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Forceじゃない、Powerを手に。

明けましておめでとうございます。
2020年イェーイ!もうすっごく楽しみにしてたんだよ!
と一人ワイワイできるのも、自宅に帰ってきたからです。
帰省中は、いつくるやもしれぬ父からの説法攻撃に備え、常に見えない盾を構えて過ごしていました。

30歳をすぎた頃から、年末年始の帰省に必ず開催されるイベントがあります。
それは、「父の中の正道から外れた娘への反論を許さぬ説法」。
父も歳をとり年々その時間は短くなっていますが、2020年も元旦の恒例としてお説法タイムがありました。
以前はこの説法のダメージから回復するのに、丸1日を要していましたが、ここ数年は反芻して何に自分が深傷を負うのかも、少しずつ分析することができています。

少なくとも私の友人や知り合いに、我が家と同じイベントが開催されるのを聞いたことがないので、父はなかなかに貴重な存在のようです。

説法の内容は毎回ほぼ同様なのですが、

・いい歳をして結婚もせず持ち家もないなんて異常
・子孫を残さない人生なんて人間失格
・安定と保証の無い仕事なんて無価値

おおよそこの三大柱に沿って、話は進みます。
結婚もしておらず、もちろん子供もおらず、大企業(=安定かどうかは別として)で働いているわけでも無いので、的確に私の現状を指摘しているのでしょう。
その為、父に全く同意できないにも関わらず、「私ってそんなにダメな人なのだろうか…」と人生も人格も全否定された暗澹たる気持ちで、実家を後にするというのが私にとってのお正月だったのです。

父の若かりし頃の苦労も、私を何不自由なく育ててくれた恩も、根底には娘への愛と心配があることも、理解して受け入れようとしていた去年までの私でした。
それが、今年の実家からの帰り道、スッと何かが吹き飛んだ瞬間があったのです。

父の言っていることは、父の正論で父の常識で父の考え方である。
だけど父のそれは私のそれでは無いし、世の中の人のそれでもない。
そんなことは常々思っていても、それを100%認めてしまうことは世論と常識(父の)に支えられている父の生き方を否定すること。
誰かの生き方を否定することは、その誰かも私と同じ気持ちになるってこと。
それが嫌で、気づいていたことを腑に落とすことができなかったんだって気づいたのでした。
否定じゃない、相容れないんだ私と父とは。

戦後貧しい田舎の農家で、大家族の次男として育った父は人一倍面倒見がよく、血縁関係の繋がりをものすごく大事にしてきました。
家族を養うために大学進学を諦めて、就職した大企業では学歴での差別も受けてきたのでしょう。
不義理や経歴や職種での優劣に対し、父が放つ批判や否定の言葉を、浴びるように聞いて育ってきました。
実家で暮らしていた頃、もうそれが嫌で嫌でたまらなかったけれど。
それが私をつくってくれたのだと、今は感謝すらしています。
そう、感謝してる!
私と私以外の人は違うから、それぞれの正しさや想いがあるのだということをいつも心において暮らすことができているのも、父が反面教師になってくれたからこそ。

毎年お正月に実家から自宅に戻ると、ドロドロとした想いが身体中の穴という穴から噴き出して、ダースベイダーのようになっていました。
ブログやnoteで言葉を綴るほどに、自らも読んだ人もダークサイドに引き摺り込んでしまいそうで、いつも下書きのまま仕舞い込んでいました。
でも今年はそのまんまの気持ちで、書ききることができそうです。

嫌だ嫌だ、それは違うんだ!と思っていても、思考のスタートはいつも父と同じだったのかもしれません。
まるで映画の戦闘シーンのように、force(力/戦闘力)に対して、forceで立ち向かっていました。
けれど2020年、私は違う力=powerを手に入れたのかもしれません。

私の内側にある真の力。
自らのpowerの在り処の鍵をみつけた2020年。
その鍵を手にして、新たな日々を生きよう。

真心を持って人に尽くそう
目立つことが主役ではない
自分の力を発揮し尽くすことこそ真の主役です

今年のおみくじの言葉。
私の人生の真の主役になるべく、今年もやるぞー!
改めまして、皆様どうぞ本年も宜しくお願い致します。






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