1-1 できないって思い込み

私は「できない」「できる」というのは思い込みで大きく左右されると思っています。
自分が自分のことを「できない人間だ」と思っているから、できない。

もちろん今まで必死にできるようになろうと思ってがんばってきて、ぜんぜんできなくて。本当につらい人生だった、という人もいると思います。

そういう人が「できない自分でも大丈夫」「できない自分でも存在していていい」というように自分を許していく過程というのは大事だし、必要なプロセスだと思います。でも、その段階を経た後でいいので「私はできるかもしれない」と思って生きてみるのもいいんじゃないかなと思うのです。

私はできないからしょうがない、と「できない自分」で生きていると、ちょっとした「できない」が塵が積もるようにあなたのなかに積もっていきます。

・時間の感覚が弱いから遅刻しちゃうし
・いろんなこと管理できない人間だし
・文章を書いたら要領を得ないし
・メモしたのにメモをなくしちゃし

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こういったちょっとしたミスが「できない自分」の証拠として積もっていきます。そして「できない自分」を味わいながら毎日を生きることになります。
こんな風に思っていると、そう思っている通りの現実がやってきます。そして「ほら、やっぱり私はできない人間だから、遅刻しちゃうし、管理できないし、メモなくしちゃう、だめな人間なんだ」といった具合に、その思い込みを強化していきます。
そしてうまくいかない現実をまたたくさん生み出していくのです。

逆に「できない人間だ」と自分のことを思っていない人は、遅刻しても・管理し損ねても・メモをなくしても「人間なんだからだれでもそういう時はあるよねー。これから気をつけよう」という意識になるんです。
思い込みの違いだけで、その後に出てくる現実は大きく違ってくるような気がしませんか?


もちろん思うだけではできないこともたくさんあると思います。
でも基本的に「できる・できない」は練習量次第です。

あなたは練習しないで泳げるようになりましたか?
すり傷を作らずに自転車に乗れるようになりましたか?

「仕事ができるようになる」というのもそれと同じです。基本的には練習次第で上達していくものです。そしてできるようになるというのは達成感と喜びを感じる、とても前向きな意欲をもたらす力になります。

上達の度合いは人それぞれだし、「あの人」のようにはうまくいかないかもしれないけれども、自分の努力次第で、過去の自分よりぐんぐん上達していきます。
それは勉強と一緒だし、筋トレや、楽器の練習と同じです。
初めはまったくできないかもしれないけど、何度も試行錯誤を重ねて、チャレンジしていくことで「仕事ができる人」になっていくことができるはずです。
才能が本当にある人は、段違いに私たちの頭2つも3つも超えていくのかもしれません。私が今お伝えしようとしているのは、そういう能力ではありません。
社会で一般的に求められる程度の「仕事ができる人」です。

ではなぜ「できない」という思い込みで生きている人がいるのでしょう。

いろいろな理由があるとは思いますが、ひとつには「できない自分」でいる方が都合がいいからという人もいるでしょう。
そのできない自分として社会に存在している方が居心地がいい。自分にとってちょうどいいんです。だから「できない自分」としてできないまま存在している。

たとえばちょっと「できる自分」を出してしまって、その能力が認められて、「じゃあこの案件も頼むよ」って言われて、自分の能力以上のものがやってきたら困ると思っているのかもしれない。
それもまた、「できない自分」で生きているということになりますよね。
今の自分の力量を超えるものがやってきては困る。と自分の力量を小さく見積もっているんです。

また「できない自分」で生きていることで。親への復讐をしている人もいます。
これはなかなかその当事者は気づくことができないのですが「私ができない・失敗作なのはあんたの子育てが間違ってたからだ!」って言外に復讐をしているんです。
うまくいってしまっては、あの親の子育てを肯定してしまうことになる。
だからいつまでもできない、出来損ないの自分でいるという復讐を無意識にしている人がちょくちょくいます。
これは本人も気づいていないまま、「どうして私はできないんだろう(涙)」という世界に生きていたりするので、なかなか辛いですよね。

他にもそもそもできるようになりたくない。別にやりたくない。と言う人もいます。
仕事ができる人になんかなりたくないというのは、筋トレをして、腹筋なんか割りたくないというのと似ている気がします。
腹筋を割るまでいかなくてもいいんです。そうそう腹筋なんか割れません。体に必要な筋肉すら足りていないからふにゃふにゃしているんです。体の不調を解消する程度の筋力をつけて、快適に過ごすのもいいよ、という提案をしたいのです。

仕事ができる自分になった暁にどんないいことがあるって言うの?
そこまでの努力が辛いだけで、できたからってたいしていいことなんてないじゃないの。
しかもできない人の尻拭いをさせられてデメリットばかりだ。
と思っている人もいるかもしれない。

それも全部妄想です。
できる自分でいながら、適度に手を抜いて生きたらいいんです。
それが「できる人」です。

私はこの文章を読んで「あ、できる自分になることで快適にすごせるなら。そんなふうに自分の人生を有効に使えるのであれば、できる自分になりたいな。なってもいいかな」って思う人が増えたらいいなと思ってこれを書いています。


まずは「私は仕事ができない人だ」「要領が悪い人だ」「頭が悪い人だ」と思い込みすぎている状態から抜け出すことが大事です。

「私は仕事ができるようになる可能性を秘めている存在だ」
「ゲームのように楽しんで仕事をしていこう」と思ってみるのも楽しいですよ。


読者さんの声

 私自身、正社員時代は超絶自己評価が低かったので、その思い込みを裏付けるように周りには妙に仕事ができるひとがいた「ような気が」します。
「できない私」という思い込みが、日常に多大なる影響を与えているとつくづく思います。

自己評価が低く、変に真面目だった私が
正社員時代、苦痛だったことの一つに「評価制度」がありました。
なぜか私は「昇格」に興味が湧きませんでした。

それはあきこさんが書かれているように「できないほうが都合がいい」と思っていたからかもしれません。

下手に昇格すると責任を負わされる、と。


勤続年数が増えると「リーダーを目指せ」的な研修に参加させられます。
そして、勝手に「そんなのできない!」って重荷に感じていました。
そんな会社の意向を無視して自己流でいく変わり者の社員もいたけど、そういう人にもなれなかった。

とにかく在職中は、会社の求める人物像にはなれない…と勝手に肩身が狭くなっていました。


最終的には「生きていてごめんなさい」と思うくらい、自分を底辺に置いていました。
そりゃしんどいわな、と思います。

「私はできない人」に絡んで、ここ数日で気が付いたことがあります。
今の職場に入って1年ちょっとですが、職場に新しく入ってきた人に、業務を教える役目が私に回ってきたのです。

そしてつくづく思ったのは、「必要以上に自己評価が低い人」とは一緒に仕事してて疲れる!ということです(笑)


この職場に新しく入ってきたAさんはかなり緊張しぃの人。覚えるのも若干時間を要するタイプです。私も人のことが言えないので、そこは別に気になりません。
できてることもちゃんとあるし、それを私は伝えているのに
「でも!だって!私できないんです!」を必死にアピールしてきます。
本人は無自覚なんですけどね。

その「私できないんです」の恐怖心が簡単なことをかえって複雑にしてしまっています。

そして、そんなAさんの姿を客観的に見ていて気づいたのです。
これがかつての私の姿か、と。
当時の私は、相当めんどくさいし、うっとおしかったんだな〜〜〜!

しかも言い訳ばかりでこっちの「できてるよ」という言葉を聞かないし!
うざ〜!(笑)

勝手に自分をダメだと思うってこんなに迷惑なんだ…と、呆然としました。

この「私は”どうせ”できない人なんです」はかなり曲者です。


立場が変わることで見えてくるものも出てきます。
「当事者」だと気づかないこともいっぱいある。

Aさんも「自分はできない!ごめんなさい!」と必要以上にアピールすることで、この感想をくれた方に「うざい(笑)」と思われてしまっています。
そしてきっと「私、うざいですよね。できなくてすみません(泣)」という負のループにはまっていくのです。

こうして当人が気づかないから、当人に気づかせようと「問題」や「うまくいかないこと」「嫌なこと」があなたの目の前に起こって、「あなたの中に変な思い込みがあって苦しくなってるんだよ〜」って教えてくれてるのかもしれませんね。

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