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”真”シリーズ

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これがわかればすべてがわかる。すべてがわからなければこれはわからない。あなたはあちらの住人か。もうおわりにしよう
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2020年12月の記事一覧

【虚実無礙】嘘偽りない本心からの偽りなら、むしろそれこそが本性だ

「子どものウソ」はオトナの本音よりよっぽど純粋だ。 子どもらは人を欺くためではなく、自己…

【単語も国語もないのよ】列挙は反駁を起こし、連結は統合を起こす。生命は科学できな…

◆存在と概念◆近頃よく、「自由と平等の両立は不可能である。」と論じているのを目にする。 …

SFはリアルの隠喩、つまりノンフィクション。この世は奇怪さの極み。

聖書はフィクションか。 仏典はフィクションか。 伝統はフィクションか。 作家はフィクショ…

言語習得は起こりえない。
表明の数だけ「正言」がある。

意見の衝突は起こりえない。
解釈の数だけ「正見」がある。

殺生は起こりえない。
生誕の数だけ「正滅」がある。

四苦八苦は起こりえない。
生命の数だけ「正忍」がある。

精神は起こりえない。
魂魄の数「正念」があるだけ。

錬金術は銀行券によって虚実達成された。
今ではクーポン発行なんて誰でもできる。

天鳥船は衛星放送によって達成された。
今ではネット配信なんて誰でもできる。

テレポートは魂の概念によって達成された。
今では生物培養なんて誰でもできる。

六大無碍、虚実無碍の下、神は人なり。

無意味な言葉と無意識な私
すべてはわたしとは無関係。

わたしに名前はない、それは番号
わたしに身体はない、それは住所

言語という戯論
存在という錯覚

それらを豪語する衆生の詭弁に屈して
肉体という生霊の地縛霊になってはいけない

ことばを解放せよ
表現はすでにわたしではない

山、頂、峰、溝、谷などの呼称は地の本懐ではない。 いかに崇高であらたかであろうとも、 それらは利便性を基調とする分別にまみれた生活者の言語だ。 地球は球ではない。 人体に手足があるように 星々にも「恣形」があるのだ。 だから人も五体満足である必要はない。 満足であればよい。

日本神話の「国産み」を生物に比定すると「時産み」になる。

理に適った情交は「子孫」という形の「時」を産むのだ。われわれの感覚も経験もすべて時そのものだとわかるでしょう。

これがプレートテクトニクスに次ぐ転回、

プシュケーテクトニクスさ。

女がプレート、男がマントル、他は核