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【コラム】集まる、しかし無関心

こんにちは。建築家見習いの佐藤です。

現代、人はどこに何のために集まるのだろうか。

そんな視点で街を観察すると、特異点的に人が集まっている場所が見つかります。それはポケモンGOで重要なスポット?(やったことないので分からない)であったり無料で充電ができる場所であったりするのです。そこから浮かび上がるキーワードは(単純ですが)スマホです。

日々まちまちは、お散歩コーディネーター並木と建築家見習いの佐藤で「まちを使わない人なんていない。だから語っちゃおう」と始めた、まちに特化したラジオ番組です。
ラジオでは、noteに投稿したコラムを元に、2人で「あーだ、こーだ」自由に語っています

特異点として浮かび上がる居場所について

学生時代によく利用していた立川駅には「ecute(エキュート)」という駅構内の商業施設があり、その中のエスカレーター脇に立って使用するカウンターが設置されていたのですが、そこには常に人々が集まっていたのです。

一見、「何でこんなカウンターを色んな人が使うんだろう」と思わされるような場所なのですが、利用者が行う行動を見れば一瞬で理由がわかりました。ほとんど全員が「充電」を行っているのです。

「カウンターであることと充電をしていること」は、それぞれ一人利用のために存在する要素と考えられます。利用者同士はもちろん会話などはせずに、淡々とスマホをいじっていました。隣に誰が来ようと基本的には無関心です。

私は、そのカウンターを使用したことがありません。スマホの充電をしたければカフェに入っており、これは「有料でなければ落ち着かない」という「【コラム】カフェに関する個人的考察」で書いた、私なりの居場所感に依存しています。

しかし昨今、「無料で充電が可能で、無料でWi-Fiが使える」という場所は増えてきました。特に駅など「移動」に関わる場所に多く存在するような気がします。移動と移動の隙間や待ち合わせた友人を待つ間に、スマホを快適に利用さえできれば、人々は時間を潰せるのでしょう。

ここから「カフェ」とは別の、現代の居場所性が浮かび上がります。それは「スマホの中にいれば良い」です。

これは容易に想像できる心理状況ですね。あまり話すことがない友人といなければならない時に、無意識にスマホを開く。これは気まずい実空間から逃げるように、スマホの中というデジタル空間に居場所を求めているのです。

これで、エスカレーター脇のスタンディングカウンターという何とも落ち着かない空間であろうと、常に人が集まっていることにも納得がいきます。

これからの公共空間とデジタルデバイス

学生時代に私の友人が「オフィスを考える設計課題」で提案した案は、まさにこれまでの議論を踏まえたような提案でした。私なりの理解で彼の提案を簡単にまとめると以下のようになります。

いまオフィスという実空間は必要ない。必要なのは以下の要素である。
・充電できる場所
・Wi-Fiが使える場所
・パソコンなどがおける台
ゆえに都市の中に小さなオフィスを点在させることで、人々は自由な場所で働ける。

彼は公園や歩道などに一人用の小さいオフィスを点在させる提案をしておりました。とても面白い提案だと感じました。

これからの公共空間を考える上で、スマホなどのデジタルデバイスが快適に使えるかどうかは重要な論点になるはずです。実際、近年設計される多くの図書館や市役所などは、デジタルデバイス利用を快適に行える設計を行っています。

しかし同時に一つ疑問が残ります。
「デジタルデバイスを中心に作られる公共空間は、簡単に廃れてしまうのではないか」

実空間がデジタルテクノロジーの発展のスピードに追いつきながら変化していくことは不可能です。スマホの充電方式が変わった時、もはやスマホなんて無くなった時、スマホ利用者を考慮して作られる公共空間はどうなるでしょうか。

そう考えると、やはり私は人間が本来的に持っている「居場所に求めるもの」を考えてみたいのです。

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