仏花

小さな庭園のある浄土真宗系のその寺は、母方の墓があった。講も開かれるその寺は、市街地の中にあるが妙な静けさがある。盆には母と2人で墓参りに行くことが多く、祖母が生涯好んで飲んだダイドーの甘すぎるコーヒーを数本、祖父が好んだわかばを置いた。Coffee and Cigarettesと言うと聞こえが良いかもしれないが、しっかりと仏花に挟まれる。私は生前に祖父に会ったことはない。

母と疎遠になった後も、私は静寂のあるこの寺を好んで訪ねた。ここには結界と言うと大げさだが、音の膜のようなものがある。ダイドーのコーヒーとわかば、仏花を持って訪ねるのだが、母方の墓と向き合うような位置に、小綺麗な墓がある。その墓には、自死してしまった女の子が眠っていて、いつも華やかな仏花が添えられていた。母と訪ねていた頃、母は私に「あんなことになるとは思わなかったわね、まだ若かったのに。」と一言一句違わずに毎年呟いた。その後は大体、生きていればあんたと同じ高校生ね、あんたと同じ大学生ね、と言う。一人で訪ねるようになってからも、墓はいつも丁寧に掃除されていた。完璧な装いをする墓は、この墓以外には無かった。

ある時いつものように訪ねると、小綺麗なその墓に仏花は無かった。2つの花立には藻の色をした水が並々と入っている。仏花を迎える気のない花立を静かに見つめていると、肌が粟立った。その頃私は1つの恋愛が終わって、1つの仕事を辞め、1つの住処から引っ越した。流転するように人生が変わり、不安定な水面を泳ぐように生活をしなければならなかった。花立に濁った水が浮かんでいる様子を見つめていると、「あんなことになるとは思わなかったわね、まだ若かったのに。」と母に囁かれているようだった。
私は少し苛立ちながら、持参した仏花の束を小分けにし、花立を洗い藻を濯ぎ、数本の菊花を差した。菊花はいつも私たちよりも鮮明な色をしている。こんな形で自分の苛立ちに気付くのはもうやめたい。爪の中にまで深く藻が入り込んでいる。心身を侵食する力がありそうな深緑色だった。

私たちはいつも一方通行に生きていく必要がある。必ず老いてしまい、留まることができない。流転するしかない。その上何も持っていくことができない。自分の根というものを、土に深く差すことさえ許されない。仏花はいつも朗らかで華やかだ。植物は何度も花を咲かせ、一方通行に生きていたりしない。根を持ち花を開かせる。私たちの生きる時間軸とはまるで違う場所で生きている。何度でも再生する。その見事さと安寧。人の死の向こうには、もうこれ以上の流転がないと示すためにも、仏花が添えられる必要がある。嵐は終わったのだ。彼女には常に鮮やかな仏花が添えられるべきだった。

2つの墓を洗い、寺を後にする。ぬるくなったダイドーの甘すぎるコーヒーは本当に甘すぎる。わかばの煙は肺の深くを覆った。


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