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7 ある作家さんへのファンレター

新橋駅をご利用のみなさんへ

こんにちは、ファンです。
前が見えません。


気候がすずしくなるとともにメガネが曇り模様となりました。

ええ、くもりどめシートのことは常々。ただどうしてか、私がやるとレンズが虹色になっちゃうんです。昔の車ってよくガソリンがこぼれませんでした?ちょうどあんなようです。

もしも私がトンボだったら虹色お空もステキですが、まだ人間をするのに手いっぱいで。だから虹か曇りか見えないか、選べるようで実質一択の毎日をすごしています。五里霧中の初秋は少しばかりメランコリックです。



点字ブロックの上を目をつむって歩いている子がいました。お父さんが他の人のジャマにならないようにちゃんと見守っているそばです。

それにしてもずいぶんふらつくようだと思ったら、後ろでちっちゃい弟がぎゅっと目をつむってぎゅっとお兄ちゃんの腰をつかんで、えっちらおっちら、あとをくっついてきてました。


えっちらおっちら。
まっすぐなようで、右に左によろめき来し方。鼻先を霧につっこみ進む行く末。近ごろはずっと「地続き」ということを考えているのです。



家の前を掃くときに、お隣との境もちょっとだけ掃きますでしょう。
ぜんぶじゃなくちょこっとだけ。
この心遣いをいつも美しく思っています。


そういう美しさを知るずっと前のこと、小学校低学年くらいでしょうか。廊下をぞうきんがけしていたら、隣のクラスの子に
「おまえ、こっちにはみ出してくんなよなー」と怒られたことをどうしてかしぶとく覚えています。

そんなのもう単なる記憶にすぎないんですけれど、でもふとすると、子どものわたしと大人の私は同じところにいる気がします。少しだけ大人よりにやじろべえが傾いたくらいの、地続きに。ともすれば、悲しかった子どものわたしと多感な小さいあの子との間に立って大人の私がとりなしている心地がします。



式場に勤めていたころ、モロモロになった靴底をボロボロ落としながら移動する人をよく見ました。めったに履かないから普段は奥にしまいこんでいて、いざ出番だホイと出すと靴は傷んでいてモロモロ製造機になっちゃうんですね。
アヒルみたいについて歩くわけにもいかないので、素知らぬ顔でサッ。パッ。と片づけたものです。

メモリアルサービスが終わった横の会場でベビーシャワーの準備をしたことも覚えています。フォーマルですから履く靴が同じことも多いです。彼の岸と此の岸を地続きで歩いた経験です。



人類創世のコントがありましたでしょう?
ん、一橋?は、腕立て伏せ?じゃあ、一橋に行ってた間エバはどこにいたん?とか見るたびに煙に巻かれます。

「人類史上一番幸せな女性はだれでしょう?答えはエバ。なぜなら舅も姑もいなかったから」という人類史上最低なジョークを聞かされたことがあります。まったくここに書く必要はないんですが、つい思い出しちゃったのでごめんなさい。まきぞえです。


せっかくなので聖書を引っぱりだして読んでみました。

堕落してエデンの園から追い出されたものの、別の新しい世界に行ったわけじゃないんですね。ということは、あのはじめの7日間で造られた地に2人は依然いたんですよ。神さまがはなはだ良いといったところに。

エデンが地球上のどこかにあるとかそういう話をしたいんじゃなくて、えーともしも、もしもね。天国とか極楽とかが、今ここと地続きだとしたら?



独裁者とかテロとかじゃなくても、人を傷つけたり、ひどいことしたまま知らんぷりしたり、ニュースじゃなくたって「悪い人」ってそこいらじゅうにいっぱいいるでしょう?倫理的に生理的にまったく受けいれがたい人。

駅の掲示板にニコニコこちらを見つめるペンギンが2匹います。ホゴちゃんとサラちゃんのポスターです。あれ、すごいおもしろいんですけど非行ペンギンのころのホゴちゃんとサラちゃん、かなり別人なんですが面影があるんですよね。

受け入れがたい人を前にして、ではこの方と自分との明確な違いはと問われたら、答えられる気がしません。彼の方と此の方に超えられぬギャップがあるのでしょうか。ペンギンが非行しなくなってはじめて人間扱いしてやれるのでしょうか。


駅のあたりで、ホームレスの方をよく見かけるようになりました。おなじ敷地内に大道芸人やストリートミュージシャンがいます。その横を学生や会社員が足早に通りすぎます。
人の行き交うせわしない通りには、疲れた大人が地べたで発泡酒をかたむけ若者の歌に体をゆらしています。
赤いハート、ピンクのハートマークをカバンにゆらしている人、17色の輪っかを襟につけている人、背中のぐいと曲がったおばあさん、車椅子や白杖利用者、募金活動、選挙活動、元気な人、つらい人、たまにハト。

おととい蒔いたら、きのうめばえて背丈がのびた。きょう花さいて、あしたは枯れる。実がなり種をなし、また芽吹くでしょう。

教科書には本当のことが書いてあるけれど、全部が書いてあるわけじゃない。芽吹かないかも、ハトに食われるかも、日が差さないかも、世界に一つだけの花ではないかも。
そういう知恵や知識を時々に手にしつつ、アダムとエバは地続きに歩いてきているように思うのです。

きのう私がもっている力や器では理解できなかった人を、ただ私が在るのと同じように彼も在るのだと今日知って、あすはもっと知って、そうして歩く先が天国への地続きではないかと、近ごろそういうことを考えています。


コントやお芝居をいつでも見られてとてもうれしいです。ありがとうございます。20代のあなたも30代のあなたも40代のあなたも素敵です。50代もその先もきっとずっと素敵でしょう。

え、なに目が曇ってんじゃねえかって?なんのなんの。はじめて知ったときからずっとですよ。ええ、わたしゃあなたの作品には目がねえんです。

また書きます👓さようなら。

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