち一人一人の生活の中にあるのだと思っています。
いち消費者だから何もできない、と諦めてしまったら。
みんながそうして諦めてしまったら、倒れてしまう。
でも私たちが皆、自分ごととして「知ろう」としたら。
みんながそうして問題に向き合ったなら、生き続けることができるはず。

お寿司も、お刺身も、煮魚も、焼き魚も、大好き。
魚料理は、日本の食文化に欠かせないものです。
魚がいなくなってしまったら、日本の食文化にぽっかり穴が空いてしまいます。
「文化は継承されてこそ、されてこそ文化」
お魚を美味しく頂くという幸せを、未来の子供たちにも繋げていきたい。

まずは今日のお話を近くの人に伝えていくこと。
そして今日のご縁を繋いで、知るを続けていくこと。
できることから。

大きな学びを得た1日でした。





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