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HSPとの付き合い方


生きづらさ

最近、生きづらさ、HSPという言葉をよく目にするようになった。
かくいう私も、多分HSPだ。

ネットでよくあるチェックリストを見るとだいたい当てはまる。当てはまりすぎて怖くなる。

電車内など、情報が多すぎて疲れたり。
隣の人の会話の内容を無意識的に拾ってきたり、前の座席の人の服装やふるまいから無意識にバックグラウンドを予想してみたり。
夜は外の音が気になって起きてしまうので耳栓をして寝てみたり。
グロや殺人、後味の悪い映画を見た後はしばらく落ち込んだり。
元気のない友人の話を聞いては、帰ったあとも感情を引きずったり。
LINEを自分が返したまま眠りについた日は、寝ている間にどんなリアクションがあるかを考えて眠りが浅くなったり。
人に話しかけて良いタイミングを図っているうちにタイミングを逃したり(特に忙しそうだとどうしていいか分からない)。
忙しそうな人に挨拶をしたら迷惑じゃないかと考えて、結果的に元気のない挨拶をしてしまったり。
どうリアクションするのが一番適切か考えているうちに、薄いリアクションをしてしまったり。
自分以外の人の素敵な面ばかりが目につき、自分だけが価値の低い人間、一貫性のない人間なのではないかと考えたり。

挙げていけばキリが無い。

とにかく日々何かの刺激によって頭をフル回転している。

非HSPとの違い

以前、サバサバした友人に、日々何を考えて生きているかと聞いた際、「特になにも考えてない、あなたは考えすぎ」と言われたことがある。
当時は、考えすぎというのは自覚があったのであまり傷つかなかったのだが、世の中には何も脳内にノイズがない人もいるんだな〜とびっくりした記憶がある。
母(割とサバサバしている)からも、あなたは色々考えすぎ、めんどくさいと言われたことがある。

こちとら考えすぎたくて考えてるわけじゃなくて、自分だってこの負の感情をどうしていいのか分かんないのよ…と悲しくなった記憶がある。

赤ちゃん時代からとにかくよく泣いていたらしいので、当時からしっかり繊細だったようである。

非HSPへの擬態


とはいえ、日常生活では、繊細そう、敏感そうと悟られないように過ごしているつもりである。
仮に周りの人に、HSPなんだと吐露したら、気を使わせてしまうだろうと思うからだ。
私がもし友人からHSPだと聞かされたら、今後さらにどう付き合っていけば良いのか悩むだろうし、会話をしていても、「この人はHSPだからもっと優しく言ってあげた方が良いのでは」などと気を揉むのは確かである。こんな思いを人にさせたくないので、普段明るくガハハと振る舞っている。

たまに(深刻で無い)悩みを吐露すると、悩むタイプだとは思わなかった、あまり緊張しなさそうと言われるので、悩まない人間への擬態は成功しているようである。

巷に溢れるHSP商戦、情報との付き合い方

自分をHSPなんだと思い込みすぎることで、かえって自分の行動、思考の幅を狭めてしまう可能性もある。
占いでもそうだが、予言の自己成就(※)ということばがある。


特にHSPの場合、人から言われたことを信じてしまいがちな面があると思っている。
最近インスタなどで、「HSPさんはこんな人…」などという投稿で関心を集めるものが見られる。
自分の感情が分かってもらえた嬉しさでついつい見てしまうが、そこで慰め合っていても強く生きていく力はつかない。
最近、とにかくHSPと書けば売れる、伸びるというHSP商戦らしきものが垣間見られ、多少興味をそそられつつ、商魂たくましさに辟易している。

あまりそれらを鵜呑みにしすぎず、情報を取り入れるのもほどほどにして、自分はHSPなんだ、仕方ない、とあきらめるのではなくて、HSPの「気質があるかも」くらいに考えておくほうが健康的かもしれない。自戒も込めて。


(※)心理学の概念で、予言をした者もしくはそれを受け止めた者が予言を信じ、予言の後でそれに沿った行動を取ることにより、実際にその予言が現実のものとして成就してしまうという現象。「HSPさんはこんな人」を自分の中に刷り込んでしまうことで、なおさらHSP然とした行動をとってしまいがちなのではと私は思っている。(思いつつたまに見てしまう…)

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