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6歳になる前の日

8/31は、野菜の日。
私にとっては、2014年に『ひびのわ』という屋号で小さな小さな料理教室をスタートした日。
今日で丸5年。

小さな小さな教室としてスタートして5年経ち、いまだ小さな小さな教室なのですが、それでも続いています。
何より私自身が、一度もやめようと思わなかったことが続いてきた理由なのかな。

生活を支える(お金の)仕事はそこそこに忙しいし、休日には友人や好きな人たちのイベントアシスタントをしたり、実は自分の教室準備への時間が後回しになることもある。
(3日前くらいから慌て始める)

ひびのわの屋号だけで食べていけてないのだから、なんで続けているの?って聞かれたら、一言では説明できないのが事実。

根底にあるのは「好き」の気持ち。
食べるのが好き、作るのが好き、人とご飯を食べるのが好き、食事を真ん中に会話をするのが好き、場を通して新しい出会いが繋がるのが好き。

けれど最近は、続ける動機としてほかにも強い想いがあるんじゃないかと、内観し続けています。

さて、話は少し逸れますが…。

食べること、食に関すること、それは買う、作る、食べるというアクションだけではなくて。
そこに至るまでの大地や水のこと、木々や花や動物たちのこと、遠く離れた国のこと、今生きているこの場所、地球のこと、ぜーんぶがひとつの輪なのだと思うんです。

そんな風に繋がる輪っかの、あっちからこっちから、色んな場所から食べるのことをみて考えて動いてみると、必ず見えない躓き行き止まりがあるんです。
その先は暗く狭く、進みたくない道。
行きはヨイヨイ帰りは怖い道。

その行き止まりの先にあることは、

⚪︎他者を否定すること。
⚪︎個人の嗜好やこだわりを他者に対しても
 絶対的正義とすること。
⚪︎誰かが決めた理論で自分の感覚から
 遠く離れてしまうこと。


食の世界を学ぶほど知るほどに、ドカーンと跳ね返される壁があって、もうこれってなんなんだろう!って思っていました。
排他的な閉塞感。

食べることって、もっと自由で感覚的で生き生きしたものなんじゃだめなの???

あれは食べちゃダメ

食べたくないとは違う

これは身体に良くない

誰かが言っていたから

謎のルールが山ほどあって、殆どのことには根拠がないようなのです。
頭で、知識で、情報で、食べても私の身体は満足しない。
食べたいものを、ガツガツ消化して、どんどんパワーにしたいんです。

と、話は少しそれてしまいましたが、
とにかく食べるってことに、頭を使い過ぎて疲れちゃう!
疲れちゃったら、無になって何にも考えなくなっちゃう!
自分の感覚を蔑ろにするから、満足できなくなっちゃう!

私たち、自分の身体のことを知らない誰かに委ねすぎてない?

食べることを自分ことにしたい。
それってすごく満足度の高い、すごく心地いいことなんだって、伝えたい。

食から、『〜ねばならない病』をなくしたい。

お家ごはんは、プロの料理とは違います。
メニューもない。

おうちにあるもので、食べたいものを作る。
今うちにはないけど、あれ食べたいなぁと思ったら、買い物に出かける。
あの料理が食べたいけど、作り方がわからないと思ったら、好きなレシピ本を開いてみる。

ある意味当たり前のこと。
日常的にお家でご飯を作っていたら、食べたいものはだいたいアルモンデナンデモデキルサ。

私自身がそうしてごはんを楽しく作っていることにみんなを巻き込みたい。

その先にある食の様々なことにも、興味を持ってもらえたら(この話はまた)。

失敗したって食べるのは自分なのだから。
家族やパートナーなのだから。
『ごめーん』でいいんじゃない?
もっと気軽に、自分自身の美味しいをみつけられたらいいなって思うんです。

気づかないうちにがんじがらめにされている、ねばならないごはんからの解放。
ひびのわとして、やりたいこと。
みんなを巻き込みたいこと。

美味しいは、もっとずっと軽やかだ。

ひびのわは、明日で6歳。
やっと小学生。
ピカピカ新たなスタートです。

そんなスタートの日はこちら

#食 #フードアクティビスト #ひびのごはん




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