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9 ある作家さんへのファンレター

ゴールデンボール(馬)さんへ


こんにちは、ファンです。

おぼつきません。
先週、会社からの帰り道に人間の部分をすべてふるい落としてきたので、月曜の朝にひろうまでは人間以外の部分が書いています。おぼつかないファンレターです。

人間にもどってから書くべきなんですが、良かろうが悪かろうが続けるとはじめに決めたので、めっぽうやたらに筆をしたためています。リスがしっぽで書いたとでも思ってゆるしてください。



うさぎ。
眠れない日がつづいてふらふら入った雑貨屋で、うさぎのオブジェを買いました。両手におさまるくらいの大きさで、さみしかったり不安になったら撫でようと家につれて帰ってきました。

木じゃないな、何でできているのかな、ヘラをすべらせたままの肌とクシでつついたあらっぽい毛並み。根っこでも掘ったのでしょう、うす汚れた白い体は、耳と足の先っぽだけ光の具合によっては金色がかって見えます。

目はまん丸で大きく、泣きつづけてマスカラが落ちたみたいによどんでいるばかりか決してこちらを見ません。目があわないのです。

耳のつけねを前足でおさえているのか、それとも頭をかかえているのか。金色の濃い部分があるなと思ったら実は欠けていて、中が見えているだけでした。ははん、中身は金なのか。部屋の主の、物騒な考えにうさぎは気づいているのでしょうか。

いま私の部屋には、だれのことも受けいれないうさぎが一匹いて、触れると手に緊張が走ります。彼れの世界と此れの世界がいつかなじまないかと思っておそるおそる撫ぜています。およそストレスリリーフには向かないのですが、パラレルワールドのテニエルが描いた三月うさぎみたいなビジュアルが気にいっています。



近さ。
Youtubeが日常生活に入ってきて、いちばんわあと思ったのが近さと遠さが感じられることです。

4人グループがクイズをするチャンネルがあります。横ならびに座っていて画面に奥行きはなく、2Dです。会話の配分はだいたい同じくらいなのですが、この方だけやけに近いぞ、遠いぞっていうのがはっきり見えておもしろいです。

目の前にいない視聴者にむかっておしゃべりしているお四方は、Aさんを基準にすると、Bさんは1歩近く、Cさんは2歩遠くに、私には感じられます。Dさんは画面の向こう側にいる人だな、という感じ。
Aさんは不特定少数に、Bさんは特定多数に、Cさんは聴いている人に、Dさんは飲み会で完全に聞きとれる隣のグループの会話です。

距離感っていうんでしょうね。日常生活ではおなじみの感覚ですが、赤の他人の、自分に直接向いていないそれをまざまざと見ることがなかったので、とても興味深いです。

テレビともちがうんですよね。あ、ラジオに近いのでしょうか。ラジオはあまり聴いたことがありません。続いたのは英会話入門だけだったな。遠山先生の近さが好きでした。遠山の近さん。言ってみただけです。



折り合い。
折り合いのわるいものってないですか?
そりが合わないならあきらめようもあるんです。たとえば金もうけとは距離をとっています。金部の入部試験も落ちました。勉強とは馬が合わないのでしらんぷりしています。あちらも私を見過ごしてくれるといいんですが。変イェーイ!

そうでなくて、嫌いじゃないんだけど生まれてこのかたどうにも折り合いがわるいのが水分です。水分というか液体というか、とにかくむせる、こぼす、ぶちまける。苦手というより、液体の物理法則をまだ理解してないだけのような気もします。コップもペットボトルも飲みながらよくこぼす、万年筆のインクは飛び散る、もうずいぶん大人なのに。何事もなかったムーブはききません。コージ、カ!

時間ともうまくいきません。中学生くらいからもうずっとおいてけぼりの気がしています。懐中時計や手巻き自動巻き電波時計までためしましたが、追いついたためしがない。足が早くてしかもふりかえらないんですよ、やつは。こちとら50M走が10秒台だというのに。お時間様には会いに行けません。そもそも自分の人生に追いつけないんだもの。

空間もよく分かりません。子どものころはしょっちゅう押入れに頭をぶつけたりショーウィンドウのガラスに正面からぶちあたったりしたものです。人間を落とすクセがついたのはそのころかもしれません。

だからいちばん折り合いがつかないのは、自分です。だから金曜日に道ばたに落っことしてくるようなまねをするんです。カレンダーが最近スマホやPCだから、めくらなければ月曜はやってこないなんて言い訳もききません。



心象風景。
よくマンガや映画なんかであるでしょう。精神世界だか深層心理だかの映像化みたいな。

ヒトコマ漫画みたいな無人島にリンゴの木がたっています。あの、星新一さんが集めていたようなアメリカのヒトコマ漫画の。
その木に座って背もたれているこどもが私です。空は青く海は凪でおだやかですが、まわりには誰もいません。一匹だけ、腰ぐらいの背の怪獣がいますが、四六時中うるさく騒いで、しょっちゅういろいろめちゃくちゃにするばかりで、まったく意思疎通がかないません。心象風景は中学生くらいからずっとこのままです。私が怪獣の側だったら、怪獣のお医者さんに診てもらえたのに。股の間をまたまた失礼っつって。

ものの本によると、ナントカカンだのナントカテキオーだの柑橘類か馬の名前みたいですね。人間バンジー祭がお馬。私もジョッキーテレフォンの番号がほしいです。
昔はかんたんに名前をつけたもんで、2時間半かけて行ったお医者になんたら言われましたが、それで結局どうすりゃいいんだと思いながら、また2時間半でんでこ電車にゆられて帰ってきました。それからもうずいぶん経ちますが、まだ揺られている気持ちです。ずいぶん遠い牛乳屋ですね。ガタンコトン。



孤独とか。
スヌーピーは長距離走者は孤独になれっこないと言いますが、同じ家には真夜中に呼ばわる声にさいなまれるチャーリーブラウンがいます。あの人たち似てるようで似てなくて似てますよね。ライナスの毛布を持っている人ってどのくらいいるんでしょう。我が家では今のところ贋作三月うさぎが採用されています。このウサギはライナスの毛布みたいに私を待ってくれませんが。


相方っていう言い方でいいのかしら、Kさん(あ、しまった。どっちもKさんだ)が、いつかご自身の故郷を案内しながらぽろぽろ泣いているところを見たことがあります(違法動画だったかもしれない。ごめんなさい)。俳優さんだから演技だったかもしれないけれど、涙で夕暮れが拭われている気分になったんですよね。あのKさんの(もうKさんでいいや)、素との道続きみたいな演技か素か演技か素が好きです。カタギリノモト。ほしい。



収集がつかなくなってきたので、このあたりで。人間になる前にノケモノノケモノを観ようかな。
さようなら。また書きます。さようなら。

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